倉賀野の七不思議・・・歴史講話を拝聴して
先日、公民館においてNPO倉賀野まちづくりネットワーク主催による「倉賀野町の歴史講演会」が開かれました。講師は以前に私と職場が一緒であった歴史家・田島先生です。
演題が私たち倉賀野町民にとって非常に興味あることから2時間に及ぶ講演はとても充実してました。倉賀野に生を受けて以来ずっと生活していても町の歴史について詳細を知らずに過ごしていたことが恥ずかしいほどです。先生の講演内容にはいくつも目から鱗が落ちました。
江戸時代中期から後期にかけての倉賀野は、年間を通じて諸大名の通行が頻繁で、それが中仙道倉賀野宿として繁栄した所以であり、一方、倉賀野河岸は烏川を使った江戸から越後や信州への中継地として物資輸送のターミナルあったのです。
また、閻魔堂は「日光例弊使街道」と「江戸への街道」が分岐する地点であったことから当時の倉賀野の賑わいは大変なものであったことが想像できます。閻魔堂内にある直径数メートルの大きな数珠は当時の旅人が長旅の安全祈願に使用したものと考えられ、現在も保存されて黒光りがしてます。私はこの数珠で健康を祈ったことがあります。
驚くことに、通過した諸大名は、越中(富山)、加賀(金沢)、信州はもとより、考えられないほど遠方の薩摩(鹿児島)、備前(岡山)から倉賀野宿を通過したと高崎史料集に記されてます。これは東海道を通ると「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれるように大井川があることにより、自然環境が安全な中仙道を経由したのではないかとのことです。
河岸については倉賀野から上流は川底が浅くなり、舟の通過ができなかったようで、それが理由で倉賀野河岸が終着地になり、それでも、渇水時は航行が難しくなり、浅瀬に乗り上げると両岸からそれぞれの地区の人夫がでて大勢で舟を曳いたとのことです。先生はそれをロシアの「ボルガの舟歌」のようだと形容されました。
ところで、諸大名は、特に正保四年(1647年)から日光東照宮への派遣も加わり、倉賀野での宿泊は極めて多く、旅籠屋は飯盛り女を置いた宿屋を含めて64件にも上り、現在、町の中央にある九品寺には、この飯盛り女の墓も多いと住職から聞いたことがあります。
それにしても、東京国立博物館には当時の倉賀野の地図が保存されたとは感激です。しかも、大方、現在と変わらぬ配置であったことが分かり、四つの大きな神社仏閣(○印で左から永泉寺、九品寺、養報寺、そして諏訪神社)も存在してたことが分かります。また、私たちが何気なく使ってる太鼓橋という橋の名や、現在使われてる上町、中町、下町という地名も当時から命名されてたことに、現在の私たちは尊い倉賀野の歴史の上に生きてることが実感できます。
先生の専門は古墳時代と聞きました。今回の講演は江戸時代の倉賀野宿が中心でしたが、私は古墳について興味津々で、チャンスがあれば倉賀野の古墳について拝聴したいものです。私の知る限り、倉賀野とその近郊(下佐野)には現存する古墳が八個あり、以前はもっと多かったと聞いたことがあります。
これは大鶴巻古墳で、下が浅間山(せんげんやま)古墳です。これらは私の足腰の鍛練地でもあります。
一方、倉賀野から高崎にかけての烏川沿岸一帯は弥生時代の集落跡がたくさんあるとのことです。なるほど高い崖が続き、洪水の心配がなかったことが頷けます。これほどたくさん弥生時代の遺跡があるとは全くの驚きであり、今後、弥生人の生活の跡を辿り散策するつもりです。
この他、倉賀野には火山灰によって出来た灰塚と呼ばれるものが多く現存し、これは天明三年・浅間山の大噴火により田畑に一面に降った灰を集めて埋めた穴とのことです。江戸時代の農家の苦労が偲ばれます。降灰で収穫できず、これは天明の飢饉といわれます。
実は私の家の庭は畑だったこともあり、一部が灰塚です。大きな植木を植えると30センチほどの厚さで細かい軽石がたくさん出ます。水はけがよく樹木には良いです。
この他、町の通りの裏には特に河岸の仕事として、牛馬が推定常に100頭以上常備されてたとは全くの驚きです。当時の倉賀野の人は動物と深いつながりにあったことが分かり、牛馬は運搬の原動力であり、江戸からの荷物を信州や越後へ運んだのでしょう。
当時の倉賀野の通りには厳しい検閲の木戸があり、関所のようなものと考えられます。上の地図にも記されてます。しかし、脇往還や姫街道など、ずいぶん抜け道があったとのことで、当局の目の届かぬところで旅人や人々は工夫していたのでしょう。
最後の田島先生の「歴史から学ぶことは沢山ある」との言葉が印象的でした。今まで、倉賀野の歴史に疎かった私は、先祖たちがどのようなことに喜怒哀楽を感じ、どのように生活をしていたのかなど、特に庶民の生活についての歴史を調べたいと感じました。
歴史講演会を企画して下さった「NPO倉賀野まちづくりネットワーク」の方々には大変お世話様になりました。
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