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2016年8月18日 (木)

倉賀野町の人は必見です・・・歴史博物館

P1010643 【青々した群馬の森】・・・写真はすべて拡大してご覧ください。

 車で10分ほどの所にある群馬の森は一面芝生に覆われ、ここが戦時中、火薬所であった事から上空から見え難くするために生茂る樹木を植えたと推測できます。

 現在でも当時の巨樹の数々がそのまま現存し、平和な現在、森の中は逝く夏を惜しむ家族連れで賑わってます。私は年に数回、森林浴や近代美術館、そして歴史博物館を訪れます。

P1010645  ここ群馬の森の一角にピラミッドを彷彿させる現代的建物が群馬県立歴史博物館です。この度、リニューアルオープンし、常設展示の内容や見学の順路が大きく変わりました。旧石器時代から近世まで、群馬の歴史を誠に詳しく展示・解説してあります。

 以前の常設展示と内容が変わったことから、目新しい展示場を見て回っていたところ、急に飛び込んできた大きな「街並みの模型」に心から驚きました。

 それは私が生まれ育った倉賀野の江戸時代における宿場町の模型であり、かなり大きな展示物です。こんなに見事に出来てる展示は予想外で驚愕そのものです。一軒一軒の家と今でも残ってる道があり貴重な展示です。誠によく企画・作製していただき歴史博物館に感謝です。

 町の中央を通過する中山道や、閻魔堂の分かれ道、大門(田屋町)への入口に文字通り、大きな門あるではありませんか。倉賀野では今でも田屋町のことを大門(だいもん)と言います。ここには私の親戚があり、昔から大門ちと言ってます。おそらく150年ほど前に取り壊されたと推測できることから、私は本物の大門を見たことがなく、模型の中に初めてその門が見え、この場所にあったのかと場所を知り感銘です。

P1010655【本陣(現在ベイシアの位置)、及び赤い鳥居が大門】

 ところで、街並みの丸印の位置が私が生まれた場所(旧・原道屋)です。私の生家は江戸時代に作られた二階建て蔵造りです。建設年代は幕末と推定されるので、この模型の家はそれ以前の建物です。

 しかし、私は本陣【後に十一屋、現ベイシア】のすぐ北で生を受け、現在は旧・高崎信用金庫の建物がある地点です。私の生まれた場所がこの模型内にあり、本当に感銘です。すぐ右が九品寺へ入る道です。

P1010656

 これは現在の上町の信号の東に位置する須賀喜邸とその裏庭の庭園です。この庭園は現存します。右上の細い道が牛街道です。

P1000971 【現在の須賀喜邸】

P1000976【現在の須賀喜邸の庭園】

 それにしても江戸時代の倉賀野町の模型をよく作ったものです。おそらく、東京国立博物館に残ってた資料を元に作製したものと想われます。

P1010658

 こちらは下町の閻魔堂付近です。北(下)へ行く細い道は諏訪神社への道です。宿場町の家並みは中央を通過する中山道を挟むように両側に家が並んでるのが特徴で、これこそ宿場町特有の姿でしょう。この光景に似て現存する街並みが安中市の坂本宿です。

P1010651【宿場町倉賀野のほぼ全景と右側が烏川の河岸】

 倉賀野町を通過した参勤交代の大名行列は九州からも含め、山陽、北陸などから中山道経由で倉賀野を通過したと伝えられます。これは東海道を通過すると渡るのが困難な大井川があるためといわれます。

P1010657 【江戸~倉賀野河岸を往復した高瀬舟の模型】

 一方、倉賀野には江戸からの船着き場として河岸があったことから、江戸時代の倉賀野は現在より遥かに活気に満ちた宿場町であったと想像できます。

 倉賀野町の皆さん!ぜひ、群馬の森の歴史博物館に足を運ばれ、江戸時代の倉賀野の街並みをご覧になってはいかがでしょう。心からお薦めします。

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