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2014年12月

2014年12月30日 (火)

世界の人口増に不可欠なヘルスケアー&バイオ

P1060052Click please!

 高齢化社会にあって私は小学校高学年ほどに相当するでしょう。最近、秋から年末にかけて、立て続けに三つの身体的不自由さを味わいました。まず、10月下旬の翼状片手術、これは白目の一部が黒目に被さる病変で、目を開けたままの状態で執刀医のメスが目に入ってくる結構怖い手術です。

 また、今月中旬には原因不明の腱鞘炎に悩まされ、利き腕である右手が使えない不便さと痛さで、衣食住についてQOL(生活の質)がかなり低下しました。もしかして、これは脳梗塞から来るのではないかと疑念を持ちましたが、MRI診断では異常ありませんでした。

 その後、下旬となって今度は自身の不注意により、消費期限の過ぎた牛乳を飲んだことが原因で、一晩中、激しい嘔吐に苦しみ、このようなとき、一人暮らしは情けなくなりました。

 結局、お世話になった恩師の葬儀に出席できず、日を改めて伺うつもりです。このような事態でも家族の必要性を感じます。翌朝、娘がお粥や脱水症状回復のためにポカリを持って来てくれました。

P1040314【榛名山・雌岳より見た水沢山・・・私のお気に入り】 

 平素、拙いブログで健康面を扱ってることから、私自身、血流が良くなるための運動に心がけ「ジム」に通ったり、低山を登ったり、天気の良い日に倉賀野を1時間ウォーキングしたり、栄養面から充実した朝食の重要性を実践していても、このように病魔に侵され、何とも惨めな年末になりました。幸い、三つともそれぞれ快方に向かい、どうやら健康で新年を迎えられそうです。

 今年一年を振り返えると、私自身に大きな変化はありませんでしたが、次女に娘が誕生し時々会えたことが喜びでした。私のことを「グランパ」と呼ばせることにしました。

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 ところで、【退職後の生活とは大海原を手漕ぎボートで進むようなものです。】

 万人にとって、いつか必ず来る退職後は、今までのように、経済面や健康面において、会社がバックアップしてくれることはありません。すべて自分自身で生きていかなくてはなりません。収入は、65歳からの年金になりますが、元気なうちは働くことが経済的に断然、有利です。また、精神的にも充実します。

 支出面では、高齢者は年を取れば取るほど医療費が生活費全体の中で、大きな割合を占めることになります。これは日本の高齢者みならず、世界の高齢者、そして、やがて仲間入りする現代の若い人にも共通のことです。人間は年齢と共に必ず身体的に不具合が出てきます。

 その結果、世界的に見ると、特に新興国の人口増と共に医療、医薬品、医療機器、そして新たな医薬品の開発・製造こそが、高齢化が進む先進国にとっても欠くべからざるものです。

 世界の人口は現在、約70億人と推定され、10年後の2025年には80億人と推測されます。この人口増に対処するには【食料の確保が第一】であり、併せて医療・医薬品の充実こそ間に合わせなくてはなりません。

 現代から近未来へは、世界的規模による気候変動時代に突入し、それによる自然災害の増大も懸念され、感染病の拡大も危惧され、果たして、私たちの子々孫々である人類の近未来は幸福が約束されるでしょうか。

 これに対処するため、私たち現代人が協力すべきは、医薬品製造や新たなバイオテクノロジーの研究、ヘルスケアー関連に投資することではないかと年末にあたり、強く感じてます。 皆さま、佳いお年をお迎えください。 

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2014年12月26日 (金)

脳梗塞を疑いMRIで検査・・・医師の診断は・・・

P1030715_2 【上越国境・谷川連峰・・・群馬県大峰山頂より撮影】

 私の恩師であり、仲人であった内田元彦先生が逝去されました。日本体操協会の指導者であり、海外において全日本女子体操チームの監督の任にあたり、東京オリンピックではNHK実況放送の解説者を務められました。

 学生時代に私は体操女子・床運動のピアノ伴奏していたことから、先生と出会い、それ以来広い視野の先生に影響を受け、最初の就職が海外日本人学校につながったと思います。

 虫の知らせか、2ヶ月ほど前、私はお会いしたくなり、先生宅に伺い、奥様ともども1時間ほど話ができ、今となっては良かったです。しかし、それが最後になろうとは思ってもいませんでした。今年の冬は例年になく寒冷であることから体調を崩されたのでしょう。

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 ところで、2週間ほど前、私は腱鞘炎になり、痛くて右手が全く使えなくなりました。右手が使えないとQOL=quality of lofe【生活の質】が低下し、平素、意識してない右手の重要さをしみじみ痛感しました。

 顔が洗えず、歯磨きから、ボタンの取り外し、靴下の履き替え、文字が書けなく、箸も持てなく、車の運転もままなりませんでした。ある朝起きたら、すごく痛くて「じゃんけんの動作」ができません。原因に心当たりが全くなく、就寝中に布団から手を出したままになり、冷えたのかなと素人考えでいました。

 近くの整形外科に通院し、レントゲンを撮りましたが、骨に異常は無いことが判明し、腱鞘炎と診断されました。電気マッサージや張り薬、そして痛み止めの飲み薬で、1週間でようやく回復に向かい、現在では完治した気持ちになりました。

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 ところが、昨日の朝、友人Samuel Toddさんから電話を戴き、私の腱鞘炎について原因不明であることに心配され、彼曰く、それは、「もしかして脳梗塞から来た症状である可能性がないとも言いきれない」とのことで、すぐ脳神経外科で脳のレントゲンを撮るように勧められました。

 内心、そんなことがあるのかと思った私はかかりつけの吾妻脳神経外科に行き、早速、MRI=Magnet Resonance Imagingで断層画像を撮ってもらいました。

Mriscanroom【MRI機器】

 検査時間は30分程度ですが、撮影中は物凄い大きな音が頭に断続的に響きます。これがResonanceの意味である響きであり、耳栓する人もいるようですが、私はその音を直に聞くようにしました。

P1060050_2 【脳内の血管】

 10年来、お世話いただいてるK医師は、画像を見るや否や「全く心配入りません」と診断してくださいました。私は脳梗塞の疑いが晴れ、何の薬も処方されず帰路につきました。

 母上様が手のしびれなどに始まり重篤になられたことから、私に脳梗塞の検査を勧めてくれた友人Samuel Toddさんに診断結果が分かったと同時に病院から電話を入れ、結果報告と感謝を伝えました。心から心配してくれる友人は有難いものです。

 私としては、現在続けてる高崎市の浜川トレーニングセンターで「血流を速める運動」を少なくとも週に1回は続け、脈拍130/mを目指し、「スムースな血流の大切さ」を再認識し、これを機会に運動の継続と、栄養面から「朝食中心主義」を継続する気持ちをいっそう新たにしています。

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2014年12月22日 (月)

冬至の太陽は「いて座」付近・・・珍しく新月の冬至

Photo 【水沢山頂の日の出】・・・友人Samuel Toddさん撮影による

 本日は二十四節気の一つであり、天文学的にも一つの区切りである冬至です。太陽黄経は春分点から270°であり、これは赤経18hです。太陽の赤緯が最小【-23.4°】になります。

 つまり、冬至とは太陽が最も南になる一瞬であり、その瞬間は日本時間では本日午前8時03分と計算され、この瞬間に南回帰線上に接します。ニュージーランドやオーストラリアなど南半球ではこの瞬間が夏至です。

 眩しくて観察不可能であっても、本日の太陽の少し西に「さそり座があり、東側に「いて座」があることから、冬至点は「いて座」の範囲にあります。いて座には「南斗六星」が含まれます。

Photo_2 【いて座付近の冬至点・・・ウィキペディアより転記】

Photo_3 【さそり座の東(左)にあるM20付近が冬至点】

 いて座は夏の星座ですから、現在では夜間に見えません。いて座に含まれてる「南斗六星」を来夏は確認しましょう。日本など北半球から見ると「さそり座」のすぐ左です。

 冬至の本日、群馬県の日の出は午前6時52分、日の入りは16時33分であり、昼間の時間は9時間41分です。群馬県西方はすべて山岳なので実際の日の入りは16時20分前後です。

 地球規模で見ると、本日、北緯66.6°の北極圏以北では極夜であり、一日中太陽が出ません。逆に南緯66.6°以南の南極圏では白夜であり、一日中、太陽が出てます。しかも、南極で太陽が動く方向は日本では起こり得ない現象であり、それは東~北~西~南へと移動し沈みません。それも地平線近くです。

 ところで、今年の冬至は珍しく「新月」と重なってます。このため、本日は旧歴の11月1日でもあります。つまり、太陽の近くに月があり、ついでに、本日は「月」と共に「水星」と「金星」も太陽の近くにある不思議な冬至の日です。

 あと約2ヶ月後が旧暦の1月1日です。江戸時代の日本や現在の内モンゴルでは正月は2月19日です。

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2014年12月19日 (金)

倉賀野緑地で脈拍を上げるウォーキング

P1060018 【倉賀野緑地の高台にある休憩所】

 冬至前でも温かであった今日の午前中、家から往復1時間の倉賀野緑地までウォーキングしました。ここ数日は寒波の到来で厳寒でしたが、昔の人はよく言ったもので長い目で見れば三寒四温の繰り返しです。

 今の時季は日中の時間が短く、群馬県の今日【12/19】の日の出は6時50分、日の入りは16時31分なので昼間の時間は9時間41分です。因みに【夏至の昼間の時間は14時間39分】程で、その差は約5時間です。

P1060022 【ウォーキングに適してる倉賀野緑地・・・遠望は妙義山】

 ところで、私たちはややもすると勘違いしがちですが、統計的に、冬至直前の日の入り時刻は12月上旬よりすでに遅くなってます。つまり、夕方は日が伸びてます。冬至の日の日没が最も早くはありません。日没が最も早いのは11月29日~12月15日頃です。つまり、冬至の日没【16時33分】は12月5日の日没【16時28分】ころに比べるとすでに5分ほど伸びてます。一方、これからは日の出時刻が次第に遅くなります。

P1060024 【倉賀野緑地から見える活火山・浅間山2568m】

 ニュース映像で見る先般の御嶽山の噴火は凄まじかったですが、私が中学生の頃の浅間山の噴火は噴煙が上空5000メートルほど立ち上り、その噴煙が東に伸び、倉賀野一帯も降灰があり、音を立てて降りました。特にトタン屋根に降る灰はザーザーと強い音でした。

 現在は一見静まりかえってる浅間山ですが、天明の大噴火は麓の集落【鎌原村】を未だ埋没させたままであり、地球規模の間隔で考えると、未来は同等規模の大噴火が起こっても不思議ではありません。私の家の庭を掘ると現在でも浅間砂の層があります。おそらく230年前の天明の大噴火により、当時の農家の人たちが集めた灰塚と考えられます。

P1060030【倉賀野緑地から牛の背のように見える荒船山1423m】・Click please!

 今年、世界文化遺産になった富岡製糸場跡と絹産業遺産群の一つが「荒船風穴」です。すでに見学を済ませブログでも扱いましたが、「荒船風穴」は荒船山の近くにあります。現在でも風穴から冷たい風が出てます。この冷風で蚕の卵を保存し、年間を通じて蚕の生育を行い、絹の生産量は以前に比較し大幅に増大したと伝えられます。 

4183 【7年ほど前、荒船山の登山道で鳩を運ぶ小生】 

 荒船山は倉賀野からよく見え、私の家の窓からも見えます。実はこの山頂からレース鳩を倉賀野まで飛ばしました。しかし、こんなことをした人は日本人では一人かもしれません。鳩は無事に戻りました。

P1060025【倉賀野緑地より西群馬の霊峰・稲含山1370mを望む】

 富岡地区からは手に取るように聳える稲含山で一度友人夫妻と亡妻との四人で登頂しました。眺望は最高で関東平野がよく見えました。倉賀野緑地から見えるということは、稲含山頂から倉賀野が見えることになります。それには、望遠鏡が必要でしょう。

P1060031【倉賀野緑地のすぐ南を流れる烏川】

 今の季節、シベリアやカムチャッカと推測される地域から渡り鳥が烏川で羽を休めています。ここは江戸時代の河岸跡であることから今でも水の流れは緩く、渡り鳥にとってサンクチャリーです。今日は発見できませんでしたが、時折、コハクチョウが姿を見せます。

 ところで、ウォーキングは一見、足腰の鍛練のように思われがちですが、実を言うと、私が行うウォーキングの目的は【澱みない血流の速さ】であり、脈拍120前後を暫く続け、身体全体の細胞に刺激を与えることです。脈拍を上げる運動は、全身の血流をスムースにすることから健康維持にプラスになるでしょう。

 ウォーキングの原則・・・踵から着地です。そして寒い時間帯を避け、太陽が高く上がった温かい時間帯を選びましょう。血圧に考慮すべきだからです。

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2014年12月15日 (月)

両親は亡き後まで子供に影響を与える

P1060010 【昭和初期の建設日付が刻まれてる屋敷内にある稲荷様】

 本日、12月15日は昔から父が屋敷祭りをしました。この日が来ると半紙を切って篠に挟み、オンベロを作り、石でできた小さな祠に尾頭付き鰯を供え、確かその他の食べ物も供え、ろうそくに灯をともし、屋敷に感謝していた父の姿が脳裏に浮かびます。何のためにこの年中行事をこの時季に行っていたのか、生前によく聞いておけばよかったと悔やまれます。

 若気の至りで、このような仕来たりに関心を示さなかった私ですが、今では父の年齢になり、家屋敷に対し、年末に感謝の気持ちを表すことは必然なことと悟ってます。

 私には娘が二人おり、すでに独立してることから、平素は一人で家内外の管理をしてます。特に今年は生まれて初めて地続きの土地を12坪購入し、数年前の官地5坪の払い下げと合わせ、私の代になって17坪増えました。

 土地は相続して次代に引き継がねばなりません。しかし、今の時代はたとえ男児がいても引き継ぐかどうかは分からない時代で、ましてや、娘のみの我が家はどうなるか心配ですが、しばらくは今のまま独立して借家に住んでいても、遠い将来は相続し家を守ってもらいたいものです。

P1050290【生まれて初めて購入した隣接地】

 生前の母曰く「地続きの土地は価値があるので借金してでも買え、と昔から言われていたよ。」との言葉を思い出し、金額も張ることから幾分か迷っていた私の背中を亡き母がポンと押してくれました。

 通常、私たちは隣接地を購入することは不可能です。それは他人の家が建って場合があるからです。隣接地が買えるのは生涯に1回あればラッキーな方でしょう。今回、今まであった木造アパートが急遽、取り壊され、空き地になったその瞬間に「母の言葉」が思い出されました。

 この千載一遇のチャンスを捉えたのは亡き母のお陰でしかありません。不思議です。この世にいなくても「親とは子供に大きな決心をさせるもの」です。

P1060014_2 【21世紀と共に建てた家】

 ところで、「屋敷祭り」は私の群馬県で広く行われてる行事です。全国的にもあるでしょうが、群馬には屋敷の隅に祠がある家が多くあります。中にキツネの姿をした像が年間を通じて飾られます。

 私の屋敷については、今後、おそらく2月頃、新規に購入した土地の周囲に焼きべスロック塀を作る予定で、完成後は実のなる植物を植え、四季折々の風情を楽しみ、小鳥が集まる森のようにしたい夢があります。 

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2014年12月11日 (木)

「愛犬の可愛さ」と「衛生観念」は切り離す

400985_124269521029456_100003392251 【裏庭で放し飼い・現在9才の柴犬コロ♂・・・室内に入っていけない約束】

 妻が亡くなって1年ほど経ってから、やはり何か寂しかったのでしょう。当時家にいた次女が犬を飼いたいと希望し、埼玉県上里町の柴犬専門O犬舎に二人で見学に行きました。柴犬の子供は本当に表情がよく、可愛くて娘はどうしても欲しくなり、後日、私が一人で買いに行きました。

 当時すでに6ヶ月ほどの子犬だったことから果たして馴れるか心配でしたが、その心配をよそにすぐに馴れ、家族の一員として娘と私の共通項となりました。愛犬「コロ」の役目は大きいものです。

 私は少年時代より半世紀以上、レース鳩を飼育してることから、できればレース鳩のように血統的にきちんとしてる犬がいいと思いました。このため、レース鳩の友人ミストラルさんに尋ねたところ、彼と同じ地区で以前にレース鳩を飼育してたO犬舎を紹介していただけました。

P1060009 【コロの日本犬血統書】・・・Click please!

 愛犬「コロ」の正式名は「上里の天空号」と名付けられ、なかなか品格ある名前です。血統所を見ると「鉄光号」の三重近親であることが分かります。しかし、両親が別の血統であることから近親の弊害は出ず、全くの健康体で、精神も日本犬独特の精悍さや、ものに動じない古武士の雰囲気を漂わせています。下の写真は以前に撮ったものですが、日本犬独特の「精神の張りつめ」が全身の隅々に漲ってます。

424384_124265617696513_1000033922_2 【平素は鎖で繋がれる不自由さはないコロ】

 現在、私は一人暮らしであることから、今となっては娘が飼育したいと希望を持ったことが現在の私の生活に潤いを与えているので、娘には感謝です。

 ところで、先日、飼育して初めて失敗がありました。元気な「コロ」が数日間、食欲がなく、ついに生まれて初めて2~3日間、下痢の症状が出ました。病気になったことがなく、他の犬との接触もなく、病気になる理由がありませんでした。このため、下痢ということは食べ物に原因があると思いました。

 よくよく考えると思い当たる節があったのです。それは私が食べた鯵の背骨を与えたことがあったからです。以前から鯛の骨は与えてはいけないと聞いてたので、それは厳守してましたが、鯵なら大丈夫と思いました。以前にも鯵の骨を与えたことがありました。

 しかし、今回は、もしかして腸のどこかに引っかかったのかもしれません。これは病気というより、私のミスによる怪我のようなものだったことになります。

 思い当たる原因が分かり、「コロ」に謝りましたが、表情にそれほど辛い様子が見られなかったので、家の周囲を散歩させたところ、嬉しそうだったことから、そのうち、骨は糞と一緒に排出されると思いました。

 その後、いつものようにドッグフードを与えたところ、次第に食べるようになり、現在ではその量も以前に戻り、幸運にも下痢が治って通常の糞にホッとしました。今後は魚の骨はすべて厳禁と決心しました。

 一方、動物飼育は人間の健康にも影響を与えることから、レース鳩飼育でも鳩舎内の埃をシャットアウトするため換気口を設置したり、舎内では必ずマスクを使用してます。

P1020853  犬を愛育する場合も、人間が自身の衛生に最も気をつけるべきです。特に、近年は高齢化社会が後押しするかのように、また、一人暮らしが増えてることから、小型室内犬を飼育してる人が急増してます。

 本当に家族のようであることが分かります。あるいは人間の家族以上に可愛がって飼育してるように見えます。いっしょに寝たり、口移しで食べ物を与えたり、糞尿の場所も家の中であることから、特に室内が締め切りの冬季は空気の汚れが懸念されます。時には空気の入れ替えや犬猫を触った後の「うがい」と「手洗い」、そして「換気」は鉄則です。

 動物が可愛いことと、衛生観念を厳格に切り離し、人間にとって清潔な生活空間を確保してこそ、室内での動物飼育をしたいものです。 

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2014年12月 8日 (月)

小春日和は五感を回復させるウォーキングを!

P1050992  小春とは、陰暦10月の異称であり、この期間については、今年は現行歴【太陽暦】の11月22日から12月21日までです。ですから今の季節は旧歴【太陽太陰暦】で小春です。

 小春日和とは陰暦10月頃のよく晴れた暖かい日和をいいます。これからは三寒四温と言って、このように気候の寒暖が交互に続くものです。

 暖かな日にウォーキングすると、平素、気づかない野鳥のさえずりや植物の観察もできたり、きれいな空気を体感でき、自然の様子を自らの五感で捉えられます。特に水辺をウォーキングすると水面を渡る風、冬鳥のサンクチャリー、せせらぎの音を体感できます。

P1020959  ウォーキングは慣れたいつものコースのほかに、時には車で出かけ遊歩道のような歩きやすいコースを歩くことが、視覚に変化が起こり、時には名所旧跡に触れると脳が刺激を受けるものです。

 健康面から考えれば、私を含め生活習慣病予備軍の健康回復には、ウォーキングほど手っ取り早いものはなく、これはお金もかからず、体内エネルギーの消費となり、簡単に続けられます。しかし、健康的であっても、歩けば何でもよいわけではないので心すべき点があります。

 それは、時間帯です。たとえ小春の季節といえども、実際の季節は初冬です。暖かな日や時間帯を選び、早朝や寒い夕刻時は避けた方が無難でしょう。目に見えず、絶え間なく変動し、自覚症状のない血圧を考慮すると、早朝は気分的に良い気がしても、医学的には避けた方がよく、気温が上昇してからの時間帯が好ましいと考えます。また、夕刻も、1年で最も日没が早い時期であることから温度が急激に下がります。

P1050002  実は小春日和の今日、車で高崎観音の裏山方面に行き、有名な「千人隠れ」付近をウォーキングしました。手つかずの自然がそのまま残され、巨大な岩肌が見えます。

 もしかして、多くの高崎市民にも知られてない可能性がある観音丘陵の南側は広大であり自然に満ち溢れています。ご存知の方もいるでしょうが、この界隈は地殻変動=diastrophismによって貝の化石が出るほど古い年代の地層が表面に露出してます。

P1050995 苔の生えてる階段を下ると川のほとりに出ます。熊が出るのではないかと思われるほど静寂な雰囲気です。どんどん下って行くと、急遽、眼前に現れたのが「千人隠れ」の巨大な岩です。実際には、80人~100人が雨宿りできるでしょう。

 環境庁の説明によると、昔、戦いに敗れた大勢の武士が難を逃れて隠れたり、天明3年の浅間山大噴火の時は、近くの人たちが降灰から逃れてここに集まったりしたといわれます。この大きな岩の下を流れる川は雁行川の上流で、「高麗蛙」というカジカガエルが生息してるとのことです。

P1050999 【高崎市の千人隠れ】Click please!

 ところで、これから季節はますます寒冷になります。しかし、室内にばかり居ないで、天気の良い暖かな日には屋外に出て身体を動かし、筋肉の増強を図りましょう。

 現在は高血圧の病がなくとも身体は変化します。血圧は血液の病気でなく、血管の病気です。血管はデリケートであり、急激な温度下降や、精神的ストレス、塩分の摂り過ぎで高くなると考えられてます。

  私たちは日々少々の努力を続けることで健康な未来が約束できるのではないでしょうか。このためには一つ~二つは脳を活性化できる学習習慣、朝食を十分に摂る心掛け、そしてウォーキングを取り入れた運動は必須と考えたいものです。

 何せ、私たちの筋肉の70%は下半身にあると言われてます。高齢になると人によっては食べ物を飲み込む力がなくなると聞きます。飲み込む力は筋肉です。首の運動はもとより、上半身全体の筋肉も創意工夫して減らさないように心がけたいものです。 

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2014年12月 4日 (木)

27年度の海外派遣教員壮行会で任国国歌を贈呈

P1040789【カルカッタのビクトリアメモリアル】

 毎年、海外日本人学校派遣教員壮行会に出席し、派遣者はもとより国際理解教育研究会の先生方との交流を楽しみにしていましたが、何せ、私がインドのカルカッタ日本人学校に勤務し以来、やがて半世紀が経過します。

 こんな昔に現地の学校に赴任したことから、もう、そろそろ壮行会への出席をためらっていました。しかし、本日、会長であるA校長先生より出席の依頼があり、4月に世界の日本人学校へ派遣される数名の若い先生方の壮行会に出席し、心より激励する決心がつきました。

 私が赴任した頃は海外旅行も一般的に珍しく、ましてや身近なところで、海外滞在する人をほとんど聞いたことがありませんでした。ところが、人生は思ってもない方向へ発展するもので、大学卒業と同時にインド行きが決まり、初月給はインドのお金でルピーでした。

 学生時代に通学はすべて親元からでしたが、それが急に家から離れ、インド行きとは考えてもみなかったことです。

 なぜ、結果的にこの道を選んだかと言えば、思い当たる節が無くは無いです。子供の頃、ラジオで「海外日本人学校便り」の番組があり、モスクワ日本人学校などが紹介された記憶があります。いわば憧れのように聴いていました。また、高校時代より英語と音楽がなぜか好きな教科であったことから、これを生かせる職業に就きたいとも思ってました。

P1050985 【青年教師時代の小生・・・カルカッタ日本総領事館で】

 初めての就職は何もかも初めてのことばかりで、4月に赴任したら5月が真夏で夏休みとはラッキーでした。インド国内旅行でオリッサ州のプりーに行き、ベンガル湾で海水浴をしました。

 仕事面では、たまたま、上司である校長先生が群馬大学附属小学校経験者であったことから、授業研究会を幾度となく開いてくださったことが幸いし、意外と早く、授業の進め方に慣れました。

 授業研究会の晩はカルカッタのモキャンボという高級レストランで慰労会をしてくださり、授業研究とリラックスの場を交互に行ってくださり、お陰さまで心のバランスは取れていました。

P1050987 【真夏に咲き続ける火炎樹】

 ところで、27年度の海外日本人学校派遣教員壮行会では、私は会長から二つの仕事を仰せつかってます。それは派遣される先生方へ任国国歌の楽譜をプレゼントすることです。その後、国際理解教育研究会の歌を合唱して、エールを贈ることです。

 若き日、日本人学校へ赴任した当時のことを思い出し、この度、赴任される若き先生方に心から応援したい気持ちでいっぱいです。先生方におかれましては、教育と共に、滞在中に何でも見聞してやる、何でも体験してやる気持ちで、与えられた千載一遇のチャンスを生かされますよう願ってます。   

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2014年12月 1日 (月)

本日12月1日は、旧暦10月10日で「とうかんや」

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 子供の頃の一年間は凄く長かった感じですが、年齢と共に月日の経つのは早いもので今日から十二月です。何かと気忙しい心境です。

 十二月を別名・師走と言いますが、これはあくまで旧暦で一年の最後の月を言うことから、現在では師走と言わない方が賢明でしょう。というのは、師走は現在の暦ではおよそ一月上旬から二月上旬の季節に当たります。幾分か日照時間が長くなり、少々、季節にずれがあります。

 タイトルの如く、今年の場合、本日12月1日は旧暦の10月10日に当たり「とうかんや」です。昔から子供たちは藁で堅く作った鉄砲で地面を叩きます。現在でも、この風習は日本各地に残ってます。

 おそらく、秋の収穫を祝うとともに、根菜類を食べてしまうモグラを驚かす真似なのでしょう。実は私も子供の頃、藁鉄砲を作り近所の友人たちと叩いたものです。それも「とうかんや、とうかんや、~」と歌いながらです。

 その頃、「とうかんや」の月日を知りませんでした。お年寄りが「今日はとうかんやだよ」と教えてくれたからだと思います。

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 実は、これについては、あくまで月の満ち欠けから来ているわけで、十三夜、十五夜、などと同じで十夜(とうかんや)の夕刻です。この晩の月の形は半月と十三夜のちょうど中間の大きさで、月の出時刻は午後1時半頃です。このため、夕刻にはすでに月が東の空高く上がっていて、子供たちが「とうかんや」を行いやすい月の高さと時間帯です。なお、「とうかんや」は毎年必ず「先勝」と決まってます。

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 暦とは地球から見て、太陽が黄道12星座の中を西から東へ縫うように移動し続けることに因ります。現在の太陽は橙色したアンタレスに接近してます。アンタレスは「さそり座」の首に当たる星で一等星です。「さそり座」は半年前の5月~6月の夜間に南の空にあり、恐怖を誇示する如く存在感ある星座です。

 ところで、暦の基本として、私は「1月1日は天文学的に意味がある日」と確信してます。人によっては1月1日は天文学的な意味はないと言ってるようですが、次のことは事実です。

 今度こそ、除夜の鐘が聞こえるとき真南を見て確認してください。全天で2番目に明るい「シリウス」が輝いてます。この瞬間、全天で1番明るい太陽は真北にあります。つまり、公転してる地球が太陽とシリウスの間に差し掛かる瞬間が1年の終わりであり、1年の始まりと考えます。

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