交差点に入ると信号機がなくなる倉賀野旧17号
倉賀野町の街中を走る旧17号は、江戸時代に中仙道の宿場町として栄え、当時は旅籠屋71軒、茶屋9軒、商家34軒、造り酒屋2軒と、倉賀野宿の賑わいは大変なものだったと伝えられてます。
驚くことに、参勤交代でここを通過した諸大名は越中(富山)、加賀(金沢)、信州(長野)はもとより、考えられないほど遠方の薩摩(鹿児島)、備前(岡山)から倉賀野宿を通過したと高崎史料集に記されてます。
理由の一つは、東海道を通ると「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」といわれるように、自然環境の安全な中仙道を選んだのではないでしょうか。
倉賀野町には利根川の支流・烏川が流れており、ここは江戸から高瀬舟による物資運搬の終着地であり、倉賀野河岸といわれます。
現在でも港の雰囲気が感じられる地形を成してます。倉賀野河岸で荷を下ろし、現存する牛街道を通過し、その後、陸路で信州や越後方面へ海産物や塩などが運ばれ、帰り舟は陸で採れた作物などを江戸へ運搬したターミナル基地でした。
当時、この地には江戸からの海産物や信州・越後からの物資を一時的に預かった「倉」がたくさんあり、倉賀野という地名の由来はたくさんの「倉」と共に、倉賀野の「野」とはここ一帯が広野であったことによると推測できます。
このように歴史的に交通の要所であった倉賀野も現在では往時より賑やかさは薄れているでしょう。しかし、小学校、中学校が1校ずつあり、明治初期に倉賀野河岸に変わった倉賀野駅があることは住民にとってこの上ない便利なものです。新幹線を使わなくても高崎線に乗れば直接、東京へ1時間40分で行ける交通の利便さがあります。
ところで、歴史的に由緒ある倉賀野町の中央を走る旧17号ですが、先日、交差点内を車で通過中「あれっ、信号がなくなった!」と慌ててしまいました。
そこは下町と仲町の間にある交差点で、アピタ方面へ行く信号です。この交差点を仲町方面から下町方面へ向かって進むと、交差点の入り口では信号が青でも、交差点内で信号灯がなくなるのです。
「私は本当に青で入ったのだろうかと」自らを疑いました。歩行者用の信号はあっても、自動車用の信号がなくなり、「ハッと」しました。
写真は交差点内で撮影したもので、運転席から見て信号灯がありません。また、南側に設置してある「たかさき人権プラザ」の看板が南側の信号機を隠してしまう瞬間があります。
もし、ここで「信号無視の取り締まり」をしたら取り締まる方も難しいでしょう。交差点内で信号機がなくなる不思議な交差点です。
倉賀野には昔からいくつか不思議なことがありますが、これもその一つです。今のところ信号不備による事故の話は聞いてませんが、運転中「前進していいのかな」と自らを疑うことがあります。
【たかさき人権プラザの案内板が邪魔になり瞬間的に南側の信号機が見えない】Click please!
ここは変則的な四っ角で信号機の不自然な設置であっても、交差点を運転中、前方の信号機がなくなると誰でも「ドキッ」とするでしょう。
事故が起こらぬうちに、そして、運転者の不安を取り除くためにも、より安全へ改善を求めたいです。
| 固定リンク
「倉賀野の七不思議」カテゴリの記事
- 倉賀野に広がる不自然な窪地(2020.08.30)
- 欅の木 朝から晩まで 蝉しぐれ(2019.08.09)
- 驚愕!!倉賀野河岸の大杉神社が榛東村に現存(2018.01.29)
- 10年以上、咲かなかった永泉寺の藤に蕾がつく(2017.04.17)
- 植木職人の離れ業か・・・三色サルスベリに感銘(2016.09.09)
コメント