群馬南部地震でなく、群馬中部地震です。
昨日、私が午後3時前から鏑川の土手を4Kウォーキングしていたところ、近くの田んぼで田植えをしてた人たちが「地震だ」との声が聞えました。その人たち曰く「電線が揺れてるからカラスが飛び立ったのかもしれない。」というほどであり、群馬県南部では大きな揺れではなかったです。
私がウォーキングしてた土手は鏑川であり、対岸は藤岡市です。ここはまさに群馬の南部です。ところが、ウォーキング中でもあり、私はその揺れに全く気づきませんでした。地震に敏感な私でも、それほど大したことはない地震と思いました。
その後、土手の上を通過する北陸新幹線(あるいは上越新幹線)がいつもより幾分が遅い速度で動いてます。地震による対処と想われます。
帰宅してからニュースで「群馬南部で震度5弱」の地震と流れ、しかも震源地は渋川市と伝えられてます。咄嗟に、何故、渋川市が群馬南部なのだろうと疑問に思った人は多いのではないでしょうか。渋川市は群馬中部です。おそらく命名する人が群馬の地理に詳しくない方なのでしょう。しかし、群馬が震源地であることは珍しく、95年ぶりと伝えられてます。
渋川市は「日本の真ん中」といわれ、地元では「へそ祭り」も行なわれる位置にあります。これは日本の真ん中を体の臍に例えてます。近くには有名な伊香保温泉があり、温泉関係者は地震による温泉の湧出量が心配と思われます。
たまたまカメラを携帯してたので、地震直後に東京から来た新幹線を捉えたところ、いつもより明らかに違い、減速しているように見えます。
ところで、群馬県の大災害は天明3年(1783年)に起きた浅間山の大噴火です。巨大な火砕流が麓の鎌原村を飲みこみ、多数の犠牲者が出て、現在もその多くは地下に眠ったままです。時々、私は鎌原観音堂をお参りします。解説によるとその後、生き残った、夫を失った妻、妻を失った夫同士が再婚したとのことです。
一方、群馬県で起きた歴史的大災害は戦後のカスリーン台風です。(正式にはCathleen ) 日本列島を縦断したこの台風は群馬県を直撃し、赤城山など山間部に降った大雨は利根川を氾濫させ、群馬県の犠牲者は592名、全体では1100名(国土交通省)と伝えられます。
群馬県は大災害に見舞われることが比較的少ないです。しかし、自然災害はいつ起こるか人間には分かりません。平素から、逃げる脚力を鍛え、危険な個所を避け、保存食と飲料水を3日分用意しておきたい。
何より、自然災害による環境が180度変わっても生きられる強靭な精神を持ちたい。
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コメント
気象庁による群馬県地域区分は、確かに北部と南部で大雑把な感じがする。群馬県に東西の区分を入れれば、渋川市はまさしく中部ですね。
群馬が震源地であることは珍しく、95年ぶりと伝えられているようですが、群馬も盤石な安心な所とは言えなくなりました。
「最近、地震が発生していないところで起きたかなりまれな地震だった。地震はどこでも起こりうるということを改めて認識してもらい、日頃の地震への備えが大切だ」と気象庁が呼びかけた。
投稿: なゐ | 2018年6月18日 (月) 12時22分
なゐさんへ・・・渋川は学校の地域的分類でも北毛に属します。この日、地震のとき渋高では渋高と沼高の定期戦が行われていたようです。これは北毛の進学校同士による伝統あるスポーツ交流です。一般的に、群馬では渋川は北部というイメージです。
渋川が震源地であれば群馬南部地震とは言えませんね。
余震は別として群馬が震源地になることは生きてる間はないでしょう。
別件ですが、最近体調が悪く、お酒があまり飲めません。回復したら、また行きます。
投稿: カッキー | 2018年6月18日 (月) 18時24分