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2018年11月 5日 (月)

作曲家・福田啓司氏の作品に深く感銘

Dscf0086 【高崎市の群馬音楽センター】

 11月3日文化の日に相応しく、群馬音楽センターで初演された福田啓司作曲「祝典序曲第3番・・・・遥かなる未来へ」を拝聴し、作品の壮麗な響きに感銘したのは私だけではないでしょう。
 
 音楽に携わる人の99%は既に作曲されてる作品を声楽家が歌ったり、音楽愛好家もコーラスとして歌ったり、管楽器や弦楽器、ピアノその他の楽器で演奏します。また、音楽に携わる多くの人は鑑賞者としてです。そして、時には演奏について出来栄えを評価したりします。
 
 話題は変わりますが、日々、私たちに欠かせない物として三度の食事があります。これを音楽に例えれば、美味しく作る料理は演奏家のようなもので、それを食して味わう人は鑑賞者の立場に置き換えられます。
 
 しかし、より深く考えてみれば、それらの基となる食材を作るのは第一次産業といわれ、農業や漁業、そして畜産業に関わる人です。年間を通じて国民の生命維持に不可欠な食の源となる穀類、野菜、果物、そして日本を遠く離れ、危険を冒してまでの遠洋漁業に携わる漁師であり、これら日夜、生産に奮闘している人たちがいてこそ、私たちの生命は守られています。
 
Dscf0085【全国でも珍しい名のシンフォニーロード・・・音楽センター近く】
 
 この農業、漁業、あるいは畜産業に相当する人が音楽分野では作曲家です。どんなに美味しい料理でも、その前に食材を生産した人がいたからこそであり、同様に、いくら卓越した演奏家がいても、その前にその音楽を創作した作曲家がいたからこそであり、これ忘れてはなりません。
 
 私たちは音楽を聴いたとき、ややもするとそれを忘れ、演奏の善し悪しのみに捉われやすく、例えば、今日の演奏には誠に感銘したと感想を持ちやいものです。しかし、私たちはその一歩前まで考え、この作品が持つ本質である美的価値にまで言及する鑑賞態度を身につけたいものです。つまり、演奏云々の前に、作品の芸術性について論議できたり、作品が持つ深遠さまで享受する態度こそ、音楽鑑賞教育の中心とならなければなりません。
 
Dscf0471  
 
 実は、先日、高崎商業高校吹奏楽部・部創立60周年記念演奏会がここ群馬音楽センターで開催され、プログラムの中にこれを祝う祝典序曲が初演されました。作曲家・福田啓司さんにとって、この祝典序曲は第三番といわれます。
 
 彼のでデビュー作品は24才のとき作曲した有名な「青空の下に」です。多くの皆さんはどこかで聴いた体験をお持ちと想われます。この曲は全日本吹奏楽連盟から「下谷賞」を受賞した秀作であり、今日でも、あちこちで演奏され、特に、毎年、高校総体・群馬県大会の開会式では入場行進に演奏され、テレビ放送されます。
 
 今回、発表された祝典序曲「遥かなる未来へ」は、未来へ羽ばたく若者を祝すかの如く、金管楽器による壮麗なファンファーレに始まり、その和声は光り輝き、内包する近代的和音進行に観客は心底より、背中がぞくぞくした一種の美的体験をされたのではないでしょうか。
 
 曲は一転し、中間部ではスウェヤリンジンを彷彿させる若者の好きなリズムを取り入れ、終曲は再度、金管楽器を中心とした重厚な和声進行であり、音楽美とは旋律、リズム、和声が三大要素であることを、改めてこの作品を通じて再確認できました。
 
 私も以前に、彼の作品を群馬音楽センターで指揮させて戴いたことがあり、その体験から、彼の創作の特質は和声に裏打ちされてる壮大にして緻密な対位法ではないかと思いつつ指揮した経験が今回、祝典序曲第3番を拝聴して蘇りました。益々磨きがかかる福田啓司氏の今後の創作に期待します。
 

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