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2018年11月26日 (月)

屋敷祭りまでに稲荷様を移動し、改めて設置

P1060010【今までの屋敷稲荷】

 
 両親の時代より12月15日にご覧の屋敷稲荷に詣でて、当時、子供だった私も供物を供えた思い出があります。
 
 この稲荷は推定90年前に父が近くの石屋に依頼して作ったもので、後ろには父の名が刻してあり、長い期間に亘り風雨に晒されたため最近では解読できないほどです。それでも微かに昭和の文字と名字の柿沼、そして吉日の吉が読み取れます。
 
P1050040【稲荷本体の後側】・・・拡大してご覧ください。
 
 おそらく江戸時代より、あるいはもっと遠い古より屋敷稲荷は家屋敷、家内安全の守護神として各家で祀られてたものと推測されますが、今では見ることは少なくなってます。
 
 以前に仲町の土地にあったこの稲荷の建立が予想される昭和初期は、父が30代初め、母が20代後半であり、ルーツが埼玉県原道村であることから私の家は原道屋の屋号で商売があるいは順調に行っていた時期かもしれず、時を同じくして墓も比較的立派なものを建てたので父の全盛期であったようです。
 
 このため、石屋に頼んで稲荷様も作ったのでしょう。生前にその経緯を詳しく訊いておけばよかったのですが、若き日の私は家の歴史に無頓着なこともあり、今となっては悔まれる日々です。
 
 今の屋敷は父の時代のものと近年、私が地続きを15坪ほどを購入した土地です。このため、多少、面積が広くなり庭も作れて趣味の植物をいろいろ植えてます。
 
 実は、この度、稲荷様を私自ら少し移動することにしました。数日前に稲荷の上部を取り去りましたが、何せ重いので少しずつ建設予定です。見本は碓氷峠の旧・熊ノ平駅舎跡にある稲荷です。下の写真は碓氷峠アプトの道を散策したとき撮ったものです。土台についてこれを手本にする予定です。
 
P1020093【信越線旧・熊ノ平駅構内に現存する稲荷様】
 
 この写真のように、稲荷本体の土台は石垣にして、その上に本体を乗せる予定です。しかし、本体は二つの大きな石のため、一人では持ち上がりそうになく、娘の旦那たちが来たときにいっしょに持ち上げてもらおうと思います。果たして、家屋敷、家内安全の守護神として立派な屋敷稲荷ができるでしょうか。材料となる石はたくさんあるので間に合います。
 
 ところで、戸籍に記載されてる私の土地の正式名は稲荷前と記されてることから、現在の永泉寺の西辺りに、昔は稲荷様があったものと推測できます。今ではその面影がある所は全く見当たりません。その点からも、手造りにより石垣を積んできちんとした稲荷様を建設しようと思い立ってる今日この頃です。12月15日には盛大に屋敷祭りをしたいと思います。
 

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コメント

 上毛新聞・30・6・5「ひろば」掲載の福島博美さんの一文を思い出しました。
以下引用     
「屋敷祭りで裏のお稲荷様に供え物をする。赤飯、油揚げ、豆腐、尾頭付きの鰯。赤飯は重箱に詰めて持っていき、半紙を敷いて神様に供えた後、私たち子どもに「お手のこぼ」と言って丸くくぼませた手のひらにのせてくれる。提灯の薄明かりの中でいただく「お手のこぼ」。普通の赤飯なのに茶碗によそってもらうより何倍もおいしく感じた」
 70歳近い女性の方のようですが、「お手のこぼ」という言葉に、懐かしさと、母の思い出がよみがえったそうです。
 屋敷祭りをよくのみ込めなかったころ、隣の家の敷地の北西の隅に、南東を向いて屋敷稲荷があった。暗くなってから行っている。なぜ堂々と昼間にしないのか。
 一年家内安全、無事に過ごせたことを神様に感謝しましょう。
 
 

投稿: 三鳥居 | 2018年11月26日 (月) 11時11分

三鳥居さんへ・・・住宅街にあって比較的広いので、親が作ったお稲荷さんを大切にして行くつもりです。鳥居も18年前に母屋の新築時に作ってもらいましたが、風雨に晒されて下が腐ってます。いずれにしてもお稲荷さんの前に行くと、自然と手を合わせたい敬虔な気持ちになります。
それにしても、石造りのお稲荷さんは約一世紀経ても使えるので、先のことを見据え、父もよく作ったものです。ところで、今日は某所へは行きませんがよろしくお願い致します。

投稿: カッキー | 2018年11月26日 (月) 15時08分

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