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2011年10月

2011年10月31日 (月)

倉賀野の七不思議・・・河岸を祀った大杉神社

607  遠くに見える二つの峰は倉賀野町を流れる烏川から見るのが最も良いと感じます。左が東御荷鉾(ひがしみかぼ)1246m、そして右が西御荷鉾1286mです。

 私の趣味の一つは中低山登山ですから今まで左右合わせて5回登りました。山頂からの景色は最高。特に、これからの冬晴れには北アルプスがよく見え、これには感動します。

 また、上越国境・谷川連峰は切れ間なく、その雄姿すべてが連なって見えます。それは榛名山の遥か上空に見え、平素、平地から眺める景色とは雲泥の差となり、目から鱗が落ちました。

 登山ルートは神流町万場から御荷鉾高原荘経由で行きます。御荷鉾スーパー林道まで車で行き、頂上まで40分前後です。頂上での眺望を満喫したら、下山後は高原荘の雲上温泉で一浴びも乙なものです。ここで食事ができます。

 ここ倉賀野の烏川には早くもシベリア方面からの使者が羽を休めてます。一見、平和な姿でも、レース鳩を飼育してる私はつくづく感じます。

 それは彼らの道中のことを思い巡らすからです。遠方から何千キロも海上を飛んで来る途中、きっと、仲間が猛禽に襲われたり、遠い日本までは体力が消耗し、海に命を落とすものもいる筈だからです。写真の鳥たちはその生き残りで、弱いものは途中で力尽きる現実があります。これは何万年も続いてる自然界の掟でしょう。

504  ところで、本題ですが、この倉賀野を流れる烏川一帯は、その昔、室町時代~江戸時代~明治初期まで倉賀野河岸といわれ、江戸からの舟着き場で倉賀野が終着地点でした。ここより上流は川の勾配がきつくなり、櫓を漕ぐ船頭は登りません。

 江戸からの荷物はすべて倉賀野河岸で荷揚げし、牛馬で上州、越後、信州へ運搬され、江戸へは内陸で生産された物産が帰り舟に積まれまたようです。

 実は当時、この河岸に大杉神社が祀られてたといわれます。現在その形跡は消滅し、近年、石碑のみが建てられました。きっと、江戸まで行く舟の安全祈願が祀られていたと推測できます。石碑の裏面に説明文が彫られてます。私は永いこと倉賀野に住んでいても大杉神社の存在は知らず、今は亡き両親から聞いたこともありませんでした。

 また近くには倉賀野河岸について説明した石碑が建立してます。歴史ある倉賀野を深く研究され、説明文はいつまでも後世の人々へ伝えていくでしょう。やはり、時代を超えて後世に伝えるには風雨に耐える石碑に永遠性があります。

 写真は拡大してご覧ください。私の鳩友の父上様が撰文されました。近くは河岸広場として整備され、訪れる人々の憩いの場となってます。

 また、河岸近くの井戸八幡神社には倉賀野河岸を歌った歌碑があるには驚きます。 

 歌詞は、河岸についての説明的な部分や倉賀野で休息する船頭の情感、江戸時代の風情が垣間見られ、大杉神社の名が出てきます。

 これからも倉賀野町の新たな発見に努めます。

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2011年10月27日 (木)

羽色が幸いし鷹から逃げ切れた「シンクロ二世号」

 今朝の舎外後、10時ころ鷹が鳩舎の展望台付近に飛来し、外で遊んでいた「シンクロ2世号」をめざし襲いかかりました。写真の鳩たちがすべて入舎した後のことです。

 この展望台の上にいた「シンクロ二世号」は裏の方へ逃げましたが、その後を鷹は猛スピードで執拗に追跡しました。

 途端にカラスの集団が鷹を目がけ真っ逆さまに立ち向かい、もしかしてシンクロなので仲間が襲われたと勘違いしたのかもしれません。現場は家に隠れて見えません。30秒ほどして再度飛び出した鷹は鳩を捕獲した様子はなく、2~3羽のカラスに追われ遠くへ飛んで行きました。

 その後、私は近所の家の草むらなどを隈なく探しても、「シンクロ2世号」の姿はありません。「もうだめか」との思いになりました。 

 急襲だったので私も驚きましたが、猛禽は大きく褐色でかなり小回りが利くようです。鳩をいくら探しても、見つからず、羽が抜けた形跡もなく、怪我してどこかにうずくまっているのかと思い、数回行ったり来たりで探しても見当たらず「武器を持たない鳩の運命か」と諦め、私は用事があり、後ろ髪を引かれる思いで外出しました。

 帰宅し、それでも、「ボッとしているかな」と期待し鳩舎に行ってみたら、「シンクロ2世号」が何もなかったような顔をしているのです。餌を与えようとすると近寄って来ました。

 間一髪、鷹の爪に襲われず、夢中で遠方へ逃げ切れたのです。私は「シンクロ2世号」を抱き、「良かったね。良く逃げたね。」と頭を数回撫でてあげました。全く怪我はありません。来春の北海道・長距離レース期待の星なのです。

 実は、この2週間、鳩舎近くに鷹が3回来襲し1羽は爪が内臓まで達し、短い命が終わりました。2羽目は追われて樹木に墜落する際、腹部を傷め血が出ていましたが、5日ほど舎外を休ませたら運よく回復し、今では普通に舎外できるようになりました。青森県から500Kを帰還した記録鳩で、やはり、来春は北海道からのレースをめざす予定です。

 今回の「シンクロ2世号」は完全に獲られたか、と思いましたが、私が思うに逃げ切れたのは比較的小さい鳩で、常に動きが俊敏だったからではないかと思います。

 鷹にして見れば、大きめの鳩に狙いが定めやすく、今回は他の鳩がいなかったので「シンクロ二世号」がターゲットになりました。

 前述のように、「シンクロ2世号」が本当に真っ黒なので、あるいはカラスは仲間がやられたのかと思って、鷹に威嚇や攻撃をしたようです。カラスが嘴から真っ逆さまに鷹を目がけ攻撃しました。カラスも命がけの突撃です。

 この点、今回は羽色がシンクロであったことが幸いしたかもしれまん。

 こちらが羽幌900キロ翌日帰還のシンクロ号です。1994年生まれで現在17才♂です。まだ血が入り、「シンクロ2世号」の父です。現在、交配鳩としてシンクロのメスを探しています。系統はアメリカ・フランクキタ鳩舎のブラックイーグル系で、どうしても子孫を残したいです。

 レースマンは羽色に拘ってはなりませんが、私は子供の頃からシンクロに魅力を感じ、それは50年以上経過した現在でも変わりません。

 また、今回の体験からも、概して黒に近い鳩の方が鷹の犠牲になり難いのかなと感じてます。また、小さい鳩の方が猛禽に対してもいいように思います。出来るだけ小型ですばしっこい鳩の作出を目標にするつもりです。一般的に母親が大きいと卵も大きく、大きな鳩になるようです。

 しかし、広い日本。北海道のデカ橋鳩舎によると北海道では積雪が多く、概して白い鳩の方が保護色となり、猛禽に対して黒系統より有利とのことです。

 一方、管理面では夕方の餌の量を少なめにするのがいいと思います。翌朝の舎外後の入舎がよくなる傾向にあるからです。レース鳩が屋根や電線で遊んでいる癖は厳禁で、レース本番でマイナスとなり、舎外や訓練の飛翔以外は鳩舎内にいるように躾なくてはなりません。

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2011年10月24日 (月)

アルカリ性を示し肌に効用ある「猪の田温泉」

604 最近の私はアルカリ性に凝っており、飲み水はPH8.8~9.4を示すアルカリイオン水です。胃の中は胃酸と呼ばれる強い酸です。この酸は咀嚼後の食べ物を溶かし、小指ほど狭い十二指腸へ送り出す役目をしています。

 日中や夜中に喉が渇いたとき飲む水もアルカリ性がよいと考えてます。それは飲んだ後、胃が楽になりさっぱりする感覚があるからです。

 毎年、誕生日前に行う胃カメラによる検診でも、医師から病変は見当らないと診断され、今後も、できるだけアルカリ食品やアルカリ水を体内に入れたいと思います。

 一般的に物事は形容詞でなく、数字で判断すると具体的になります。水を見たらPHで確認する習慣を持ちたいものです。PH(ペーハー)は数字が小さくなると酸性度が強くなり、数字が大きくなるとアルカリ度が増し、弱アルカリ度といわれる8~9を維持したいものです。

 そんなことで、アルカリ性の生活を求めてる私は今回、皮膚に良いとされる群馬県藤岡市下日野の山中にある一軒家・猪の田温泉・久恵屋旅館の湯に日帰りで至福の時を過ごしました。

 歴史は古く明治初期には皮膚病に効くとの評判で医者に見放された人が遠方から来るなど湯治場として賑わったと伝えられます。大正から戦前までは繁盛し、戦後は廃業してしまうなど惜しむ声はあっても、湯は長きにわたり眠ったままの時代が過ぎました。

 その後、昭和58年に復活した伝説の湯は「絹の湯」と呼ばれ、皮膚に良い名薬湯として高いアルカリ度を示し、お湯はつるつるして肌触りは柔らかく皮膚に良いことが感じ取れます。お湯からあがるとき洗い流さないことがポイントでしょう。

 ここは旅館で宿泊可能です。以前に仕事仲間と一泊したことや、他の仲間と日帰りで懇親会をしたことがあります。

 到着して目を惹くのが金木犀の巨木です。また、庭もよく整備されてます。

603  この日は入浴客も少なく、のんびりです。それは自然の中に佇む一軒宿の特徴でしょう。余分な音は耳に入りません。あまり体験しない「つるつる感」と、この「静寂さ」は疲れた私の心身を癒してくれます。それは浴室が総ヒノキであり、この温泉を一層、落ち着いた雰囲気に醸し出してます。

 最近の私は皮膚の健康に拘ってます。皮膚は人間のすべてを包んでる皮です。外部から見えない内臓の治療は医師に頼らなければなりません。しかし、自分である程度、判断できるのは皮膚でしょう。美肌効果はともかく、健康な皮膚にすることは日々の努力でできる気がします。

 おいしい果物や、キュウリやナスでさえ中味は厳重に皮で保護されてます。私たち人間も、外部のあらゆる危険から守ってくれてるのが皮膚で、日々これをよく観察し、皮膚の健康に力を注ぎたいものです。

 猪の田温泉へはナビが案内してくれました。これからも皮膚に良い温泉巡りを楽しみたいと思います。

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2011年10月20日 (木)

西群馬を一望できる花園・・・鼻高展望花の丘

902  群馬県高崎市には「鼻高展望花の丘」があります。観音山丘陵の一角で標高300メートルほどの地点です。

 ここからの景色は榛名山を中心として荒船山、浅間山など西群馬の景色が見事で、群馬に住んでる幸せが感じられます。一日中眺めていても飽きません。

 近くに高い山がないからでしょう。360度の視界はまるで高天原。若き日、ここでレース鳩を訓練したことがあります。高い位置で放鳩すると方向判定に時間がかかりません。鳩は一直線で倉賀野町の我が家に向かいます。

 近くには、先日ブログで取り上げた少林山達磨寺があり、この寺も長い階段を登り詰めたところにありますが、ここはそれよりずっと高い位置にあり車で行くことになります。私は愛車アウディーTTクワトロで楽しいドライブです。

Dscf0137  遠くの山でひときわ高く聳えるのが浅間隠山(1757m)です。ここからはよく見えても、群馬県北部から見ると、この山が有名な浅間山を隠すのが命名の由来です。山麓には昔、仕事仲間と行った薬師温泉や鳩の湯温泉があり、山奥で群馬の銘酒を堪能した若き日が蘇ります。

 アウディーも高い位置に上って来て、幾分か一休みの表情に見えます。途中の道路はカーブの連続でも道路は整備され運転しやすいです。ドライブにここはお薦めです。でも、私のように一人ではね。

 ここから眺められる榛名山(1449m)の雄姿の裏側には日本の名湯「伊香保温泉」があります。

Dscf0141  頂上近くには大きなカルデラ湖である榛名湖があります。一つ一つの峰にはそれぞれ名前があり、見かけ上、尖って高いのが相馬山で、空気が澄んだ冬季には頂上から富士山が見えます。

 すぐ右に二ッ岳があり、7世紀ごろ大噴火し7~8キロ離れた所にあった集落を埋没させました。そこは日本のポンペイと呼ばる黒井峯遺跡です。現在でも当時の家屋が埋まったままです。最も右の峰が水沢山です。ここ「展望鼻の丘」から眺めると、榛名山の殆どの峰を登った事が思い出されます。

 この日は天気も良く、県内外から観光バスで来られた方々で賑わいを見せてました。

 ところで、四季を通じて色とりどりの花が咲き、その花を利用して迷路があるとは驚きました。私も入りましたが、広すぎて途中から近道して抜け出ました。

 迷路は横から見たのではコースが分かりません。コース内の道は下のようになってます。この奥は右に曲がります。

Dscf0145 ところで、これらの花は年間を通じて地元・鼻高町の方々により育てられ、観賞しやすいように管理され有難いことです。しかも、入場無料です。品種によっては毎年、採種し、翌年に改めて撒くとのことです。

 花は人々に平安な気持ちと、争いのない心を与えてくれます。 平素、私はツツジやシャクナゲといった花木を育て、草花はほとんど育ててません。ゆっくり観賞すると、このような色とりどりの草花も素晴らしと改めて感じます。少しずつ庭に草花を育ててみようと思いました。

 景色がよく空気のよい別天地に広大なお花畑があるとは高崎市にも素晴らしい所があるものです。

 次回は季節を変えて来てみます。日中は素晴らしくとも夜は怖いほど静寂でしょう。天体観測にいいかもしれません。  

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2011年10月17日 (月)

2011年ぐんま輸入車フェア―で目を奪われた ルノー・メガーヌ

 この度、第6回ぐんま輸入車フェア―がヴィエント高崎で2日間にわたり開かれ、どんな車に出合えるかワクワクしながら開館時間とともに訪れました。

 いすゞ117クーペを2台、マツダロードスター、そして現在のアウディーTTクワトロと乗り継ぎ、スポーツタイプに興味津々の私が今回、目を奪われたのはフランスが誇るルノーで、その名もメガーヌです。写真をクリックしてください。

591  比類なき洗練されたスタイリングとともに、何とも表現できぬほど美しい黄緑に近い黄色のボディーカラーに、一瞬この世のものとは思えぬ美さを感じたのは私だけではないでしょう。

 スタイルにボディーカラーに表現される優雅さはフランスならではの芸術を彷彿させ、見ているだけでも楽しめるとはこのような車でしょう。それはすでに絵画の世界です。

596  メガーヌの隣はこれまた個性的なシェイプを訴えるルノー・ウィンドの水色。オープンカーでトランクから自動に開閉できる装備も見事です。私が想像するに、芸術感覚に優れた女性はこの車に心を奪われることでしょう。

595  このような車を観賞すると【走る楽しさ以外に目的は何もない】と思えるほどです。今や性能に関しては予想を超えるもの。このような車と旅に出ることは、きっと充実したカーライフになるでしょう。

 美に関する仕事に携わってきた私の車の見方はスタイリング中心にあります。次がボディーカラーです。性能は言うに及ばず、やはりこの二つは車の大きな特徴を成す要素と確信してます。

597  美に関して、言葉とは表現に限りがあります。言葉以上に具体性を持つものが色や形でしょう。ルノーのメガーヌ、ウィンドに備わる気品の高さ、洗練さ、特に何よりも特徴あるスタイリングに目を奪われる人は多かったと思います。

   このほか、ポルシェのボクスターのスタイリングも魅力に溢れ、近くで見るとかなり大きいです。この車で高速道路4本に恵まれる群馬県を駆け巡ったら360度の山岳パノラマを一人占めでしょう。

593  ところで、車以上に、そばで説明されてる女性の美しさに惹きつけられた方は多かったのではないでしょうか。一瞬、私は東京モーターショーにいるような錯覚に陥りました。車フェアーには、その車に相応しいスタイルを備え、しかも、気品に満ちた女性がそばにいるものと感心しました。これはポルシェで感じました。

 一方、平素、アウデーTTに乗ってる私は、アウディーの社員の方々とは家族のような感じを持ってます。

 実は私はこの輸入車フェア―に2日連続して来ました。1日目は私の営業担当Y氏で、いつもと違う会場で会うとまた特別の親しみを感じるものです。常に気さくに迎えてくださり客の心を掴んでいます。

 左の白がアウディーTTで手前がA1です。いつも展示場で見慣れているため仲間がフェアーに参加してる感じです。

 もし、私のTT黄色がこのフェアーに展示されても、来場者が周囲に群がるのではないかと感じたのは私の思い過ごしでしょうか。 すでに2万Kを走破し、調子が上がって来ました。

077  先日、群馬高崎~関越道~日本海東北道経由で往復1000K以上の秋田行きではクワトロの真価を発揮し、安定した走りが楽しめました。

 写真は群馬県北部の坤六峠です。紅葉が素晴らしく、ここはお薦めのルートです。

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2011年10月13日 (木)

倉賀野の七不思議・・・旧17号下に大きなトンネル

 昔から倉賀野町は洪水に見舞われたことがなかったようです。 両親も生前に洪水について話したことはなかったです。正六地区で竜巻があり、家が壊れたり犠牲者が出たことは話してました。

 洪水がない理由は台風の接近でも、近くを流れる烏川が倉賀野町の海抜より15~20mほど低いからです。

 一方、北西の近隣の町には大きな川がなく、近年、水の行き場がなく心配されるようになりました。それは、私が子供の頃、倉賀野町の北西部地域は見渡す限り田んぼでしたが、近年、宅地化され、豪雨の場合、洪水の危険性が指摘されるようになりました。 もし、周囲の地区が洪水になれば倉賀野町も影響を受けるでしょう。

 そこで、近年、倉賀野町の旧17号の下に直径3mほどのコンクリート製によるトンネルが完成し、近隣地区の雨水を流し込み、洪水を未然に防止できる施設が完成したのです。

Photo 【写真は倉賀野町・上町で、この下にトンネルがあっても、平素、多くの人は知らないで通り過ぎます。】

 完成直前にトンネル内を見学する募集があり、近所の方が参加され、内部を端から端まで歩いて往復されました。

 その印象を伺ったところ、かなり大きく長いトンネルとのことです。一見したところ、途中に雨水を入れる個所は見当らなかったとのことです。やはり、近隣地区の雨水を倉賀野町を通して烏川へ流すのでしょう。ご覧の通り、トンネル内は電気がつき、もちろん、このとき水は流れてません。

 前述の通り、このトンネルは下水道でなく、雨の日以外は水が流れない筈です。

 これが倉賀野町と阿久津町を結ぶ烏川の共栄橋で、源流は倉渕町の角落山付近の「烏の口」という地点と言われます。いつか探検してみたいものです。この橋のところにトンネルからの放流口があります。

 地図をクリックアップしてください。青線がトンネルが埋没してるところです。しかし、これは第1工区の図で、現在は正六地区まで及んでいます。左の松並木方面へ続いてます。

 放流口付近に設置されてる説明文です。

 未来の倉賀野町の子々孫々が絶対に洪水の犠牲に遭わぬよう、現代の人間が建設したところに大きな意味を感じます。

 衛生に重点を置いた水道や下水道は未来への大きな贈り物で、同時に洪水を未然に防止するトンネルは未来永劫に安全を約束する施設です。

 ところで、倉賀野町は昭和38年の高崎市と合併後、町長や町議が存在しなくなったことが遠因でしょう。昔のように倉賀野町全体としての大きな祭りが行なわれず、元気な倉賀野町とは言えなくなりました。しかし、いつの日か、リーダーが生まれ、昔のような数台の山車による「しゃぎりっこ」と言われる笛太鼓・鐘による壮大な山車合戦の祭りはいくらでも復活できるでしょう。

 今は静かな倉賀野町も、町民の最も大切な生命と財産を地下のトンネルに託してます。平素、目に見えなくとも未来に輝く倉賀野町への価値ある遺産です。

 今回、タイ・バンコク市内で大洪水が起こり多大の犠牲が報じられ、日本では東日本大震災やそれに伴う原発問題、台風15号による土砂災害で多大の方々が、未だ、不便な生活を余儀なくされてます。1日も早く元の生活に戻れますよう祈ってます。

 このような災害を通じて、多くの人は【普通の暮らしができることが最も価値あること】と悟るようになったようです。

 放水口の東には倉賀野緑地公園が広がります。ここは景色がよく、空気もよく、何と言っても整備された緑が広がってます。私にとって家から往復一時間かけてのウォーキングコースです。調子がよければ50分で、遅ければ1時間以上かかります。必ず、昔の友人に会います。

 このように倉賀野町は大変に住みよく、安全安心の基盤ができました。雨水トンネルは未来のために価値あるものと感謝してます。

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2011年10月10日 (月)

樹齢推定100年のオオムラサキツツジを移植

P1020059  写真は輪郭がはっきりしませんが、手前が樹高2mほどのオオムラサキツツジです。生前、父がどこからか仕入れてきたもので、毎年5月に庭先で咲きます。

 ところが、次第に塀から外の道にはみ出たり、樹形を観賞するには少し塀から離した方がよいと思い、先日、苦労して今までより1mほど離し、道から眺めて丁度よい位置に植え替えました。

 これが2~3年前に撮った開花です。オオムラサキツツジの中ではうすい紫です。調べてみると、原産地は不明で古くから日本に分布していたと考えられます。オオムラサキツツジは江戸時代に改良が進み種類が多いようです。庭にも2種類あります。

 実はこれを移植するには覚悟をしてました。周囲を掘るのが並大抵ではないからです。根回りは直径80㎝ほどでたくさんの土がついており、ちょっとやそっとではビクとも動きません。土を含んだ全体の目方は推定100キロです。

 2時間ほどかけ休み休みで周りから深く掘り下げ、タックルして思いっ切り横に押したらやっと少し動きました。腰を痛めないように足を踏ん張って押し倒しました。こんなことでも、1つの段階がクリアーできるととホッとするものです。根を傷めず周囲を大きく掘るのには骨が折れます。

 1mほどの距離に移植するにも少しづづの移動です。それにしても重いです。どうにか目的の場所に移動でき、北側と南側を逆にし、その後、四方から立ち姿を眺め、バランスある納得した姿で決めました。後は水やりです。

 根に付いてる土がたくさんあるので移植によって枯れることはないでしょう。すぐに水をたっぷり与えました。

 ご覧の通り、葉も生き生きしてます。これは東側から見たものですが、道側の南から見ると樹形はとてもいいです。

 回りの樹木とも接触せず、道にもはみでず、私が生きてる間は自由に枝が伸ばせ開花につながるでしょう。来年の5月が楽しみです。なお、この後、鶏糞を施しました。

 拙い経験ではこの肥料が花木にとても即効性があり、この場所ならどんなに成長しても大丈夫で見事になることを期待してます。数年前、埼玉県花木流通センターで樹高3m以上ある巨大なオオムラサキツツジを見たときは感銘しました。

 ところで、今のシーズンは金木犀が芳香を放ちに庭いっぱいに香りが漂ってます。英語名fragrant oliveと言うだけあって、オリーブの一種なのでしょう。

586   枝を切って室内に入れれば香りは家中に広がります。私の名前は男性にしては珍しく「香」がついてるので、一際この樹木を身近に感じます。人間としても香りある生き方をしたいものですが、まだまだ修行が足りません。

 資料によると、金木犀は江戸時代に中国から渡来したようです。中国語では丹桂(チンクイ)と言うので、なぜ日本の金木犀と異なるのでしょう。輸入して400~500年で日本の至る所に分布してるとは誠に不思議です。

 ところで、私たちの祖先は漢字・漢語を中国から移入し、わが国の思想、文学、芸術、道徳、制度など広範にわたって文化を培養し発展させてきましたが、私は現在日本に分布する植物の渡来の歴史にすごく興味があります。多くの植物は大陸からと推測され、とりわけ、果物、野菜はいつ渡来したか、その時期に興味があります。もちろん、日本古来からの物も多くあるでしょう。

 中国からたくさんの学問や文物を輸入した7世紀の遣隋使、8世紀の遣唐使はもちろん、それ以前の5世紀に始まる渡来人によるもの、教科書には出てこない民間の往来によるのではないかと推測してます。

 オオムラサキツツジの隣にザクロの実がぶら下がってます。ザクロはペルシャ(現在のイラン)、トルコが原産地らしく、中国に渡り、後に日本へ来たと考えられます。中国では柘榴(シーリウ)と書き、祖先は日本風にタクリュウと発音し次第にザクロになったようです。

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2011年10月 6日 (木)

秋田県・鈴木鳩舎の広い運動場と籠詰めに感嘆!

 この度、群馬県高崎市から愛車Audi TT Quattroを走らせ、日本海沿岸経由で秋田県の鈴木鳩舎を訪問しました。

578  これほど広い種鳩鳩舎の運動場はあまり例を見ないでしょう。 多くの樹木が生い茂る中に鳩舎がありました。運動場は天井も床も周囲もすべて頑丈な金属製の網に囲まれており、自然の中で暮らす鳩本来の姿として種鳩を飼育できる設備と環境は見事です。

 この中で種鳩たちは飛ぶことが生活の一部となり、狭い鳩舎内に閉じ込めらる不自然さから解放されてます。

 その結果でしょう。どの鳩にも羽に光沢が感じられ、動作はきびきびしてます。私のレース鳩の見方の一つは立姿に重点を置いてますが、それから判断しても殆どの鳩が健康に見えます。

 一方、広大な一階の種鳩鳩舎も二階の選手鳩鳩舎も本鳩舎の床はすべて木製グレーチング(すのこ)です。それは氏が衛生管理面を徹底される証でしょう。靴を鳩舎用の履物に履き替えることも同様で、未然に疾病を防ぐ平素の管理が窺い知れます。舎内を鳩が飛んでも羽毛が舞い上がりません。

 氏はレース鳩のため、及び日々の管理のため、各所に創意工夫の跡が見えます。この鉱物飼料入れも独自に考えられ、ご覧の通り糞は入らず、こぼれてもグレーチングの下に落ちません。

 飲水器も衛生を配慮してます。レース鳩の病気の媒介の多くは飲水器により伝染すると考えられても、この方法は未然に防いでます。

576  ところで、一般的に大型鳩舎には悩みがあるものです。

 それは訓練やレース参加にあたり、数多い選手鳩を如何にして放鳩籠に詰めるかです。普通の方法で直接鳩を捕まえるには時間がかかり過ぎ、訓練もつい億劫になるでしょう。

 その見事な解決方法が鈴木鳩舎の優れものです。それは選手鳩鳩舎の床と同じ高さに出窓があります。その出窓は平素サッシで開け閉めできます。まず、すべてのサッシを閉め、端の一ヶ所開けて、そこからすべての鳩を出窓に追い込みます。続いて氏が出窓に入り、更に鳩を一方へ追い込み、鳩は行き場がなくなり、下の狭い空間に閉じ込められます。

 後は集まった鳩を上から手で一羽一羽、籠詰めします。これなら鳩を追いかける手間はなく、100羽~200羽いても簡単に籠詰めできます。

 私はこの構造を見て【人間の考えは無限大】で、究めれば必ず答えがあると感じました。氏の創意工夫の極みを感じ取れました。

 ここで座ったまま楽に籠詰めできます。時間的に無駄を省き、素早く次の行動に移せる優れた知恵です。おそらく、長期間における本業でも創意工夫の連続だったのでしょう。

 その日の夕刻、素敵なママがいる飲み処「八珍」で秋田の地酒を酌み交わし、氏との鳩談義は夜更けまで続きました。

 実は今回、秋田を訪れたのは氏が拙い私のブログにアクセスされたことがきっかけです。時々電話で交流し、ついに私が群馬県高崎市から秋田市まで、愛車Audi TT Quattroで往復1000K以上を飛ばしました。一度にこんな距離を走ったことはありません。

 日本海東北道は一部完成しててもまだ全線ではありません。建設中もあります。このため日本海沿岸を走る国道7号も走りました。

 その甲斐あって暫くぶりに日本海や鳥海山を眺められ、行っても行っても、日本は広いということを改めて認識しました。殆ど休みなしで片道7時間です。

 下の写真が山形県と秋田県の県境にまたがる鳥海山です。頂上はすでに雪をかぶり、厳しい山岳が目に映りました。

 今回、遠方の鳩友・鈴木氏にお会いでき、レース鳩飼育という共通点、とりわけ、香山氏を介してのサムデヨングなど共通の血統について、心行くまで鳩談義できました。氏にはホテルの予約までしていただき、八珍での鳩談義は意義深く、心よりお礼申し上げます。次回は群馬高崎「どんどん」にご招待いたします。

 Audi TT Quattro黄色も本当によく走ってくれました。       途中の最高速度は控えさせていただきます。

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2011年10月 3日 (月)

選手鳩にとって安住で快適な鳩舎を試みる

P1020317  ブログのタイトルはPersimmon Marsh Loftと銘打って、レース鳩の成績向上を期して立ち上げましたが、レース鳩に関係ない皆様からも多くのアクセス頂いており、現在では可能な限り私たち人間を取り巻く森羅万象の神秘さ、不思議さについて取り組み、何事も取材を行い自らの目で確認し、自ら感じたことを書くよう無い頭を絞って広いカテゴリーに挑戦します。

 アクセスに関しては、毎日、全国(海外も含む)のレース鳩飼育者からが8割ほどを占めてます。しかし、私は近年、顕著なレース成績を上げてないので必勝法などについて、なかなか書けないのが実情であっても、55年間レース鳩飼育を続け、9回の優勝や、上位入賞、羽幌900Kを現在の連盟1羽帰り、稚内レース翌日帰還を顧みて、レース鳩をいかに日々管理するか、現在でも日々に新たな気持ちで研究に勤しんでます。

 個人的な都合もあり、今年度の春は雛を30羽ほどしか作出しなかったです。このため今秋はレースをしてません。

 故に今がチャンスと思い、来年に向け選手鳩鳩舎の内部を改造しました。久しぶりの肉体作業でしたが、レース鳩の気持ちになっての改造は、結構、頭を使い、心身ともに疲れと充実さが交差します。それでも、出来上がった時は新たな自分と出会ったようで嬉しいものです。

564  上の写真は展望台と入舎口が兼用で、右から雛を入れて引き戸を開け馴致します。1週間くらい展望台(最初の写真の右)で過ごさせると、雛たちはここが自分の住みかと認識します。展望台の中には水と餌を用意するので終日生活でき、景色を覚えたり、独立心の陶冶、そして外界の刺激を受けさせます。レース時はトラップがある自動入舎の方へ行くよう引き戸を閉めます。

P1010988 これが改装なった選手鳩鳩舎内です。今まで最上階はすべて巣房にしてありましたが、短距離・中距離では使用することがなかったので、今回の改造では天井までドイツ製の止まり木にしました。鳩は高い止まり木に安心感を覚えるような気がします。

 そして巣箱は止まり木の下に設置したり、南側にまとめ長距離時に使用します。平素、飼育者も丁度良い高さにあり何かと使いやすくなりました。巣房を使って抱卵や育雛状態でレース参加ができます。巣房の入口は引き戸で本来Wシステム用です。

 なお、窓に付いては蚊の侵入を完全にシャットアウトする網つき鳩舎です。その甲斐あって鳩痘は年間を通じて皆無です。それはサッシの網では細か過ぎ毛羽で詰まるので、もっと粗いナイロン製の物をホームセンターで探しました。換気はよく蚊の侵入を防ぐ優れものです。

P1010989  概して舎内は薄暗いですが、換気は必要に応じて開け閉めできる装置にしてあります。先日、掲載しました床からの換気と採光も2ヶ所です。

  来春は今年より多く雛を引き、成績の向上を図りますが、血統も新たに短距離系2ペアーと長距離系♀1羽を導入しました。作出が楽しみです。現在はサムデヨングの♂を導入予定です。

 水浴は週に1度ほど行なってます。高さは床から1mあり、蛇口を捻れば水が出て栓を開ければ下水に流れる構造なので、飼育者にとって水浴が億劫でなく、腰も痛めないのでお勧めです。最近は蛇口の交換ぐらいは自分で工事できるようになりました。ホームセンターで部品を売ってるので便利です。なお、蛇口からは井戸水が出ます。鳩の飲み水も井戸水です。

 鳩舎改造はいろいろ考え「創意工夫の賜」ですから、管理面から帰還向上や勝利を目指すとともに、飼育者が高齢になっても、認知症とは縁のない生活をめざすことになり大きな意味があります。 

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