初めてサックスを聴いて驚いた中学生時代
母校・倉賀野中学校二年のとき吹奏楽部が誕生し、当時、私はユーホニュームを吹いてました。どうしてこの楽器になったかと言えば、この楽器が当時としては倉中の楽器で最も大きく、そのため背の高い私が担当したのかもしれません。本当の経緯は昔なので定かでありません。
今では珍しいことですが、私の姉が倉賀野中の音楽教諭であったことから姉は吹奏楽部の顧問でもあり、私は音楽の授業でも姉に教わりました。
最初、楽譜は殆ど読めなかったですが、やってるうちに見よう見まねで分かり始め、当時としては大曲「立派な青年」に挑戦です。この楽譜は当時、高崎高校の永長先生からプレゼントされたもので、15歳の私は嬉しくて毎日練習したものです。
そして、ついに永長先生が高崎高校吹奏楽部の生徒を10名ほど連れて、我が倉賀野中学校に来て本格的に指導して下さったのです。その中には倉中の先輩である三沢さん、大木さん、吉野さん、平井さんもいました。社会人になり、不思議にも特に大木さんは職場の上司として来られ、再度、誠にお世話になる巡り合わせがありました。
実は、このとき高崎高校のサキソフォーンを吹いた生徒さんの音が忘れられず、私は音色について初めて美的印象を体験したことが今でも脳裏に焼きついてます。その後、いつかはあの楽器がやりたいとの思いを持ち続け、ついに生涯の大半をソプラノサックスと共に過ごすことになりました。若き日の衝撃的印象は人生を左右するものです。
そして、時間は経過し、永長先生は勤務校が高崎高校から県下で最も歴史の長い前橋高校へ転任されました。そして、当時中学生の私には想像もつかないことでしたが、また、永い時間が経過し、35年後、今度は私が前橋高校の音楽教師として赴任したのですから、縁は不思議なものです。その後、永長先生には長きに亘り、いろんな面でお世話になりましたが、10年ほど前に世を去られました。
ところで、今月6日【土】には私が昭和時代に11年間、勤務した高崎商業高校吹奏楽部・創立60周年記念祝賀会が行われます。私は高商吹奏楽部では第三代顧問で、基盤を作られた初代の波戸場先生と第二代の梅山先生はすでに他界されてます。この事情から当時の部長・酒井君が現在、吹奏楽部OBOG会長であることから、私にスピーチとソプラノサックス演奏の依頼が来たのでしょう。
先日から練習を始めてます。アンブッシャーの感覚はすぐ戻り、運指は問題ありません。肺活量もウォーキングで心肺機能を維持したためか苦しくありません。こんなことから、楽器演奏は肉体の健康が基盤であると今更、再認識です。
ところで、サックスを半世紀以上演奏する中で、大切なことをまとめると、第一に音程の正確さです。第二に音質の豊かさです。音が痩せないでたっぷりです。第三に高貴なビブラートです。これは演奏の生命です。このためには腹式呼吸が肝心です。平素、英語の音読をしてますが、どちらにも共通することは腹式呼吸です。これらはサックスの師である今は亡き阪口新先生ご指導の賜で、真理には永遠性があります。
60周年記念祝賀会での演奏曲目は1、ジプシーの王女、2、高商凱歌、3、ソルベイグの歌です。万が一、アンコールを依頼されたら「シルクロード」です。では今日も練習です。
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