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2018年6月 4日 (月)

多胡碑を見学し、渡来人の遺業を悟る

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 昭和時代に両親が亡くなり、姉も一人なくなり、最近では親しかった友人の数人も逝去し、次第に年を重ねた私が今、最も関心あることは「私たちの遠い祖先は一体、何処から来て、どんな難局に突き当り、何に悩み、何に興味を持ち、どんな人と出会い、何に喜びを感じ、どんなものを食して生活してたか」です。真実は分かりませんが、私たちは遠い弥生時代の祖先の血を受け継いでることは確かです。
 
 生前の親から聞いた話や親戚から言い伝えられる先祖についてはせいぜい幕末までであり、僅か200年ほどです。運悪く、私は4人の祖父母と誰一人会ったことはなく、それは私の誕生以前に世を去っていたからです。
 
 祖父母4人はいずれも幕末に生まれてることから、幕末から明治維新についての話をたくさん知ってる筈で、私としてはいろいろ聞きたかった思いですが、それは叶いませんでした。もし、聞ければ思わぬことが聞けたかもしれません。でも、社会的にも個人的にもいろいろ体験された祖父母4人の血を受け継いでることは確かです。いずれも情熱家であったことは父母から聞いてます。
 
 日本の歴史は、石器時代を過ぎてから縄文時代~弥生時代と変遷し、この間、私自身の遠い先祖が存在したことは事実であり、おそらく数々の難曲に突き当り、一方、安住の地を捜し求め、自分の思いを次の世代に託し、また、子孫は次の世代に託し、日本語を媒介にして、これを数百代も繰り返し、平成の時代に私たちがいる事実があります。
 
P1030866 【多胡碑の自然環境】
 
 ところで、世界記憶遺産に登録された吉井町の「多胡碑」に先日行って来ました。鬱蒼としたケヤキの森の中に佇む1300年前の古碑は、当時の記録を漢文で今に伝えています。第二次戦時中、貴重な文化遺産を敵国に見つからないようにと、付近の住民は「多胡碑」を地下に埋めて隠したとのことです。
 
P1030862_2【多胡碑本体】
 
 私は前回30年前に見学したのみで、暫くぶりの訪問となり、ワクワクして多胡碑と共に記念館も拝見しました。
Photo_2【原文と現代訳】
 まず、漢文体のみで刻印され、専門家の研究では中国の「六朝風」書体であると言われ、これはもともと日本列島に住んでた日本人による書でなく、私は渡来人によるものと考えます。理由は漢字のみの文章であるからです。現代中国語も漢字のみの言語です。
 
 この頃の歴史を紐解くと、4世紀ごろより大和朝廷の朝鮮半島進出による捕虜たちは、主に中国黄河流域出身の技術者や学者が多く、日本に連れて来られた彼らは、そのまま日本に定住し、元々いた日本人との混血が代々続き、彼らが持ち込んだ漢字や仏教、学問、芸術が、やがて従来から住んでた日本人に浸透し始めたと考えます。
 
 一方、この時期、中国での戦乱による一部国民の民族移動として、また、百済や高句麗の滅亡も追い打ちをかけ、数多くの渡来人がこの300~400年間に日本へ渡り、定住し始めたと考えるとき、これにより、日本の文化は今までとはかけ離れた高度なものに変わり、特筆すべき漢字の伝来は当時はもちろん、現在の日本にとっても誠に大きな文化移入となりました。渡来人のお陰により、現代の私たちは日々漢字による生活ができてます。
 
 この間にあって、当時の中国の音を音読みとし、それが持つ意味を訓読みとした当時の学問的努力に最大限の敬意を払わなくてはならないのは現代日本人です。
 
P1030856_2
 
 実は、2年ほど前に私の庭から打製石器が見つかり、埋蔵文化財の専門家に鑑定依頼したところ、縄文時代後期ではないかとのことです。また、庭から調理用と想われる石も出てきました。こちらは私の推定で石器時代かもしれません。古代の証拠を手掛かりに遠い先祖への思いを募らせたい。
 
P1030936【私の庭から出土した打製石器】
 
P1020963 【同様に、調理用のまな板か】
 
 これからも古代の石器を捜し、遠い祖先の思いを深く感じたい。
 

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