身体が不自由な方や高齢者に手を差し伸べたい
昨日、所用のため倉賀野駅から大宮駅までJR高崎線に乗りました。倉賀野駅で途端に目に入ったのは高齢女性が重い荷物を持って階段を下る姿です。ゆっくり一歩一歩の姿は痛々しく、すぐにホーム下まで荷物を持ってあげました。
倉賀野駅の構造はエスカレーターやエレベーターがなく、しかも階段が高く、長くて健康な人でも昇り降りは体力が要ります。増してや高齢者は一苦労です。
昔の倉賀野駅は階段を上がらなくても1番線のホームに行けましたが、半世紀前から上り方面へも、下り方面へも必ず最初は二階へ上がる構造になりました。
そのためでしょうか。日々、高齢者の乗降客を見ることは稀になってます。車の運転をしない人は仕方なく、電車を使いますが、階段の上り下りが誠に難所と感じます。その高さは二階建て和風住宅の屋根まで登るに等しいです。
しかし、他の駅に比較し、倉賀野駅は乗降客の数が少なく、常に動いてるエスカレーター設置は不可能であり、使用者がいないとき停止してるエレベーターについても、南口、北口、そして二つのホームに設置すると計4基になります。仮に西口と1番線のみ2基を設置しても費用は数億円以上と考えられ、乗降客が少ないことから今のところエレベーター設置は不可能と考えられます。
車を運転しない高齢者が隣の旧・高崎市街地へ行くにも、タクシー以外に交通手段はなく、「ぐるりん」があっても、私も未だ乗ったことがありません。以前は高崎行きの上信バスが日に何本も走ってました。その点、現在の倉賀野は高齢者にとって住み難い町かもしれません。
故に、いわゆる「買い物難民」が多くなり、倉賀野の街中から大型スーパーへは歩いて行ける距離ではありません。ただ一つ「ベイシア」のみですが、刺身や惣菜など生鮮食料品は限られてます。倉賀野町には昔、町長がいたし、町会議員も多数いたので要望の実現も可能でしたが、高崎市に合併してから町に活気がなくなり、たくさんあった祭りも姿を消しました。
この現状を鑑みるとき、私たち健康で動けるものが、高齢者はもとより、目の不自由な方、耳の不自由な方に対し、多面に亘り手を差し伸べ、心身の負担軽減になるよう、社会全体で安全に導くことが大切です。
私はかなりJRの電車を使いますが、混雑してる高崎駅構内では時折、目の不自由な方を見かけます。できる限りそばに行き、「どちらへ向かいますか」と訊いて案内してますが、手助けする人がいないと、複雑なホームや階段の位置が難しいと感じます。他の人と接触することも起こりうることです。
【特にホームで目の不自由な人を見かけたら、周囲にいる人が必ず手を差し伸べなければなりません。】
人は誰でも年齢と共にいずれ動きが鈍くなり、目の疾患も年齢とともに増します。誰もが社会の中で心配なく暮らせるには、一人ひとりが互いに手を差し伸べることが求められます。
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