単羽放鳩で独立心を陶冶・・・レース鳩の個人訓練
連合会訓練が始まる直前、それに間に合うように4回目の訓練を決意し、今朝、4時に起床。真っ暗な鳩舎内で40羽の鳩を籠に詰めました。これほど暗いと鳩は動きませんが、私の方も暗くて鳩の居場所が分かりません。自転車用のLEDライトを使いました。それでも鳩たちは動かず、捕まえるには便利で数分で全鳩を放鳩籠に詰め込みました。
それにしても、正月の「日の出前」は本当に寒く、昨年末に体調を崩した私としては鳩を詰め込んだ重たい籠を鳩舎から階段を下りて車まで運ぶ作業は大仕事で、一人黙々と3籠を運びました。
趣味とはいえども、高齢者に属する私にとって、余ほどレース鳩に対する期待感がなくてはできるものではありません。
近年は、連盟や連合会仲間も次々と高齢化やそれに伴う病気のため、飼育を断念する人が急増し、連合会存続の危機にもなってます。
それでも、私は【楽しく飼育するレース鳩の趣味】の方針を貫き、北海道から良い成績で帰還する鳩を目的に楽しみ、勝負に拘り過ぎず、相手は「人間でなく、あくまで鳩」である飼育法を貫きたいと思ってます。勝負として無理すると必ずや体調を壊し、結果的に大好きなレース鳩飼育を止めることになっては本末転倒です。
ところで、群馬県みどり市大間々町の見晴らし台より更に高い位置の原野に6時30分に到着しました。何と、雪がちらついており困ったことになりました。
近くの赤城山は雪雲に覆われ全く見えず、また、強風です。しかし、1~2時間待機すれば晴れることを期待しましたが、こんな寒い山奥で長時間一人での待機は健康面から悪いと思い、鳩を持ち帰ることに決断しました。
折角、暗いうちに起きて寒い中、鳩を籠に詰めたのは「何だったのだろうか。」と鳩に対して自責の念に駆られましたが、大切な鳩を易々失ったらとんでもないと、車はもと来た道を家路に向かいました。
しかし、赤城山から離れ、7時半を過ぎたら天気がいいのです。風もほとんど吹いてません。山と平野では天気がずいぶん違います。このまま、家に鳩を運んでももったいないから、途中で飛ばそうと考えを変更しました。
しかし、距離10K程の集団訓練は近すぎて意味がないと思い、以前に、並河靖さんの著書「作出と競翔」で読んだ「単羽放鳩」はどうかと考えました。40羽では相当時間がかかるかもしれないが、初めての体験でやってみることに決断しました。
並河先生の著書では1羽の放鳩から次の1羽の放鳩まで、5分以上の間隔が必要と記されてます。早速、1羽飛ばしました。鳩は旋回せず、鳩舎のある倉賀野方向にまっすぐ飛んで行き、30秒ほどで視界から消えました。
この分なら次の1羽も、もう大丈夫だろうと飛ばしました。鳩は意外と早く視界から消え、5分も待つことは不要となり、結局トータル30分ほどで40羽すべてを飛ばし終えました。最後に飛ばした鳩の時刻は8時15分で最初の鳩が倉賀野に到着した数分後と想われます。
以前に、稚内グランドの持寄り前に1羽のみモザイクを単羽訓練したことがありますが、今回のように40羽の鳩をすべて単羽放鳩したことは長いレース鳩人生でも初めての体験です。
幸い、猛禽類の出現もなく、全鳩が帰還し、当初の目的であった大間々の高台での集団訓練はできませんでしたが、距離が近くなっても、その分、単羽放鳩を行い、鳩に精神的負担を与えられたと思われ、ただの「持帰り」より効果があったと思います。
今回の体験により、今後は、数回の集団訓練の後は、1羽1羽の能力陶冶のため単羽訓練する気持ちに傾いてます。
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