星野富弘さんへピアノ演奏による倉賀野中学校 校歌を贈る
私は学生時代に体操部の女子床運動のピアノ伴奏をしてました。先日、元体操部のEさんが我が家に見え、近いうちに体操部の同窓会があるので、会の中で当時の曲を皆さんと聴きたいとのことでピアノ録音の依頼がありました。
当時、私はたくさんの選手に曲を付け、年月も経過したので多くを忘れました。それは作曲・編曲した楽譜はメモ程度に作って弾いてたからです。しかし、訪れたEさんの曲はロシア民謡「仕事の歌」をアレンジしたものなので弾き出したら、どうにか思い出し録音できました。
彼女と話をしてる中で、有名な星野富弘さんも出席されると知り驚きました。彼も体操部に所属してました。その話を聞いたとき私はすぐあることが頭の中に閃いたのです。
そうだ、【ぜひ彼に聴いていただこう!彼が新任教員として勤めた高崎市立倉賀野中学校の校歌】です。
倉賀野中学校に赴任し僅か2ヶ月ほどのとき鉄棒練習中に落下し、首から下が麻痺という大変な事故に遭遇されました。現在でもその状態といわれます。しかし、現在は詩画の作者として活躍されてます。
前述の通り、私は学生時代に体育館へ行って度々床運動のピアノ伴奏をしてたので、星野富弘さんはその姿を見てくださっていた可能性があります。
録音の日、Eさんの床運動の音楽「仕事の歌」を弾き終えた後、すぐに倉賀野中学校校歌を録音しました。
星野富弘さんが新任教員として赴任された当時からすでに40年以上経過し、また、新任2ヶ月前後では校歌を聴く機会があまりなかったと考えられても、彼の記憶が甦ることを願い私はしっかり弾き通しました。
実は、倉賀野中学校校歌は今は亡き私の姉が作曲したので私にも身近です。このため楽譜がなくても弾けました。 倉賀野中学校で姉は星野富弘さんといっしょに勤務してました。
ところで、体操部の同窓会が終わった後、Eさんに電話し、会での彼の校歌に対する印象を伺いましたが、やはり、勤務の日々が短かったこと、増してや長きにわたるその後の闘病生活、そして当時からあまりにも時間が経過し、校歌はほとんど覚えておられなかった様子とのことでした。私の姉のことは覚えておられたとのことです。
それでも、私は星野富弘さんにとって懐かしい新任校である倉賀野中学校の校歌をピアノ演奏でお贈りしたことに深く意義を感じました。
これからも、ピアノ演奏が人の役に立つように、来年こそは今年以上に練習したいと思い今年のブログ発信を終わります。
皆さまには1年間アクセス有難うございました。佳いお年をお迎えください。
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