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2018年11月12日 (月)

レース鳩のことでFM群馬に2回出演、内モンゴル放送局でも扱われる・・・60年に亘るレース鳩飼育を終了

P1010835【イギリスレース鳩月刊誌の表紙に一回目に掲載されたもの】

 小学生のとき紙芝居「お釈迦さまと鳩」を見て以来、鳩の帰巣本能の神秘さに取りつかれた少年は、ついにその人生の殆どをレース鳩飼育に明け暮れました。そして今日、60年に亘るレース鳩飼育が終わります。職業であった音楽を始めるずっと以前より鳩と共にあった生活は例外的に大学時代及びその直後のインド・カルカッタ日本人学校教員時代を除いてレース鳩のいない日はありませんでした。
 
 最初の就職であったインド滞在も、あるいは紙芝居「お釈迦さまと鳩」に影響を受け、インド生活を送くることになった遠因かもしれません。釈迦が悟りを開いたと伝えられるブダガヤ大聖堂では暫しの間、2000年前の釈迦の心境に思いを馳せました。
 
P1070013【私の鳩が越えたと想われる万里の長城で】
 
 ある日のこと、見知らぬ中国内モンゴルの人から一通の手紙が届きました。漢字のみの文章は理解が容易でなく、近くに住んでる中国の方に訳してもらったところ、内モンゴルの集寧(チーニン)に住む張さんという方が私の家で生まれた鳩を大切に飼っているとのこと。これには驚きの他はありません。
 
 やがて私は英語と日本語で文通を開始し、2回目の手紙からは習いたての中国語でも書き、「足に嵌ってる住所環が決め手となり、その鳩は確かに私の家で生まれた鳩です。」と消息を知らせてくださったお礼を書きました。同時に、私の鳩が日本海を飛び、万里の長城を越え、なぜ直線距離2500㎞のそんな遠方まで飛んで行ったのか改めてレース鳩の神秘性を感じました。
 
P1070016【内モンゴルの書家が書いて下さった書】 ・・・富士山の近くにいる君と万里の長城にいる我は、鳩が両国を橋渡しし、共に同じ月を眺めつつ祝杯を挙げる。
 
 その後、先方から「あなたの鳩に会ってやってください。」という度重なる訪問要請に、夏休み、私はついに一人で内モンゴルへ行き、大陸奥地で私の鳩と再会しました。この時、内モンゴル放送局では、日本の鳩が内モンゴルに飛んで来て、主人もその鳩に再会にやって来る」との放送ありました。日本では無名の私も、内モンゴルの新聞にも登場させていただき、現地ではどこへ行っても新聞記者が私の周囲にいました。
 
P1010839【表紙に三回掲載されたビクトリアル誌】
 
 一方、趣味の一つである英語は好きな題材で学ぶことが身につくと考え、イギリスが発行してるビクトリアル・レース鳩月刊誌を直輸入し、講読し始めました。このレース鳩誌は世界中で読まれています。しかし、私にとって英語での表現は難しく、今日でも日々挑戦し、終わりのない茨の道です。
 
P1010836【レース鳩を飼育されてるエリザベス女王様も時々ビクトリアルの表紙に掲載されます。】
 
 レース鳩飼育が仕事の学校教育でも役立ちました。高校の体育祭やマラソン大会の開会式では家から鳩をたくさん持って行き、鳩の帰巣本能や方向判定能力について説明後に一斉に飛ばしたところ、大きな歓声に包まれ、鳩たちは私の家をめざして飛びました。天高く飛ぶレース鳩を初めて見た生徒さんたちがかなりいたようです。
 
 このようなことは友人の結婚式で、お祝いに鳩を飛ばしたことがあります。また、父の葬儀では、育ててくれた感謝と鳩飼育に理解を示した父に感謝し、放鳩しました。
 
P1010873【群馬県大間々町の山の中で訓練】
 
 しかし、レース鳩飼育の中心は200K~1000Kまでのレースに参加することであり、究極には日本最北地「稚内」からのレースに参加し、帰還させることです。レースを一所懸命してた30代には稚内から2羽を帰還させ、900Kではミニュイエ系で連盟雨天1羽帰りも記憶に残ってます。最近では、「稚内モザイク号」を度重なる単羽放鳩の甲斐あって上州連盟5位に記録させることができ、胸に赤い切り傷をつけ、暫くぶりの稚内帰還に感銘しました。
 
 タイトルの如く、鳩飼育について放送に出演したことが三回あり、山梨放送はいわゆる生電話でした。地元エフエム群馬には二度放送に出演、一度は生放送でした。レース鳩の帰巣本能や、1000K飛翔するための訓練方法と血統について、内モンゴルまで飛んだ話題、前述の通り、学校教育で飛ばしたり、愛鳥週間で扱ったりした内容です。
 
 また、懐かしい一つの思い出として、今は亡き妻とお付き合いが始まった頃、妻の運転で二人で栃木県矢板市まで行って富士山の見える高台から倉賀野まで帰還させる訓練をしたことも脳裏に浮かびます。
 
 今日は午後、富岡市のピジョンクレージー鳩舎に行き、先日、越後湯沢から飛ばし、谷川岳上空を飛翔した最後の鳩たちを預かってもらいます。これらの子孫が全国の愛鳩家に渡り、将来、日本の大空を縦横に飛翔することを願ってます。
 
 

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