鳩を飼育してた偉大な芸術家たち
この鳩の父は群馬県・高崎市から直線で1040キロ離れた北海道最北の地・稚内から帰還した鳩で、写真の鳩はその子供で名は「モザイク二世号」です。
私が鳩を飼い始めたきっかけは、幼児期における「お釈迦さまと鳩」という紙芝居を見て、古巣に戻る鳩の不思議な習性を知ったことに始まります。それ以来、小中高と鳩の飼育を続け、途中、大学生活4年間と、卒業と同時に赴任した海外日本人学校勤務でインドに滞在してた2年間を除き、その後ずっと鳩を飼育し続け現在に至ってます。インド滞在中も鳩のことは忘れませんでした。
ニューデリーの元の街であるオールドデリーの公園には何百羽という鳩が遊んでます。決まった時間になると一人の人が大きな袋を担いで公園の真ん中に歩いて来ました。鳩たちはその人が餌をくれることを知っており、すぐに、すべての鳩がその人に群がり、大きな袋から撒かれた餌を5分ほどで食べ尽くしました。その後、公園の噴水で喉を潤す鳩たちの安堵した姿が今でも脳裏に焼き付いてます。インドでは鳩は大切にされてると思いました。
帰国してから今までレース鳩飼育を続ける一方、私の生涯を通じての仕事は高校音楽教師でした。まるで、本日のテーマに合致する生涯と言えそうです。
現在は一人暮らしを余儀なくされてることから、家族は柴犬とレース鳩だけで、動物飼育は毎日の給餌や清掃、訓練と責任が伴います。しかし、生涯を通じてのレース鳩飼育は日々楽しさに満ち溢れ、飽きることがありません。それは血統的な追究があるからでしょう。
鳩の習性は他の動物にないことで、人間が作った小屋を自分の家として覚えて馴れ、遠方から飛ばしてもその小屋に戻る不思議な能力を持ってます。長距離を帰る鳩は両親や祖父母から受け継ぐ長距離血統が肝心であることから、レース鳩飼育者は訓練など管理と共に、血統に拘りを持ってます。
【ドボルザーク・チェコ1841~1904】ウィキペディアより
前述の通り、私は音楽家の端くれですが、生涯を通じて鳩と共に生活していることから、世には同じように鳩をこよなく愛育していた著名な芸術家もいました。
音楽家としてのレベルは段違いですが、写真のドボルザークが生まれ故郷チェコの別荘で鳩を飼育しながら作曲活動してた話があります。彼がニューヨークの音楽学校校長として招聘され、アメリカ滞在中に作曲した交響曲「新世界より」は余りにも有名で、このシンフォニーはアメリカの自然や、現地で黒人霊歌に感銘して作曲したといわれます。
第二楽章の「遠き山に日は落ちて」と日本語の歌詞が付いてるメロディーはどなたでも聴いたり歌ったりしたことがあるでしょう。実はこのメロディーは黒人たちの葬式の歌が原曲といわれます。基本は五音音階であり、悲哀に満ちた民族的音楽です。曲全体はアメリカ大陸の自然と共に、黒人霊歌からの感化、そして、生まれ故郷チェコの生活を思い出し、チェコ的なメロディーが各所に感じられ、クラシックとしてはポピラーな名曲です。
また、彼はアメリカ滞在中はあちこちの公園などで懐かしい鳩を見るチャンスがあったようで、その度にチェコで飼育してた鳩を思い出したようです。
それを裏付けるように、一般的にあまり知られてなくてもドボルザークには「鳩」を題材にした作品があり、それは交響詩「野鳩」です。
一方、画家ではピカソが鳩を飼ってた話は有名で、鳩が好きであった父の影響で息子ピカソも鳩を飼育し、絵画作品に鳩が出てきます。 彼は娘の名前をパロマ=鳩と付けたといわれます。また、有名な画家マチスも鳩を飼っていたと伝えられます。
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