新暦7月7日を七夕とするのはもう変更すべき
明治5年に太陽太陰暦(旧暦)から現在の太陽暦に移行して、すでに141年経過しても、江戸時代に7月7日であった七夕を現在の太陽暦でも単純に7月7日にしてる地方は、無意味な仕来たりをいつまで続けるのでしょう。
七夕(たなばた)とは「星の祭り」だけのように思われがちですが、本来は、その字のごとく、月の満ち欠けが「七日目の夕刻」を指すのであって、これは旧暦の7月7日の夕刻を指し、現在の暦の7月7日の夕刻ではありません。写真のように月の満ち欠けが上弦の半月(7日目)という意味です。
今年の現行暦7月7日の晩は新月近くであることから月を見ることはできません。また、現在の7月7日は梅雨の真っ最中であることから、主役である織姫星と彦星を見ることは不可能に近いです。もし、見えても午後8時頃は東の地平線近くにあり、江戸時代のように天上に広がることはなく、月は上弦の半月とは限りません。
この図は右が南です。つまり、東の空に高く上った状態です。白鳥座の「デネブ」、こと座の「ベガ」=織姫星、わし座の「アルタイル」=彦星により「夏の大三角」を成します。
この「大三角」は8月の午後8時~9時に日本の上空にやってきます。 ちなみにデネブは北海道・稚内市の真上を通過し、ベガは宮城県・気仙沼市から山形県・酒田市を結ぶ線上を通過し、アルタイルはフィリピン・ミンダナオ島上空を、それぞれ東から西へ1時間に15度の速さで通過します。この中に天の川=the Milky Way=the Galaxyが流れてます。
私たちの先祖である江戸時代の庶民が七夕を祝った本当の日は【今年は8月13日】の晩です。理由はこの日が旧暦の7月7日に当り、月の形は午後8時から9時にかけて写真のように舟の形となり、織姫星と彦星より少し西に傾いて輝くからです。
この時季ともなれば、天候も安定し、織姫星、彦星、そして舟を表す半月がそろって見え、天体が演じる壮大なロマンスとなります。
一年の内で、たったこの一日だけ彦星と織姫星が会えるのです。平素、二人の間には「天の川」が流れており、西に輝く半月を小舟とし、二人はこれに乗って天の川の中でデートです。
一年に一回の理由は「月が小舟の形をし、主役の星たちが頭上に来る」のは旧暦7月7日の晩だけだからです。
ですから、七夕は「小舟を表す傾いた半月が西南の空あってこそ」意味があります。その上、旧暦7月7日は必ず「先勝」であることは未来永劫、不変です。時代を超えて恋は先勝ということでしょうか。
こんなことから、東京などで現在でも行なわれてる現行暦による7月7日の七夕は天文学上、全く意味を成してないことになり、子供たちの教育のためにも早急に変更すべきでしょう。
現在の中秋の名月も毎年異なる日(今年は9月19日)です。この十五夜を祝うように、七夕も毎年異なっても、もうすでに21世紀であることから、19世紀中ごろの間違いを正し、本当の七夕の晩を日本中で味わうべきと思います。
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