【インド・デカン高原ハイデラバード市】
今回、発生したダッカにおける卑劣な事件に対し、強い憤りを感じるとともに計り知れない無念さで犠牲となられた何の罪もない方々に、心より哀悼の誠を捧げます。
私たちが海外でこのような事件に再び巻き込まれないためには、どう行動したらよいでしょう。
海外において日本人が日々、生活する上で「何に注意を払い」、「異文化、異なる風習の中でどうのように行動すべきか」、若き日の2年間、隣のインド日本人学校教員として過したカルカッタでの日常生活や、インド国内旅行、カシミール、そしてネパール旅行などで得た拙い経験から考えてみました。
【カルカッタから離れた農村の女学校の授業風景】
バングラデッシュは私がカルカッタ【現コルカタ】滞在中、パキスタンから独立した国家で、インドの新聞でも大きく取り上げられたことを覚えてます。
バングラデッシュとは「ベンガル人の国」と言う意味で、民族としてはインドのカルカッタの人たちと同じく、ベンガル人でベンガル語を話します。概して、インドではヒンズー教徒が多いのに対し、バングラデッシュはイスラム教徒が多いといわれます。
バングラデッシュの人口密度は1000人以上といわれ、インドより遥かに高く、位置は大河ガンジス川とジャムナ川がベンガル湾に流れ込む広いデルタ地帯です。このデルタ地帯からベンガル湾に注ぐ多くの入り江の様子を機上から見たことがあります。
【ウィキペディアより転記】
今回のダッカ事件の背景を考えるとき、インド同様、私は学生時代に習ったカースト制度に根源があるように感じてなりません。それはインド西ベンガル州に属するカルカッタ市とバングラデッシュは民族がほとんど同じだからです。
現在のインドではカースト制が法律で禁止されていても、昔からの風習として簡単に消滅するものでなく、厳格に現存してると考えられます。生まれたときからそれに伴う貧富の格差は歴然とし、その枠から出られず、生涯を通じて尾を引き、この社会的因習は世代を超えてつながり、それに伴う貧富の格差は想像を超えるものです。
一方、近年、この地の若者の一部は、特にIT関連で世界をリードするほど高い頭脳の持ち主といわれます。しかし、それに併行して、従来からの貧富の格差、被差別観に悩んでる若者も多く、解決の道はなく、金銭的に楽な人はほんの一握りと考えられ、多くの若者は厳しい経済の現実を受け入れてるものと想われます。
【日常的な光景】
ところで、インドにおける日本人はカーストに所属しなくても、その身なりや、多くの場合、使用人を雇うこと、また、社会的行動により高い位置にあると現地の人たちから見られてる筈であり、これも現地の人たちが感ずる日本人や欧米人との格差社会でしょう。
、私がカルカッタ滞在中の事件として、現地の人とのトラブルにより在カルカッタ・フランス総領事が事件に巻き込まれ、亡くなったことがあります。「上下関係がある他民族とのつながり」は危険が伴うようです。
【日本人学校で働いてた人たちと小生】
実はニューデリーに行ったときのことです。「銀座」という高級レストラン内で、ある日本人男性の行動が気になりました。客は一見してインドの富裕層が多く日本人はちらほらです。
そこで目にした彼の光景は、尻のポケットに誰にも見えるように、100ルピー札50枚程度を束にしてレストラン内を歩いてるではありませんか。
インドでは100ルピー札が最も大きい札で、日本の1万円札のようなものです。札束を見せびらかす傲慢な行動に驚くと共に、このような行動は非常な妬みを買うことにつながるのではないかと直感しました。
インド庶民にとって1ルピーを稼ぐのは大変な労力です。当時、多くの彼らの日常生活はルピーの100分の1の貨幣単位であるパイサの世界です。因みにインドの言葉で「これはいくらですか」と値段を訊くのは「イエ・ケトナ・パイサ」といい、ルピーで訊かずパイサで訊く習慣があります。ですから100ルピー札1枚は一カ月、家族を養えるほどの金額です。
【若き日の一コマ】
滞在してたカルカッタでは「モキャンボ」という高級レストランがあり、館内では専属の楽団が演奏し、日本人が来店すると「ブルーライト横浜」「さくら」の演奏を始めるのが通例です。私たちは仕事上、何か大きな行事が終了すると、同僚とここでインド料理を楽しみつつ、一杯飲みました。
しかし、このような高級レストランへ多くのインド人は生涯行くことはできないと考えられます。それは高価だからで富裕層のみです。日本人を車で送迎するドライバーは主人たちの食事が終わるまで、ひたすら外で待ち続けます。当時は多くの日本人や欧米人がそうでした。
このようなことは日本ではあり得ないことで、当初、不思議でしたが、慣れてくると次第に当たり前に感じました。しかし、よく考えると同じ人間なのに、それ以上に【彼らの国であるのに】、なぜ、日本人はこんなに地位が高く、優遇されてるのか思ったものです。
当時の何気ない自らの行動を今考えると、見方によっては全くの無防備であり、極めて危険な環境にあったと思わざるを得ません。何か起こっても防ぎようがありません。
【現地で描いたVictoria Memorial in Calcutta】
ところで、カルカッタ滞在中、私が実際に危険を感じた事件が2回ありました。街を一人で歩いていたら、後ろから奇妙な日本語で語りかけてくるインド人がいました。結局、彼の布販売の店に連れて行かれ、こちらが買う意志がないのに、彼は布を一定の大きさに計り、ハサミを入れてしまいました。
20ルピーであると言い、私は彼の店内に一人だったので仕方なく後でシャツでも作ろうと無理やり買わされました。やはり一人歩きは危険です。買わなかったらどうなったか分かりません。日本語で話しかけてくる人は危ないと思いました。
また、2年目の日曜日、カルカッタの街を一人で歩いてたら、狭い路地で声を掛けられ、その仲間もいて危険な目に会い、この時は長い足を使い夢中で逃げました。金銭目的で共謀して悪事を企む人たちがいます。
【釈迦が悟りを開いたインド・ブダガヤ大聖堂】
現在は誰でも簡単に海外へ渡航できる時代です。しかし、治安が世界一安全な日本と外国とは全く異なる状況であることを忘れてはなりません。外国人から見て、概してメガネを掛け、カメラを携帯する日本人はすぐ分かるでしょう。また、日本が経済大国であることは世界から知られてます。特に貧富の差が著しい途上国への渡航は、今後、いっそう身を引き締めて行動しなくてはならない時代でしょう。
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