我が青春のカルカッタを展示してるインドの間
学校を卒業するや否や赴任したのはインドの日本人学校です。滞在中は毎日が驚きの連続で刺激があり、私の青春そのものでした。
初めてもらう給料は英国のポンドで生活費はインドルピーに両替しました。為替の関係で毎月給料が上下しました。
次第にルピーの紙幣に慣れ、おもしろいことに1ルピーが100パイサです。昔、日本にもあった1円以下の銭に似てます。カルカッタは大きな都会で店もたくさんあり、時にはお土産を購入し、日本の両親あて船便で送ったものです。それらは現在、インドの間に飾ってあり、青春の思い出になってます。
全部で14頭の象は木彫りで女性店員が「大きさの異なるものを並べて飾ると見応えがありますよ」と勧めてくれました。これは本当に良い記念になり、彼女に勧められて感謝してます。今では貴重なものと言えます。日本では動物園にいる象も、インドでは普通の道にいることもあり、物を運んだり仕事をしていました。
私たちはインド人という言葉を使いますが、現地では州が異なると服装、言葉、顔立ちがことなり、それはヨーロッパ全土に匹敵するほどの面積なので当然でしょう。私たちはヨーロッパ人とはあまり言わず、フランス人、ドイツ人、イタリア人というので、インドをまとめてインド人言うのは本来、無理があると思います。
州によって言葉は文字も違います。紙幣は表が英語で書かれ、裏はヒンズー語や、ウルドー語に近いものもあり、数種類の言葉で書かれてます。
上の人形は各州の代表的な衣装の姿です。頭の上にものを乗せてる人形がいくつかあります。すべての男性がターバンではありません。女性はほとんどがサリーとズボンとサリーを纏ったパンジャビスタイルです。
これはインド北部のカシュミール地方の木彫りで、ナイフとフォークのセットです。鞘にきれいな紋様が彫ってあります。実用として一度も使ってません。インドの間でパーティーでもあったら使います。
これもカシュミール地方の木彫りでビールのジョッキーです。これもまだ実用として使ってないので、そのうち、お祝いでもあったら飲んでみようと思います。カシュミールはシルクロードより南に位置します。
これも木彫りの電気スタンドで、夜、ピアノを弾くとき使うことがあります。それにしても船便でよく届いたものです。因みに左の椅子もインド製で竹を編んで作ってあります。中間部が細くてよくできてます。
最近はインドの間が充実してきました。これはサンキのインドコーナーで手に入れました。また、他の部屋にあったインドの物も一堂に集めています。下のようなエキゾチックな器でワインをいただくパーティーをいつか開けるでしょうか。いつも、一人では眺めてるだけです。やはり、人は一人で生きられないことが最近分かってきました。はやく、乾杯したいものです。
ところで、今までにインドの方は青年が一度だけ訪れ1週間ほどホームステイしていきました。これからも来ていただき、私の脳裏に眠ってる懐かしいヒンズー語を甦らしたいものです。
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