台風に負けず猛練習・・・高崎商業高校吹奏楽部
大型台風の接近で暴風雨の中、高商吹奏楽部第50回記念定期演奏会の2回目の練習会に参加しました。午前中からの音だしは十分に音が出るか心配しましたが、熱帯で生まれた台風の接近は気温が下がらず、室内での管楽器や打楽器に支障はありませんでした。
今回から練習会が一階の広い会議室で行われることから、生徒さんたちも解放感からか伸び伸びしてるように感じられます。数人のOB・OGが参加された合同演奏はやはり迫力が増します。
OB・OGの皆さんは、それぞれ県内各地の市民団体で演奏されてるようで、昔とった杵柄という感じてなく、現役のプレイヤーと感じます。
来る11月4日に群馬音楽センターで開かれる記念演奏会まで、あと1ヶ月半。現役の生徒さんとOB・OG、そして指揮を任された私も準備万端にしてステージに臨みたいと思ってます。
以前のブログで記述した通り、シべリウスの交響詩「フィンランディア」が作曲された1900年当時のフィンランドは、帝政ロシアの占領下にあり、国民は先の見えない厳しい生活に不安の日々であったと想像できます。
一方、これは現在、日本が直面してる東日本大震災復興の遅れや、進展のない原発問題に相通ずるものでしょう。同時に、避難を余儀なくされてる多くの方々の過酷な状況、生まれ育った故郷を離れざるを得ないやり場のない気持ち、そして、不自由な生活を強いられ、辛い状況はその方々でないと分からないことです。
しかし、先が見えなくとも国民は総力を上げ、いつの日にか避難生活が解除され、懐かしい我が家に帰れる日を、そして、原発問題が鎮静化するその日を皆持ってます。この曲には、そのような人間の渇望が感じられます。
曲の冒頭はトロンボーンを軸とした嬰ハ短調から平行調のイ長調へ、荘厳なコラールは再度、ホルンへとバトンタッチし、今度はイ短調からハ短調へと目まぐるしく転調し、和声的展開を見せます。このコラールには理不尽な現実と、解決への祈りが同時に内包されてるように感じます。
ところで、指揮をすることは「お巡りさんの手信号」に似ている面があり、それは奏者に各パッセージの音の出だしや終了、また、テンポを明示することが基本にあります。その上にあって曲想づくりになります。
曲は全曲を通じて、苦悩~絶望~祈り~怒り~希望~戦いが繰り返され、終盤は我が祖国「おおスオミ」の旋律に導かれ、かつての平和な国土の旋律が曲を支配し、苦難~克服~歓喜へ至る輝かしい未来を予感させます。
曲の進行が、厳しい現実から逃れず、次第に希望へと変化させる交響詩であることから、指揮についても、急緩、強弱、激しさ、静寂さ、そして愛国心など人間の希望を柔軟に表現できたらと思います。
ゲネプロを含め限られた練習会はあと3回。その都度、生徒さんの音色の豊かさを重視し、晩秋のステージを迎えます。
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