今までの人生で「恐怖」のどん底にあった体験二つ
それは例えば入学試験の失敗、入社試験の失敗、資格試験の失敗、投資の失敗、離婚などです。人により失敗はそれぞれ異なっても人生ではいろいろな運命に遭遇し、思った通りスムースに行かないものです。
それでも、失敗をバネに再チャレンジし、研究に研究を重ねたり、血の滲むような努力の積み重ね如何によっては「思いもよらぬ飛躍もありうる」と思ってます。
前回のブログで取り上げた「イチロー選手の言葉・・・ちっちゃなことを重ねることがとんでもないことになる」はスポーツのみならず、多くの場面でも自己の目標に近づく可能性が潜んでいると考えられます。
しかしながら、重大な病や、重大事故、自然災害に遭遇し、身体に被害を受けた場合は簡単に元通りにはいかず回復に時間がかります。身体が最も大切なことは日常いろんな場面で感じることです。
実は3.11東日本大地震の余震とみられる3月下旬の大きな地震が起こったとき、私は東京・新宿高層ビル群のあるビルの40階ほどのレストランにいました。
そのとき、ビルの中に緊急地震速報が流れ、間もなく揺れ始めました。平素の揺れ方とは異なる動きです。それはあたかもブランコ的で、ゆっくり一定方向へ行ったり来たりする揺れの連続です。 高層ビル内では、自らどうにも対処できません。外へ逃げられません。成すがままです。この揺れは「長周期地震動」といわれるものと思われます。
恐ろしいのはこちらのビルが動いてることで、遠方の景色が左右に動くのです。このまま動きが一定方向に行ったままなら「自分の生命に別れを告げる気持ち」です。地上100メートルほどの高さにあっては、どうにも仕様がないのです。
楽しいビールは恐怖へと180度の変貌。突如の大きな揺れに「生きた心地はないどころか」これほど悲痛な心境はなく、「止まってくれ」「止まってくれ」と心の中で叫び続けました。
揺れの最中、館内に流れる「このビルは耐震構造なのでご安心ください」の放送も、業務としてマニュアル通りに伝えてる気がしたのです。実際は倒壊するかもしれない恐怖の連続です。地震が収まっても、その後、4分くらいは大きく左右に揺れ続け、耐震構造と放送されても、「それはあくまで想定内のマグニチュードであった場合ということだ」と心で反論しました。
田舎者の私がたまたま新宿高層ビルなどに行くから、こんな悲痛な体験をしたのです。いつも低い建物にいれば逃げるチャンスがあります。大地震によるビルの恐怖は今後二度と体験しない覚悟ができました。今生きてる幸せを大切にし、余分なことはしない決意です。
一方、もう一つの恐怖は以前に取り上げたことがありますが、私は飛行機で墜落しそうになった体験があります。それはサイクロンの中をフレンドシップという小型プロペラ双発機に搭乗してたときのことです。
場所はインド・ベンガル湾上空。プリという町からカルカッタへ戻るとき、悪天候で予定の日に飛行できず、飛行機会社がチャーターしたホテルに1日足止めとなりました。未だサイクロンは停滞してるにもかかわらず私を乗せた飛行機は翌日出発してしまいました。
さあ、大変。
眼下に見えてたベンガル湾の大海原が突然姿を消し、窓からは一切何も見えません。乗ってる飛行機の主翼も見えないのです。濃い雨雲の中に突入し、一瞬、大きな衝撃があり、機体はかなり落下したようで荷物は天井に叩きつけられ、乗客は全員顔面蒼白(と言っても、実は私に他人を見る余裕はありませんでした。)椅子にしがみつき続けても、体が浮きあがり体重が感じられません。
そのとき、飛行機は推定200~300m落下し続けたのでしよう。落下が止まりません。「こんな海の上でこの世とお別れか」と心から悲痛でした。いつまで経っても、景色は悪雲のみ。いつになっても主翼が見えず、主翼がもげたかと思い込み、何と言う悲運か、若き人生が憐れになりました。希望を胸にインドに就職したのに、これでは取り返しがつかない。やり直しがきかない。
しかし、30分ほどの長い悪夢が過ぎ去り、やっと水平飛行らしきになり、「あっ、あった」と主翼が見えるようになっても、今までの「地獄のような体験は一体何だったのだろうか。」そして、やれやれ大丈夫だと命があったことに感謝しました。
大自然と文明の利器は常に危険が伴うことを脳裏に、これからも気を引き締めて生活したい。
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