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2015年5月11日 (月)

基礎工事が完璧な閻魔堂・・・今後200年は持つ

P1060644【生まれ変わった閻魔堂の正面】

 2014年2月の大雪は70㎝も積り、現在の倉賀野町民にとっても生まれて初めての体験で、家から一歩出ることができませんでした。近隣でも雪の重みでカーポートは軒並み潰れ、1年半が経過した今でも、潰れたままのカーポートや農業用ビニールハウスが見受けられます。

Photo【旧・閻魔堂・・・日光方面と江戸方面の追分】

 前述の大雪で屋根瓦などがかなり損傷した旧閻魔堂は、篤志家の寄進によりこの度、再建され、立派なものに生まれ変わりました。

 私はここを通過するたびに建設の進捗状況を注視してきましたが、全体的に工事は緻密で、頗る丁寧さが感じられました。その第一は基礎工事にあります。P1060017 【分厚い鉄筋コンクリートの基礎・・・全面は石】

 コンクリートによる基礎の厚さは推定70~80㎝です。基礎は柱の部分のみでなく、建物全体を覆ってます。この工法であれば、今後200年間に遭遇するであろう大地震に見舞われても建物が軋むことなく、この基礎が閻魔堂の建物全体をすっぽり抱きかかえると考えられます。

P1060641【分厚い基礎の上に建つ新たな閻魔堂全景】Click please!

 入口がガラス戸であることから内部を拝見したところ、阿弥陀如来あるいは閻魔大王が格納される扉が見えました。従来は閻魔大王がガラス戸の近くに居座っていましたが、今後は奥の場所に据え付けられるのではないでしょうか。貴重な文化遺産であることから長い年月を保管するには格納庫が適切でしょう。

 元倉賀野小学校長・徳井敏治著「伝説の倉賀野」によれば、明治末ごろまではお作さんという尼さんが留守して居たらしい御堂も、現在は堂守さんはいません。

 現在の御堂は九品寺の所有であり、ご本尊は阿弥陀如来であることから昔は「阿弥陀堂」と言ったそうで、何時とはなしに人呼んで閻魔堂といわれるようになった由来を知る人はいないようです。写真下の中央には阿弥陀様が祀られるのではないでしょうか。

P1060651 【閻魔堂内部】

 ところで、内部はすべて木造であり、閻魔大王の居座る位置のみならず、升目の天井を初め、漆喰壁など現在の寺院建設の技術の粋を集めて出来てます。床も木造で従来より一回り広く、これならかなりの人数で、この界隈では大変に珍しい百万遍の数珠回しが可能になるでしょう。

Jyuzukuri1【Jyuzukuri 1より転記】

 前回も話題にしましたが、倉賀野町民でも体験したことのない方が多いと想われることから、今後は8月16日の御開帳日には「百万遍数珠回し」の体験コーナーを通して、この大きな数珠の存在を倉賀野町民に広く啓蒙し、江戸時代から伝わる由緒ある歴史的文化遺産を実際に手に取り、その価値を認識し、いつの時代にあっても、幸福を求め続けてきた庶民の心情を今の時代に味わいたいものです。

P1060647 【紋様の入った江戸瓦】

 屋根の頂には卍の印が四方に合計8個も浮き彫りにしてあり建物に一層の風格を表現してます。

Photo_2 【閻魔大王】

 あと3ヶ月後の御開帳には新装なった閻魔堂は今までとは変わり、大きな賑わいを見せるでしょう。そして、おそらく23世紀になっても今回、再建された閻魔堂は未来の倉賀野町民に「健康維持」と「心の平安」の大切さを説き続けることでしょう。

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