シャクナゲに教わる「半年前からの準備」
昨晩から低気圧とそれに伴う前線が列島を通過し、千葉県で大雨の被害と伝えられてます。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
一方、他の地域が自然被害に遭遇しても私の住む群馬県は比較的安全な県と言えます。それはカスリーン台風後の利根川の治水など先達の努力の賜です。カスリーン台風は戦後襲来し、群馬県では600名ほど犠牲者が出ました。
また、長い年月には群馬県の先人たちは大変な被害に遭遇したことがあります。それは天明3年【1783年】に起こった浅間山の大噴火です。熱泥流は群馬県側に流れ、234年経過した現在でも麓の嬬恋村鎌原地区では多くの民家が埋没したままです。直線距離50K離れてる私の庭の地中からは現在でも浅間砂といわれる荒い火山灰が層を成してます。
実は写真の源平しだれの地中には今でも浅間砂の層があり、何と、これが植物の成長に大きな役目をしてます。それは「水はけの良さ」につながってるからです。
天明3年後、私の倉賀野地区でも噴火により田畑一面に火山灰が堆積し、当時の農民たちは浅間山がもたらした灰をあちこちに集め、「灰塚」を作ったと歴史が伝えます。おそらく私が住んでる土地は灰塚だったと推定できます。
先史時代より大自然は私たちの遠い祖先に脅威を与え続け、一方、台風や長雨などは電力を始め、食物の生育になくてはならず人間に恩恵を与えます。いかに脅威を回避し、いかに恩恵を享受するか、人類の知恵です。
ところで、このシャクナゲは一時的に枯れそうになりました。当時、原因不明です。しかし、周囲を掘ったら近くの梅の根がシャクナゲの根を覆って、シャクナゲが養分を吸収できない状態でした。すぐに、根を掘り起こし対処したところ、見事に回復し、今年の春には大輪を咲かせました。同じ間違いはもうしません。
植物の調子の悪さは必ず原因があるものです。このように、他の植物の根の侵入により起こる勢いの悪さはroot competitonといわれ、私はこの言葉をこのブログをご覧になったオーストラリア在住の逍遥様からコメントを通じて教わりました。彼はシドニー近郊でシャクナゲを生育され、日本と気候が逆で開花時期が半年異なるのに、こちらの季節に合わせて丁寧にお教えくださいました。心より感謝です。
ところで、シャクナゲが開花するのは4月です。にもかかわらず半年前からこのように大きな蕾を持ち、これから冬を越します。あるいは厳しい冬の到来前に、早くも翌春の準備にしておくのでしょう。その間、蕾の中身に栄養を送り、きれいに開花するよう着々と準備しているのでしょう。
このようなことは多くの植物で見られ、例えば、花梅は落葉すると小さな蕾が出てることが分かります。
振り返って、ややもすると私はその日暮らし的な生活を繰り返してる面があります。
しかし、今日は明日のため、植物の如く、いや半年後のため、1年後、あるいは数年後の目標達成のために今日仕込むべき準備があると志を強く持ちたいものです。
高齢化社会の中にあって若き日のような情熱は徐々に失われつつあっても、人間に生まれた恩恵を再認識し、今より少しでも脱皮し、新たな分野への挑戦は人間的に生きる意味に通じるのではないでしょうか。
私の場合、それは「人との出会い」、「音楽的感性の陶冶」、「今取り組んでる分野のより深い探究・・・ボキャブラリー」です。シャクナゲが半年前に開花準備してる如く、新たな生き方を今から準備したい。
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「花梅は落葉すると小さな蕾が出てることが分かります」の一節は、徒然草の第155段「世に従はん人は」を思い起させます。
「春が暮れたあと夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。 春はそのまま夏の気配を起こし、夏からすでに秋が入りまじり、 秋はたちまち寒くなり、(陰暦の)十月は小春日和の天気で、草も青 くなり、梅もつぼみがついてしまう。木の葉が落ちるのも、先に(古 い葉が)落ちて芽が出るのではない。下から芽が出て生育してくるの に堪えきれなくて(古い葉が)落ちるのである」
自然現象に見られる規則正しい循環の変化と違って、人間は、刻々移り行く生の中に常に死がきざしていている。それが思いがけなく突然にやってくると人生の無常を感じる。
投稿: 新村京助 | 2017年9月28日 (木) 23時19分
To Mr. Philosopher
いつも温かく、勉強になるコメントを賜り、ブロガーとして嬉しく存じます。
小生の拙い文章が徒然草155段を思い起こさせるとは不思議であると共に、流石、日本文学に深い造詣をお持ちであることが文体から感じられます。
四季に「自然が織り成す姿への驚き」は兼好と同様であったことに光栄であると共に嬉しく思いますが、自然が創り出す四季の繰り返しは人類誕生とは比較にならぬほど太古の時代より続いてるのでしょう。
今後の人生は優れた先達が著した卓越した古典文学「徒然草」「枕草子」「方丈記」など、おっとその前に「日本書紀」を残された人生の読み物として、時代を超越し、先人の感覚に浸りたいです。
投稿: カッキー | 2017年9月29日 (金) 07時14分