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2011年10月31日 (月)

倉賀野の七不思議・・・河岸を祀った大杉神社

607  遠くに見える二つの峰は倉賀野町を流れる烏川から見るのが最も良いと感じます。左が東御荷鉾(ひがしみかぼ)1246m、そして右が西御荷鉾1286mです。

 私の趣味の一つは中低山登山ですから今まで左右合わせて5回登りました。山頂からの景色は最高。特に、これからの冬晴れには北アルプスがよく見え、これには感動します。

 また、上越国境・谷川連峰は切れ間なく、その雄姿すべてが連なって見えます。それは榛名山の遥か上空に見え、平素、平地から眺める景色とは雲泥の差となり、目から鱗が落ちました。

 登山ルートは神流町万場から御荷鉾高原荘経由で行きます。御荷鉾スーパー林道まで車で行き、頂上まで40分前後です。頂上での眺望を満喫したら、下山後は高原荘の雲上温泉で一浴びも乙なものです。ここで食事ができます。

 ここ倉賀野の烏川には早くもシベリア方面からの使者が羽を休めてます。一見、平和な姿でも、レース鳩を飼育してる私はつくづく感じます。

 それは彼らの道中のことを思い巡らすからです。遠方から何千キロも海上を飛んで来る途中、きっと、仲間が猛禽に襲われたり、遠い日本までは体力が消耗し、海に命を落とすものもいる筈だからです。写真の鳥たちはその生き残りで、弱いものは途中で力尽きる現実があります。これは何万年も続いてる自然界の掟でしょう。

504  ところで、本題ですが、この倉賀野を流れる烏川一帯は、その昔、室町時代~江戸時代~明治初期まで倉賀野河岸といわれ、江戸からの舟着き場で倉賀野が終着地点でした。ここより上流は川の勾配がきつくなり、櫓を漕ぐ船頭は登りません。

 江戸からの荷物はすべて倉賀野河岸で荷揚げし、牛馬で上州、越後、信州へ運搬され、江戸へは内陸で生産された物産が帰り舟に積まれまたようです。

 実は当時、この河岸に大杉神社が祀られてたといわれます。現在その形跡は消滅し、近年、石碑のみが建てられました。きっと、江戸まで行く舟の安全祈願が祀られていたと推測できます。石碑の裏面に説明文が彫られてます。私は永いこと倉賀野に住んでいても大杉神社の存在は知らず、今は亡き両親から聞いたこともありませんでした。

 また近くには倉賀野河岸について説明した石碑が建立してます。歴史ある倉賀野を深く研究され、説明文はいつまでも後世の人々へ伝えていくでしょう。やはり、時代を超えて後世に伝えるには風雨に耐える石碑に永遠性があります。

 写真は拡大してご覧ください。私の鳩友の父上様が撰文されました。近くは河岸広場として整備され、訪れる人々の憩いの場となってます。

 また、河岸近くの井戸八幡神社には倉賀野河岸を歌った歌碑があるには驚きます。 

 歌詞は、河岸についての説明的な部分や倉賀野で休息する船頭の情感、江戸時代の風情が垣間見られ、大杉神社の名が出てきます。

 これからも倉賀野町の新たな発見に努めます。

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