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2011年9月 1日 (木)

今日は防災の日・・・先人の戒めは宝

 この画像は9月1日の群馬県高崎市を流れる烏川の午前7時の様子です。遠方は上越、長野両新幹線の橋です。この付近はその昔、江戸から荷物を運んできた舟の終着点で倉賀野河岸といわれるところで、現在でも港の雰囲気が漂ってるように感じられます。下の看板をクリックし、お読みください。

 烏川は、台風12号の影響で水は濁り、水量は通常の3倍ほどです。群馬県西部・下仁田方面から流れてくる鏑川と倉賀野の東で合流し、7Kほど下流では上野村に源流を持つ神流川と合流、10Kほど下流では玉村町の東部で利根川に合流します。

 このように群馬県の河川は最終的にすべて利根川に流れ込みます。故に台風の来襲時、下流域の群馬県東部、埼玉県北部の利根川の水量は莫大です。利根川の流域面積は日本の河川の中で最も広く、国土全体の4.4%といわれます。

 戦後間もない昭和22年のカスリーン台風は関東地方に大雨を降らせ、堤防の決壊などで多数の犠牲者が出ました。県別死亡者数は群馬県592人、栃木県352人、埼玉県86人、茨城県58人、東京都8人、千葉県4人の合計1100人です。これらの方々は悲惨な戦争が終わったのも束の間、利根川の氾濫で犠牲となられました。

 自然災害とは繰返し起こることが歴史の教える所。国による早急の治水対策が国民の人命を守ります。これが1都5県による八ッ場ダム建設を強く望む所以です。

 2011年9月4日の台風12号の進路予想です。行く手に高気圧が3つあり、前に進み難い台風12号は四国に上陸し日本海へ抜けるようです。ゆっくり進む雨台風です。避難勧告が出たら、低い土地や山崩れの危険がある個所では早めの避難が肝心です。特に夜間は避難に手間がかかるので早めの行動が安全です。

 ところで、昔、怖いものは「地震、雷、火事、親父」といいましたが、確かにその通りだったです。私も父が怖かったです。常に仕事をしており、そばに行って気楽にしゃべる雰囲気はなく、遊んでもらった記憶は殆どないです。

 敢えて思い出せば4才頃の夏、上記の烏川に連れてってもらい、父が平泳ぎをして私が父の背中に乗ったことがおぼろげに思い出されます。まるで、浦島太郎が亀に乗っているようだったです。しかし、それ以外は怖かったです。家族8人を養う重責があったからでしょう。その反面、母が優しかったです。

 今回の3.11の地震と大津波は稀に見る大きなものでした。犠牲となられた方々へ、お悔やみ申し上げるとともに、被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。

 今までの歴史をひも解いても、遠い石器時代や縄文時代以来、大津波はかなりの回数がやって来てます。「災害は忘れたころにやって来る」の言葉通りで、前触れなしに突如です。

 これから生まれてくる人たちへ、石碑などによって伝承しなくてはなりません。何故なら、現存する人間がすべていなくなった後だからです。

 内容は家を建てる場所についてです。安全な高台を確実に示すべきで、縄文時代の貝塚が発見されてる位置などは、遠い祖先の体験に基づくものです。大昔の人々も度重なる津波を体験した筈です。未来も同じ規模の津波が押し寄せることは間違いないでしょう。

 一方、今回、一部地域では先祖による戒めの石碑が高台の中腹に建っており、「これより下に家を建てるな」というものです。この地区では戒めを忠実に守り、家の流失はなかったと伝えられます。

 私たちは災害を体験した祖先の戒めに耳を傾け、未然に危険を防止しなくてはなりません。また、それを子孫に伝えることが今生きてる私たちの役目です。

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