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2011年11月

2011年11月28日 (月)

I appreciate daily accesses from nations worldwide・・・・・・・・世界からのアクセスに感謝

 ブログ設定以来、発信した記事数は今日まで876件です。内容の質はともかくとして、学生時代から国語が苦手であった私がよく書きました。大台の1000件到達は、あと1年2ヶ月ほどです。

 瞬時に英語に翻訳できる設定が幸いしてか、あるいはブログ名がPersimmon Marsh Loftと英語のため、検索によってアクセスされてるのでしょう。訪問者が設定してるブラウザの言語設定に多くの外国語が見受けられます。

 アクセスの90%程が日本の方で、残りは外国人からのアクセスと考えられます。外国人についは日本在住の方、あるいは世界からアクセスされてると推測できます。管理画面のアクセス言語を見ると、まさに蜘蛛の巣の如くあらゆる世界につながってるWorld-Wide-Webを日々実感してます。

 アクセス言語は英語、中国語、ドイツ語、ポルトガル語、韓国語、フランス語、タイ語、ポーランド語、ロシア語などで、それ以外の言語もあります。最も多いアクセスは英語なので、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドの方などと思われます。

 ブログは週2回、月曜と木曜に発信してます。発信と同時に世界へ広がり、誠に夢のようであっても責任が伴います。内容の質の高さ、カテゴリーの広さ、世界の人々との共通項を書く必要があります。

 ブログ名にLoftがついてるので、欧米を中心とする競翔家によるアクセスが考えられ、検索されることを考慮すると、記事のタイトルを時には英語で示す必要があるでしょう。もちろん、文中の言葉による検索もあるでしょう。

 例えば、以前にオランダのSam de Jong鳩舎から来舎した私のレース鳩について記述したところ、ヨーロッパの言語に翻訳して読まれたことが確認できました。現在では、あらゆる言語への翻訳機能があるので、世界の言語で書かれたものが瞬時に自国の言語に翻訳できるためでしょう。

 ところで、これは昨日行った群馬県西部に位置する裏妙義山の山容です。拡大されると険しさが迫ってきます。もし、平坦な所に住んでる外国の方の目に触れたら、こんな光景はどう映るのでしょう。これもブロガ―として楽しみなことです。

 また、群馬・長野県境には活火山・浅間山があり、天明の大噴火の傷跡は未だ残っており、未来も大噴火の可能性は否定できません。美しさと危険性の二面性がある山は誠に偉容です。

 これは2~3年前の冬季に二度上峠から撮影したもので、噴煙が見えます。

 拙いブログでも、外国人からのアクセスが10分の1であることを念頭に入れ、これからも、私の住む群馬県の素晴らしい景色、海外では少ない温泉地の光景、季節ごとに開花する花木はもとより、世界に共通する音楽の感想、語学の勉強法、経済の安定、健康法についての模索は、より充実する生き方につながり、人種が異なっても人間として共通と思われます。微力ではあるが、今後も無い頭を絞って発信を続けたい。

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2011年11月24日 (木)

フォルムとボディーカラ―がマッチしたケイマンRの美

 Photo以前は、群馬県・高前バイパスにあるポルシェに度々見学に行ってましたが、2年間ほどご無沙汰でした。先日、前を通過したら何か目立つ色彩の車が目に入ったので、暫くぶりに展示室にお邪魔しました。展示室のご案内は先日、ヴィエント高崎の輸入車フェアーでお会いしたMさんです。

 そばで拝見すると、それは目も眩むような草色のケイマンで最近発売なったRです。車を見て瞬間的に感動を覚えたのは暫くぶりです。何と美しい型、何と美しい色かと暫く見入ってしまいました。

 型とボディーカラーがマッチした典型的な組み合わせは、他の車にこの色を施しても必ずしもため息が出るとは限らないでしょう。

Zoom420962fb73192466e5f6eebf10b1bf2   ボディーを覆う草色(Peridot Meallic)に対し、ホイール及びサイドミラー、そして窓枠の黒がボディーカラーの色彩を一層引き締め、やはり、対称的な色彩バランスが見る人を魅了するのでしょう。

 一般的に草色とはそれほど派手さを感じない色です。しかし、フォルムと合致すれば潜在してたこの色の持つ洗練さが浮かび上がってくるのでしょう。

 ケイマンRのエンジンは水平対向6気筒(4バルブ)、排気量は 3436CC、最大トルク370N・m/4750rpm、最高出力243kW/7400rpm、最高速度282K(6速マニュアル)、タイヤ前輪235/35ZR19、後輪265/35ZR19、0-100km/h加速4.9秒と桁外れの優れもの。この性能を生かす道路はこの界隈には見当らないでしょう。

 ケイマンRは徹底的な軽量化に成功したといわれ、純粋にスポーツドライブを楽しむ研ぎ澄まされた独自性に比類なき精悍さを見ることができます。

 一方、私の愛車Audi TT Quattro黄色は来月6ヶ月点検です。これは法律的に不要であっても、プロによる診断はユーザーとは観点が異なり、より良いメンテナンスとして肝腎なことと考えてます。走行距離20000キロを超え、来年6月に初めての車検です。

 先日は日本海東北道経由で秋田(片道7時間)へ走りました。日本海側は高速道路の一部が未だ完成せず、国道7号線経由もありました。群馬県人であるが故、久々の日本海を眺められ、山岳とは異なる日本のバランスを堪能です。

 時折、目に入る風力発電の巨大なプロペラが日本海の風をまともに受けてます。

 遠方まで一人でドライブは精神的に疲れます。それは休憩を長く取らないからです。一人ではどうしても早く目的地に着きたい気持ちがあり、休憩が短くなります。

 今後は助手席に人を乗せてドライブを満喫したいものだが、未だ実現しないのが悔やまれます。

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2011年11月21日 (月)

倉賀野の七不思議・・・歴史講話を拝聴して

Photo 【倉賀野町の閻魔堂】

 先日、公民館においてNPO倉賀野まちづくりネットワーク主催による「倉賀野町の歴史講演会」が開かれました。講師は以前に私と職場が一緒であった歴史家・田島先生です。

 演題が私たち倉賀野町民にとって非常に興味あることから2時間に及ぶ講演はとても充実してました。倉賀野に生を受けて以来ずっと生活していても町の歴史について詳細を知らずに過ごしていたことが恥ずかしいほどです。先生の講演内容にはいくつも目から鱗が落ちました。

 江戸時代中期から後期にかけての倉賀野は、年間を通じて諸大名の通行が頻繁で、それが中仙道倉賀野宿として繁栄した所以であり、一方、倉賀野河岸は烏川を使った江戸から越後や信州への中継地として物資輸送のターミナルあったのです。

 また、閻魔堂は「日光例弊使街道」と「江戸への街道」が分岐する地点であったことから当時の倉賀野の賑わいは大変なものであったことが想像できます。閻魔堂内にある直径数メートルの大きな数珠は当時の旅人が長旅の安全祈願に使用したものと考えられ、現在も保存されて黒光りがしてます。私はこの数珠で健康を祈ったことがあります。

 驚くことに、通過した諸大名は、越中(富山)、加賀(金沢)、信州はもとより、考えられないほど遠方の薩摩(鹿児島)、備前(岡山)から倉賀野宿を通過したと高崎史料集に記されてます。これは東海道を通ると「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれるように大井川があることにより、自然環境が安全な中仙道を経由したのではないかとのことです。

 河岸については倉賀野から上流は川底が浅くなり、舟の通過ができなかったようで、それが理由で倉賀野河岸が終着地になり、それでも、渇水時は航行が難しくなり、浅瀬に乗り上げると両岸からそれぞれの地区の人夫がでて大勢で舟を曳いたとのことです。先生はそれをロシアの「ボルガの舟歌」のようだと形容されました。

 ところで、諸大名は、特に正保四年(1647年)から日光東照宮への派遣も加わり、倉賀野での宿泊は極めて多く、旅籠屋は飯盛り女を置いた宿屋を含めて64件にも上り、現在、町の中央にある九品寺には、この飯盛り女の墓も多いと住職から聞いたことがあります。

 それにしても、東京国立博物館には当時の倉賀野の地図が保存されたとは感激です。しかも、大方、現在と変わらぬ配置であったことが分かり、四つの大きな神社仏閣(○印で左から永泉寺、九品寺、養報寺、そして諏訪神社)も存在してたことが分かります。また、私たちが何気なく使ってる太鼓橋という橋の名や、現在使われてる上町、中町、下町という地名も当時から命名されてたことに、現在の私たちは尊い倉賀野の歴史の上に生きてることが実感できます。

 写真の遠方には倉賀野の古墳群が見えます。

 先生の専門は古墳時代と聞きました。今回の講演は江戸時代の倉賀野宿が中心でしたが、私は古墳について興味津々で、チャンスがあれば倉賀野の古墳について拝聴したいものです。私の知る限り、倉賀野とその近郊(下佐野)には現存する古墳が八個あり、以前はもっと多かったと聞いたことがあります。

 これは大鶴巻古墳で、下が浅間山(せんげんやま)古墳です。これらは私の足腰の鍛練地でもあります。

 一方、倉賀野から高崎にかけての烏川沿岸一帯は弥生時代の集落跡がたくさんあるとのことです。なるほど高い崖が続き、洪水の心配がなかったことが頷けます。これほどたくさん弥生時代の遺跡があるとは全くの驚きであり、今後、弥生人の生活の跡を辿り散策するつもりです。

 この他、倉賀野には火山灰によって出来た灰塚と呼ばれるものが多く現存し、これは天明三年・浅間山の大噴火により田畑に一面に降った灰を集めて埋めた穴とのことです。江戸時代の農家の苦労が偲ばれます。降灰で収穫できず、これは天明の飢饉といわれます。

 実は私の家の庭は畑だったこともあり、一部が灰塚です。大きな植木を植えると30センチほどの厚さで細かい軽石がたくさん出ます。水はけがよく樹木には良いです。

 この他、町の通りの裏には特に河岸の仕事として、牛馬が推定常に100頭以上常備されてたとは全くの驚きです。当時の倉賀野の人は動物と深いつながりにあったことが分かり、牛馬は運搬の原動力であり、江戸からの荷物を信州や越後へ運んだのでしょう。

 当時の倉賀野の通りには厳しい検閲の木戸があり、関所のようなものと考えられます。上の地図にも記されてます。しかし、脇往還や姫街道など、ずいぶん抜け道があったとのことで、当局の目の届かぬところで旅人や人々は工夫していたのでしょう。

 最後の田島先生の「歴史から学ぶことは沢山ある」との言葉が印象的でした。今まで、倉賀野の歴史に疎かった私は、先祖たちがどのようなことに喜怒哀楽を感じ、どのように生活をしていたのかなど、特に庶民の生活についての歴史を調べたいと感じました。

 歴史講演会を企画して下さった「NPO倉賀野まちづくりネットワーク」の方々には大変お世話様になりました。 

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2011年11月17日 (木)

体内時計を乱す24時間社会にあって

 これはヒマラヤ山岳地帯に位置するブータンの首都ティンプーにある王の記念館でThe Japan Tims Weeklyに掲載された写真です。

 険しい断崖の仙人隠れのような場所に佇み、神秘的な景観を成すとともに、そこには日の出や日没の大自然のリズムに合わせて生きる人間の姿が窺い知れます。

 困ってる人がいると自然に手を差し伸べる国民性と聞いたことがあります。雄大な大自然とともに暮らす高い精神生活から来るものでしょう。GNH(国民総幸福量)が高い国といわれてます。

 日本でも石器時代から江戸時代までは地球の自転に逆らわず、生活が自然体で続いていたと推測できます。それは現代とはまるで異なるでしょう。

 まず、電気がないことが最大の原因です。それはラジオも、テレビも、携帯も、車もなく、24時間営業のコンビニもない素朴な社会だったからです。

 人類誕生以来、つい最近まで私たちの祖先は地球の自転に合わせ活動していたのに、現代はかなり自然に逆らった生活をしているといえるでしょう。

 一方、人間以外では、動物や植物の多くは未だ自然のリズムに即して生活し成長します。

 飼育してるレース鳩は日の出直前に目を覚まし、早朝の我が倉賀野町上空を1時間ほど飛翔します。その距離およそ80Kmほどです。餌は二食で、日没後は鳩舎内ですぐに睡眠です。休息は充分で、体内で消化された栄養は明日へのエネルギーとなります。レース鳩は現代でも、昔の人間と同じく地球の自転に即した生活をしてることになります。

 日本犬である愛犬「コロ」も太陽とともにリズムある生活をしています。

 翻って私たちの生活はいつからか地球の自転に歩調を合わさなくなり、それはコンビニの深夜営業及びテレビの深夜番組に代表される24時間社会になってるからです。また、都会の繁華街は深夜でも賑わってるようです。

 ところで、2006年に作成されたOECD(経済協力開発機構)による各国の平均睡眠時間によると、フランスが8時間50分でトップとなり、続いてアメリカ、ニュージーランド、オーストラリア、トルコが8時間30分以上であるのに対し、日本人の平均は7時間50分とのことです。

 近年、日本人の4~5人に1人が睡眠不足を抱えてるといわれ、それは24時間社会が原因であるだけでなく、職場、学校、家庭などからくるストレスにも起因し、結果として睡眠の質が低下してると思われます。

 50年ほど前、日本人の平均睡眠時間は8時間以上あったといわれ、その後、徐々に減り続け、近年では平均7時間14分まで短縮とのことです。韓国も少ないようです。夜間を写した衛星写真を見ると日本と韓国が輝いてることが分かります。

 睡眠不足は生活習慣病の一因にもなり、長時間起きてれば必然的に食物の摂取量が増え、肥満の一因とも考えられます。

 睡眠不足は産業や勉学の結果に現れたり、交通の危険が潜みます。24時間社会では本来人々が持ってる体内時計が乱れていることでしょう。 こんなことからもサマータイム導入は現在の日本社会には適さないです。

 しかし、現実に、現代の24時間社会を変えることはできませんから、それに対処するには、自ら健康的な生活習慣に努め、例えば、勉強や家事など朝飯前に一仕事する習慣を作るのも一つの方法で、これは自然のリズムに合致し、ひいてはお腹が空いて朝食がおいしくなる可能性は大いにあり、早寝につながるでしょう。    24時間社会に負けない生活実践、とりわけ自らを律する生活リズムを身につけたいものです。

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2011年11月14日 (月)

今までの人生で「恐怖」のどん底にあった体験二つ

 私は「人生とは殆どのことがやり直しがきく」と思ってます。

 それは例えば入学試験の失敗、入社試験の失敗、資格試験の失敗、投資の失敗、離婚などです。人により失敗はそれぞれ異なっても人生ではいろいろな運命に遭遇し、思った通りスムースに行かないものです。

 それでも、失敗をバネに再チャレンジし、研究に研究を重ねたり、血の滲むような努力の積み重ね如何によっては「思いもよらぬ飛躍もありうる」と思ってます。

 前回のブログで取り上げた「イチロー選手の言葉・・・ちっちゃなことを重ねることがとんでもないことになる」はスポーツのみならず、多くの場面でも自己の目標に近づく可能性が潜んでいると考えられます。

 しかしながら、重大な病や、重大事故、自然災害に遭遇し、身体に被害を受けた場合は簡単に元通りにはいかず回復に時間がかります。身体が最も大切なことは日常いろんな場面で感じることです。

 実は3.11東日本大地震の余震とみられる3月下旬の大きな地震が起こったとき、私は東京・新宿高層ビル群のあるビルの40階ほどのレストランにいました。

4026  そのとき、ビルの中に緊急地震速報が流れ、間もなく揺れ始めました。平素の揺れ方とは異なる動きです。それはあたかもブランコ的で、ゆっくり一定方向へ行ったり来たりする揺れの連続です。  高層ビル内では、自らどうにも対処できません。外へ逃げられません。成すがままです。この揺れは「長周期地震動」といわれるものと思われます。

 恐ろしいのはこちらのビルが動いてることで、遠方の景色が左右に動くのです。このまま動きが一定方向に行ったままなら「自分の生命に別れを告げる気持ち」です。地上100メートルほどの高さにあっては、どうにも仕様がないのです。

 楽しいビールは恐怖へと180度の変貌。突如の大きな揺れに「生きた心地はないどころか」これほど悲痛な心境はなく、「止まってくれ」「止まってくれ」と心の中で叫び続けました。

 揺れの最中、館内に流れる「このビルは耐震構造なのでご安心ください」の放送も、業務としてマニュアル通りに伝えてる気がしたのです。実際は倒壊するかもしれない恐怖の連続です。地震が収まっても、その後、4分くらいは大きく左右に揺れ続け、耐震構造と放送されても、「それはあくまで想定内のマグニチュードであった場合ということだ」と心で反論しました。

 田舎者の私がたまたま新宿高層ビルなどに行くから、こんな悲痛な体験をしたのです。いつも低い建物にいれば逃げるチャンスがあります。大地震によるビルの恐怖は今後二度と体験しない覚悟ができました。今生きてる幸せを大切にし、余分なことはしない決意です。

 一方、もう一つの恐怖は以前に取り上げたことがありますが、私は飛行機で墜落しそうになった体験があります。それはサイクロンの中をフレンドシップという小型プロペラ双発機に搭乗してたときのことです。

 場所はインド・ベンガル湾上空。プリという町からカルカッタへ戻るとき、悪天候で予定の日に飛行できず、飛行機会社がチャーターしたホテルに1日足止めとなりました。未だサイクロンは停滞してるにもかかわらず私を乗せた飛行機は翌日出発してしまいました。

 さあ、大変。

 眼下に見えてたベンガル湾の大海原が突然姿を消し、窓からは一切何も見えません。乗ってる飛行機の主翼も見えないのです。濃い雨雲の中に突入し、一瞬、大きな衝撃があり、機体はかなり落下したようで荷物は天井に叩きつけられ、乗客は全員顔面蒼白(と言っても、実は私に他人を見る余裕はありませんでした。)椅子にしがみつき続けても、体が浮きあがり体重が感じられません。

 そのとき、飛行機は推定200~300m落下し続けたのでしよう。落下が止まりません。「こんな海の上でこの世とお別れか」と心から悲痛でした。いつまで経っても、景色は悪雲のみ。いつになっても主翼が見えず、主翼がもげたかと思い込み、何と言う悲運か、若き人生が憐れになりました。希望を胸にインドに就職したのに、これでは取り返しがつかない。やり直しがきかない。

 しかし、30分ほどの長い悪夢が過ぎ去り、やっと水平飛行らしきになり、「あっ、あった」と主翼が見えるようになっても、今までの「地獄のような体験は一体何だったのだろうか。」そして、やれやれ大丈夫だと命があったことに感謝しました。

 大自然と文明の利器は常に危険が伴うことを脳裏に、これからも気を引き締めて生活したい。 

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2011年11月10日 (木)

余分な神経を使わず準備に専念するイチロー選手に学ぶ

 私たちの人生が幸せであるためには

【1】、健康であること

【2】、朝起きたらその日にやることが頭の中に満ちてること

【3】、人間関係が良いこと

【4】、美しいものを見たら美しいと感じられること

【5】、ほどほどのお金があること

 これはどこかで聞いた話です。【1】と【5】は現実的に幸せの土台です。ブログでは時々、健康について拙い考えを書き、自ら実践に努めてます。

 【2】は日々の生甲斐につながり、その人にとって最も核心的なこと。これがその人の心を満足させるものでしょう。ましてや、より高度な目標へ挑戦となったり、次第に結果が付いてくれば大きな喜びです。

 ところで、マリナーズのイチロー選手については2年前のブログで取り上げさせていただきましたが、常に身体状況の把握と試合前の準備にかける集中力、自己管理の厳格さに凡人とかけ離れた姿を見ることができます。

 2009年WBCでは、選手たちは行動を共にし、同じ宿泊施設であるのが常であっても、イチロー選手は王監督に「米国に自分の家があるので、そこから通わせてほしい」と申し出たとのことです。

 大切な試合であればあるほど、平素の生活習慣を乱さないで、平常心を最優先させることがイチロー選手の魂なのでしょう。

 遠来の日本人選手と宿泊施設で暫くぶりの交流をしたい気持ちを抑え、それより翌日の試合の、ここ一番という大切な場面に精神と肉体を最高潮に持っていく過程こそイチロー選手が考える核心であり、これが自宅から通うことを申し入れた所以と思われます。

 決勝戦の日、チームメートが球場に着いたとき、イチロー選手はすでに打撃練習の真っ最中。彼の頭の中は決勝戦を前にした準備と身体状況の確認に集中してたのでしょう。

 決勝戦までの試合では、イチロー選手はスランプにあったといわれ、打撃で余り活躍できずにいたようです。決勝戦では他の選手もあまり打撃が振るわず、なかなか得点に結びつきません。

 しかし、ついに暗かったベンチの雰囲気を一掃するイチロー選手の2塁打が肝心要のところで飛び出し、得点に結びついたのです。

 この瞬間、日本のベンチは喜びに沸きかえっていた一方、2塁上の彼はベンチのような喜びを表わさず、淡々とし、「なぜ打てたか」を冷静に振り返っていたようで、スランプ脱出の鍵を頭の中で思い返していたのかもしれません。

 大切な場面で打てたことは「ちっちゃなことを重ねることが、とんでもないことになる」という彼のモットーから生み出されたWBC優勝への2塁打なのでしょう。

  10年間続いた連続200本安打の偉業は今年、逸しても、「野球と出会えて幸せ」と言うイチロー選手から、「好きなことを冷静に大事にする精神」を学びます。

 翻って私たちも、冒頭に記した【2】の「朝起きたら、その日にやることが頭に満ちてること」は充実する日々への第一歩と思われます。

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2011年11月 7日 (月)

インドでは犬のことを「食った」という・・・     ・・・お座りをヒンディー語で特訓中の愛犬コロ

Dscf0149  私は青春時代にインドのカルカッタ(現コルカタ)に滞在してたので当時、生活環境はヒンディー語に囲まれてました。それはサーブァント(家事をする人)が数人いたからです。毎日、彼らとヒンディー語で生活していると行動を伴って繰返し覚えるからでしょう。今でも、使っていた言葉の殆どを忘れてません。

 当時、ヒンディー語でたくさん使ったのが「ガラム」「パ二ー」「パイサ」「タンダー」「カーナ」「ラルキー」などです。意味は順に暑い、水、お金、寒い、食べ物、女性 です。日本人にしてみると、面白いのが椅子のことを「苦しい」と言い、臍は「無い」です。犬のことは「クッタ」といい、人を食ったような話で驚きました。また、石鹸は「シャボン」で瓦は「カワラ」でした。分からないときは「イエ・キア・ハイ」(これは何ですか)と訊ねます。「ハムラ・クッタカ・ナーム・コロ・ハイ」の意味は、私の犬の名前はコロです。

 ところで、コロには可哀そうなことがあります。それは私があまり外部に散歩に連れ出さないことです。理由は裏庭で放し飼いだからです。スペースの長さは15mほどあり、細長く広いので運動には事欠きません。 ですから、猛スピードで数往復します。時々はジャンプが目にも留まらぬ速さです。デジカメのシャッターを押してもご覧の通りで、カメラがキャッチできません。

 それでも、よくカメラの中に収まりました。犬走りを走るので土のところを跨ぐように幅2mほどをジャンプします。こんなことから、たとえ、私が外部に連れ出しても、この速さに飼い主は対応できません。

 縄文時代から猟犬として日本で、ずっと人間とともに暮らしてきた純粋種なのでしょう。動作は機敏この上ありません。また、私にはとても人懐っこいです。来客があると教え、客に対しては神妙な顔をしても私がいると吠えません。時々顔を見せる娘のMarie Persimmon Marshとは仲がいいです。

 ところで、コロには今まで中国語で「チンツオ」と言ってお座りを教えたので、今ではすっかりこれが定着し日本語でお座りと言ってもキョトンとして座りません。このことから言葉とは一つの信号なのでしょう。その他、お手(ウォーショー=握手)や、待て(タン=等)も中国語でマスターしました。

 この三つは完全に覚えたので、今度はヒンディー語でお座りを教えるつもりです。それは「ボスン」です。多分覚えてくれるでしょう。私がボスンと言っては尻を叩いて、繰返し座らせれば身につくでしょう。

 平素、私が生活する近くの縁側までは自由です。ここでチンツオなどを教えました。中国語とヒンディー語でお座りができるとしたら、日本中の犬の中でコロが1匹でしょう。

   たくさんいるレース鳩も舎外運動を終え鳩舎周囲を飛んでいたら、「ハウス」を連呼すると鳩舎に舞い戻り、餌が食べられる習慣を覚えました。こんなことから動物が人間の言葉を判断する学習は身体行動や餌と結びつけると覚えるようです。

 愛犬コロやレース鳩に負けず、これからも私は英語のボキャブラリー挑戦を続けたい。

  

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2011年11月 3日 (木)

私の歩く目的はただ一つ・・・血流を速めること

Dscf0556  家から倉賀野町の烏川沿いに広がる「緑地公園」まで歩いて往復すると約4Kです。ここへのコースは車の通らない道を選びます。

 注意点として早朝や寒い時は厳禁です。血管内壁はかなりデリケートといわれ、急激な温度変化やストレスにすぐ反応し、それは血圧上昇につながるようです。温かい時に歩きましょう。

 往復して家までの到着時刻を測ると、速ければ45分で、普通は55分から60分です。実際は知人・友人と会って話すことがあります。しかし、到着時刻が目的ではないので想定外のことがあっても柔軟な気持ちで対処します。要は血流の速度を増すことです。

 時々はコースを換えて大鶴巻古墳へ行って登ったりします。登り始めると途端に呼吸が荒くなり、心臓に負担がかかることが分かります。

 高さ20m程でも頂上からの景色は良く、上越・長野新幹線の通過が見えます。ここは5~6世紀の倉賀野の豪族の墓と思われます。倉賀野には現在3つの大きな古墳が残っており、当時、山のない倉賀野で古墳を作るに必要な土は、現在の仲町と下町間に不自然に広がる低地と推測できます。

P1040637  勾配のある道と平坦の道とでは歩くのに異なる筋肉が活躍し、登りに必要な筋肉は大腿部中心となり、血流も速くなると悟ります。

 一方、運動を継続するには、コース変化も気分的に大切でしょう。近くなら自転車で行ってから歩いたり、車で行ってからでもいいです。

 玉村町付近や、新町付近には歩き易い道が走っており、近くは利根川や烏川が流れ、静寂さと空気がいいです。

 ところで、タイトルのように私が歩く目的はただ一つです。それは生涯見ることのできない動脈・静脈内の【血液のスピードを速めること】です。

 平素の脈拍は72程度でも、1時間連続して歩くと110前後になります。

 歩き方も工夫します。散歩では脈拍がこの速さに到達しません。やはり、アメリカンウォーキングが最適と考えられ、心臓も疲れません。心臓に負荷がかかり過ぎては本末転倒です。この歩き方は私に合ってます。心臓が苦しくなる寸前まで速度を上げます。

 アメリカンウォーキングは踵から着地し、腕は直角に曲げ遠方を見ながら姿勢よく歩きます。もし、腕を下げ手を振ると遠心力と重力により手先・指先に血液が溜まる傾向になります。その点、肘を曲げたアメリカンウォーキングはこれを解消し、歩くスピードは格段の差になります。

 スピードが増すのは肘が振り子のように一定になり、速い前後運動になります。このとき脈拍が前述の値に達してると考えら、私は血管の内壁と血流を意識します。

 動脈硬化を及ぼすコレストロールは、血管の内壁にこびり付き、結果として血管内が狭くなり、血流が悪くなると考えます。歩くスピードは血流のスピードに比例すると考え、スピードある血流が血管内のコレステロールを洗い流す意識が肝心です。

 この意識を持つと、日々歩くことが持続できると思ってます。直角に曲げた肘を前後に振る歩き方は上半身の血流も良くなることが実感できます。

 また、最近、叫ばれてる足の血管の病気では、足が冷えたり、痺れたりし、【これは足の筋肉に酸素が十分に運ばれてない状態】で、血管が狭くなってるのではないかと考えます。

 特に、足の静脈は重力に逆らって、血液を高い位置にある心臓へ戻す任務があり、このためには、ふくらはぎを中心として足の筋肉の助けが必要になります。

 ずっと同じ姿勢で起こるエコノミー症候群では静脈の中に、血の塊である血栓ができるといわれ、長い時間、椅子に座ったりしないことが肝心でしょう。ドロドロした血液の解消には、まず手足を動かすこと、及び水分補給が肝心です。

 結論的に、歩くことにより足の筋肉に負荷を与え、血流のスピードを上げ、脈拍を上げ、平素、一分間に18回ほどである呼吸を40ほどにします。歩いた後、脈拍と呼吸数を必ずチェックしましょう。先に30秒間、脈拍を測り、その後、30秒間、呼吸数を数え、それぞれ2倍します。 

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