倉賀野「閻魔堂」の大きな数珠の存在を広めたい
倉賀野の住民なら誰でも知ってる下町(しもちょう)の「閻魔堂」は、おそらく江戸時代に建設されたものと推測されます。
しかし、この度、それを取り壊し、現在、同じ場所に新たなお堂を建設中で、一見したところ、従来のお堂より、少し広くなり、屋根も高くなってます。
三差路の中心であることからや、敷地に限度があり、また、付近には電線が何本もあることから、設計や建設法を工夫し、土地をいっぱいに有効利用してることが分かります。今までは東側にあったお堂の予備的スペースは今度は西側に張り出し、本堂を東に持って行き、それだけ屋根の中心が高くなるよう工夫したようです。
すでに屋根の部分は完成し、重厚味を増す中にも、従来の四面の屋根の面影をそのまま踏襲してます。完成すれば、おそらく今後200年は建て替えの必要がないと思われるほどしっかり出来てます。
非常に分厚いコンクリートの土台は長い年月に起こりうる大地震や大型台風の脅威を想定してのもので、現代の宮造りの技術を駆使した建設法と認識します。
倉賀野の旧国道を通過すると、ここ下町で新町方面と玉村方面へ道が二股に分かれることから、昔はこの地を「追分」と呼んだようで、ここで必ずこのお堂が目に入ります。
このお堂には、その名が示すように「閻魔大王」の像が南側を向いて座り、例年、送盆の八月一六日がお祭りです。
ところで、本日のテーマです。下町の方には知られているでしょうが、倉賀野の他の町内の人たちには意外と知られてないのが、この閻魔堂にある「大きな数珠」の存在です。これは「百万遍」といわれ、直径5mほどあり、紐についてる数ある数珠には拳大の大きいものが2~3個付いてます。
まず、お堂に上がり、畳の上に正座した参拝者が円陣を組み、この大きな数珠を念仏やお囃子に合わせて20人ほどの参拝者で協力して回します。数珠は木製で、黒光りがしてる年代物です。おそらく、江戸時代にも使われ、ここを通過した旅人などが直接触って輪になって回した由緒あるものと推測できます。
大きな数珠が自分のところに回ってきたら、額につけて拝みます。数珠は左回りに一周したら、次は右回りなります。それを繰り返し、人数分、回すので、一回が20分前後かかります。
大きな数珠の意味には疫病お払いや、旅人が道中の安全を祈願する魔除けであったのではないかと推測できます。この数珠は黒く干からびてるので、それだけ歴史的価値がある倉賀野の文化遺産といえるでしょう。
倉賀野には先日ブログに記載した「長賀寺山古墳」が下町に手つかずの状態で現存します。こちらも早急に整備し、倉賀野の人々にその存在を広く啓蒙するとともに、未来の倉賀野の人々へ伝えていくことが現在生きてる人間の使命と考えます。
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