深まる秋の一日、尾瀬ヶ原の湿原を行く
遥かな昔、東の「長蔵小屋」から西の「山の鼻小屋」まで延々と続く木道を歩いて尾瀬ヶ原を横断した学生時代以来、今回、暫くぶりに友人Samuel Toddさんと彼が主宰するAOTEA English Schoolの面々と、深まる秋の尾瀬ヶ原を満喫できました。
群馬県に生を受けても、なかなかそのチャンスに恵まれず、尾瀬行きはもうないと思ってました。しかし、急遽、温かなお誘いを受け、素晴らしい仲間たちと5人で、天高くどこまでも澄みきった紺碧の空の下、大自然に触れることができ生涯忘れ得ぬ充実した一日が過ごせました。
尾瀬国立公園の中心を成す尾瀬ヶ原は、群馬県北部に位置する広大な湿原で、周囲を山々に囲まれ、その広さは東西約6キロ、南北約2K、標高1400mの高天原です。ここは本州最大の高層湿原といわれます。
リーダーで山岳のベテランSamuel Toddさんの解説によると、この木道の意義について、湿原の泥炭素の堆積は1年で1mm弱であり、湿原が完成するには6000~7000年の年月が必要とされることから、これを保護するためにあるとのことです。
木道を作った人々の掛け替えのない湿原保護に対する思いと、そのご労苦を感じつつ一歩一歩前進しても、尾瀬ヶ原は殆ど景色が変わりません。それは別天地・尾瀬ヶ原が広大であることにつきます。
ところで、江間章子作詞、中田喜直作曲「夏の思い出」は尾瀬ヶ原の素晴らしさを余すところなく歌い上げる自然への讃歌であり、これほど自然と音楽が溶け込んだ歌曲も少ないでしょう。
江間章子さんは実際に尾瀬を訪れたことがないそうで、おそらく体験者の話の印象をまとめて作詞されたのでしょう。一方、中田喜直さんは「小さい秋見つけた」などの作曲で有名です。父上・中田章さんは私が最後に勤務した前橋高校校歌を作曲された人です。親子で群馬県に関係する歌を作曲されました。
尾瀬ヶ原は東西二つそれぞれ特徴を有する大きな山に見下ろされた湿原で、東に男性的な「燧ヶ岳」、そして西にその名も珍しい「至仏山」がなだらかに聳えます。
ご覧の通り、至仏山はその稜線が女性的な山容を誇っても、5年ほど前の登頂では時間もかかり、山岳が素人の私にはきつかった思い出が蘇ります。しかし、その甲斐あって、山頂からのパノラマはしっかり脳裏に焼きついてます。下の写真は当時、山頂から撮ったもので眼下に尾瀬ヶ原が広がり、遥か前方に燧ヶ岳が聳えます。
歌曲「夏の思い出」に出てくる「浮島」が尾瀬ヶ原の特徴の一つです。おそらく水辺にあった植物群が長い時間を経て岸から離れてしまったと推測します。本当のところ、乗ってみたい心境です。
群馬県には尾瀬ヶ原以外にも日本最大といわれる「浮島」がモリアオガエル生息地として有名な「大峰沼」にもあり、ここもお薦めです。
今回、秋の一日を足手まといの私と一緒に尾瀬を歩いて下さった素晴らしき仲間たちに感謝すると共に、次回のクリスマスパーティーでは拙いピアノ演奏で恩返しができたらと思ってます。
« 偶然にも、高山社の空気流通法に似てる私の鳩舎 | トップページ | 人生で手術は幾度かあるもの・・・翼状片手術 »
「群馬の自然」カテゴリの記事
- 思わず、シャッターを切る(2024.08.31)
- 低気圧から高気圧への推移(2024.06.18)
- 暫くぶりに森の中をウォーキング(2024.04.27)
- 浅間山を眺める度に、蘇る若き日の登頂(2024.02.09)
- 群馬県西部の光景に思わず惹かれる(2024.01.23)
コメント