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2015年3月 2日 (月)

倉賀野に現存する大きな「長賀寺山古墳」

P1060223 【倉賀野町下町に現存する長賀寺山古墳】

 昔、私の家の隣に住んでた倉賀野町の元町長・松本忍さんによると、倉賀野には千間山(浅間山)、大鶴巻の二大古墳を初めとして実に207個の古墳の跡があったと伝えられます。

 しかし、その殆どが平地にされ、現在、倉賀野町内で私が知ってる範囲で現存する古墳は4基です。それは前述の2基の他、緑地公園北にある「一本杉古墳」そして、今回、紹介する下町にある「長賀寺山古墳」です。

 この古墳は倉賀野町民にあまり知られてないようですが、想像以上に大きな古墳で、一見して上町の「小鶴巻古墳」より少し大きい規模です。その高さは平地から推定8m、東西40m、南北40mほどで、場所は諏訪神社の南西約200mの地点です。

P1060226 【長賀寺山古墳の麓にある単体道祖神】

 元・倉賀野小学校長徳井敏治著「伝説の倉賀野」によると、長賀寺山古墳の上にはその昔、稲荷様があり、正式名は「正一位大大儀式倉山稲荷大明神」という厳めしい名前であり、これは京都の伏見稲荷の総本家まで行って、貰い受けてきたとと記されてます。

 倉賀野が未だ宿場で賑わったころ、街道から北側の裏の方は森や林が続き、あちこちに塚が散在し、とりわけ今の下町の街道北は森林と塚の連続であった云われ、このうち一際高く大きかったのが長賀寺山古墳であったとされます。

P1060229 【長賀寺山稲荷・徳井敏治著「伝説の倉賀野」より出典】

 この写真は貴重なものでしょう。建物は長賀寺山頂にあったとされる稲荷様。社寺合併の際、近くの養報寺に移され、その後、この古墳は樹木雑草が生い茂り、狐や狸にとって申し分ない棲家になりました。

 狐たちは山の頂に穴を掘って付近の家畜や野鼠を餌食として生息し、「狐に手を出すと必ずその祟りがある。」として人々は決してこれを責めなかった。その雰囲気は現在でも変わらない。

P1060222 【長賀寺山古墳の山頂付近】

 上町にある小鶴巻古墳は10数年前までは、樹木や竹が繁茂してましたが、近年、整備され、その由緒ある風格が確認できる姿になりました。倉賀野の貴重な長賀寺山古墳も早めに手を入れ整備していくべきであり、現在、生きてる人間が可能な限り、全貌を明らかにすることが使命です。そして、倉賀野に残存する大切な文化財「長賀寺山古墳」を未来に引き継いでいくべきです。

 さもないと未来は宅地として造成される危機が存在します。私は幾度となく長賀寺古墳の現場に行って観察してますが、この古墳は想像以上に大きいものです。竹藪を刈り込んで整地し、案内板を設置すれば倉賀野の歴史が身近になり、誰でも山頂で憩え、大鶴巻・小鶴巻古墳の如く、倉賀野の往時の面影を現代そして未来の人間に明確に訴えるのではないでしょうか。

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