偶然にも、高山社の空気流通法に似てる私の鳩舎
この度、めでたく世界遺産となった群馬県【富岡製糸場と三つの絹産業遺産群】の一つである藤岡市の高山社跡を見学しました。私の家から車で30分ほどで、高山社跡前の道路は有名な「二千階段」へ行く途中であり、以前に亡き妻と通過したことがあります。
先ず、見事な石垣を形成した長屋門の構えに、江戸~明治時代の重厚さが漂い圧倒されます。
時代劇に出てきそうな構えの長屋門の中央が中庭への入り口で、左右対称の白壁は倉庫になってます。入口には大きな扉があり開閉できます。白壁の倉庫内はおそらく当時の養蚕関係の物品を貯蔵してたものと推測されます。
入口を入ると、どこか日本の原風景が漂う大きな母屋が目に入ってきます。子供の頃、倉賀野町や近隣集落でよく見かけた懐かしい一般的な農家の風貌です。
昔は家の周囲にも田んぼと並んで、桑畑がたくさんあり、桑の実である赤い「どどめ」を食べたものです。子供心に葉は蚕の餌となることは知ってました。群馬県の多くの農家では二階で蚕を飼ってた記憶があります。現在でも私の倉賀野町ではこの形に似た建物が数軒存在します。
高山社は幕末に生まれた高山長五郎(1830~1886)によって確立された養蚕飼育法で、それまでは年一回であった養蚕を、四季を通じて生産できる「清温育」の技術を、この場所で日本全国からや朝鮮半島、中国からの留学生に指導し、生徒は卒業後に地元に帰り、「清温育」を普及し、また、指導員として各地に派遣されたと伝えられます。
「清温育」とは、それまで年によって収穫にばらつきがあった繭の収穫量を安定させたり、品質向上をめざすもので、それは蚕の飼育管理を夏期、冬期の「温度調節」、乾燥期、梅雨期の「湿度調節」、年間を通じて新鮮な酸素を取り入れる「空気流通」など蚕の健康管理や、餌となる桑の葉の乾燥を防止、脱皮後の桑の葉の給餌法などを、きめ細かく管理調整できるよう確立した蚕の生育法といわれます。
一方、母屋の裏庭には深さ4mほどの石垣で出来てる「桑貯蔵庫」が現存しており、今回の見学で私が最も感銘を受けたものです。これこそ高山社の昔を今に伝える貴重な証拠と認識できました。
母屋については昔あちこちで見た農家の家の中と変わりありませんでした。現在でも、群馬県内には同様な建物が散在してます。
ただ私が、母屋で感銘を受けたのは二階と一階の空気を流通させた窓(写真上)です。一階からは天窓となり、二階としては床にある窓です。空気は東西南北に動くだけでなく、上下にも動くことを利用し、温度、湿度の調整と、十分な酸素の流通を徹底し、蚕の健康管理を図ったことが頷けます。
偶然ですが、高山社母屋に存在する空気流通口と、私の鳩舎の流通口が余りにも酷似してます。まるで、私が真似したのではないかと思われる程よく似てますが、「清温育」確立者・高山長五郎の考えた蚕飼育法と、私のレース鳩飼育法は空気流通の必要性で一致してたことになります。
40年ほど前、高崎市のレース鳩界の今は亡き大先輩から教わったことが頭から離れず、現在の鳩舎建設時にこの空気流通窓を作りました。当時の大先輩曰く「鳩舎の構造は鳩舎全体を煙突にすべきである」との教えでした。舎内では常時、汚れた空気を換気し、新鮮な酸素の必要性を諭したのでしょう。
今回、高山社跡を有意義に見学しましたが、今後は他の絹遺産群も順次見学し、世界遺産としての歴史を認識するのみに終わらず、今後の生き方にプラスになる観点で、群馬県にある世界遺産にしっかり触れてみたい。
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