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2012年11月19日 (月)

偶然は人生につきもの

073 【群馬県水上町・奈良俣ダム~坤六峠間】 

 人生で遭遇した偶然のことを振り返ってみます。

 私の祖父母は4人とも幕末の生まれで、私が生まれる遥か昔に世を去ってました。従って祖父母の味を全く知りません。

 今は亡き両親から40年程前、聞いたことを思い出すと、私の父方の祖母は明治中期では珍しく再婚とのことで、しかも、栃木県に子供を置いて来たとのことです。そのまま栃木県にいれば、父も私もこの世にいません。

 その後、同郷で400mほどの距離に住んでた私の祖父と再婚。しかし、明治の中頃の田舎では、離婚に周囲の目は厳しく、その土地には居られず、近くを流れる利根川の船着き場から、二人は当時、江戸と群馬県倉賀野を行き来してた舟に埼玉県・原道村から乗り込み、船頭に「行けるとこまで行って降ろすよう」に頼んだのでしょう。

 舟は50Kほど離れた終着港に着き、そこは見知らぬ倉賀野河岸。「もう、誰にも何にも言われないぞ」という祖父母の心境が伝わってきます。

 多分、暫くは安宿で生活したのでしょう。ようやく手に入れた家に住み、商売をはじめました。店の屋号は懐かしい故郷に由来する「原道屋」にしました。

 暫くして祖父母に子供が生まれました。それが私の父です。その後30年ほどした大正時代末に、父は隣村である木部村出身の私の母と結婚したのです。

 もし、何らかの事情で祖父母が倉賀野以外の船着き場に下船していたなら、どうなっていたでしょう。父と母とは巡り会わず、現在の私はこの世に生を受けません。

 こんなことから、私がこの世に生まれたのは全くの偶然で、ましてや、毎日当たり前のように暮らしている私の娘たちの命は偶然のまた偶然です。

068  一方、私の結婚も、職場で偶然に席が隣であったTさんの紹介ですが、実は彼の奥さまの職場に私の家内がいたのです。そんことからTさんご夫妻が私たちを会わせようと相談したのです。

 その前に、隣の席のTさんが奥様と結婚してなければ、私たちの結婚はあり得ませんでしたし、職場で私とTさんの席が離れていれば、親しく話をすることは少なく、紹介はまず無かったでしょう。

 ちょっと何かが狂えば、結婚とは相手が変わるものです。そんなことを考えると人生は誠に偶然です。先日、次女Marie Persimmon Marshの結婚式にTさんご夫妻を招待し歓談できました。もちろん、昔の偶然を感じながらです。

071  ところで、私は高校卒業後すぐ就職する予定でした。それは両親が年老いており、早く家計の手助けが必要だったのです。ですから、就職の勉強をしていました。

 高校では吹奏楽部でテナーサックスを吹いてました。そしたら、顧問教師であるH先生の目に留まったのでしょう。私に「大学へ行って音楽を専攻しなさい。」と一生懸命に、あるいは強制的と思えるほど執拗な指導を受け、それでも、置かれた環境を考えると、私は進学するつもりは毛頭ありませんでした。そして、ある晩、H先生は我家に来られ、ついに両親にアタック、強い勧めで進学を説得されました。

 今考えると、私の高校時代の進路変更は強引なH先生の方針によるもので、音楽は好きでしたが、大学進学は私の意志ではありませんでした。

 結果的に、これも偶然で、インド・カルカッタ日本人学校を皮切りに、群馬県内の高校音楽教師の道を歩み続け、人生の大半が音楽教育という予想外の職業を続けました。

 今となって振り返ると、H先生お薦めの高校音楽教師が最も適していたと思います。感謝の他はありません。先生に出会わなかったら、どんな職業に就いたでしょう。想像できません。H先生の執拗にして自信に満ちた指導のお陰で人生が思わぬ方向へ展開しました。ピアノやソプラノサックスと共にある生活も大きいです。

 人生とは考えもしないことが起こるものです。その後、我が師H先生は県立高崎高校に、教え子である私は県立前橋高校に勤務し、両校による定期戦で恩師と相見えることが毎年の楽しみになりました。

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