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2019年4月29日 (月)

平成の 半分一人で 暮らしてた

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【花の四重奏・・・2種類の牡丹、シャクナゲ、君子蘭】

 今日は平成最後の「昭和の日」です。昭和の最初3分の1は戦争であり、戦後復興を成し遂げつつある時代に育った私は6人兄弟姉妹の末として大きな病もせず育ち、この時代の最後に両親とは相次いで永遠の別れとなりました。その私が今ではすでに高齢者の一人です。

 今日で平成は残り2日間となりました。平成の記憶を大きく振り返ると、日本列島は大型台風及び巨大地震による自然の脅威に怯えた時代と言えます。一方、昭和のように戦争に巻き込まれることは一度もなく、文字通り平成に過ぎ、一見、平和の30年間でした。

 しかし、近隣国との関係では解決されない諸問題は北方領土問題、隣国の海洋進出、そして拉致被害者の全面帰国は叶えられないまま時間が過ぎてます。国内に目を向けると沖縄における基地問題が大きく、普天間から辺野古への移転で地元と国が対立し、長い期間大きく揺れたままで平成が終わろうとしてます。

 私にとって昭和の思い出は、特に職業にあり、インド・カルカッタ日本人学校勤務に始まり、その後、長いこと高校の音楽の授業、及び吹奏楽に携わり、特に高崎商業高校勤務では群馬音楽センターで定期演奏会を11年間続けられ、指揮が好きな私にとって教員として最も自分らしく過ごせた時代のように思います。

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【大ムラサキ、薄紫のツツジ、コデマリによる三重奏】

 その後、平成となり、勤務地は世界文化遺産近くの富岡高校から前橋高校に変わり、この間、ずっと愛車水色の「いすゞ117クーペ」で通勤しました。この車は走行距離26万Kも乗り、新車で購入し、動かなくなるまで乗り、誠に愛着がありました。そして、どうしてもこの車種が欲しく、2台目の黄色い117クーペは長野県から個人売買で手に入れ、結局、榛名高校、高崎商業、富岡高校、前橋高校と教員である期間ずっと愛着ある117クーペを乗り続けました。

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【群馬県立前橋高校の玄関前で117クーペと共に】

 最後に勤務した前橋高校では教員として集大成に当る期間で、力を入れたのは授業です。可能な限り、音楽の中でのバランスを取りました。音楽の分野は演奏、観賞、創作があることから、演奏ではドイツ歌曲や日本歌曲の声楽、及び、クラシック奏法のギターを全員に必須とし、歌の伴奏ができたり、全員がグリーンスリーブスや有名な禁じられた遊びが弾ける程度まで練習し、生徒は休み時間も先を競って音楽室に来るようになりました。

 一方、鑑賞教育では、大作曲家の名曲中の名曲を中心として時間を割いてゆっくり聴く時間を設けました。生徒にとってムソルグスキーの「展覧会の絵」は印象深かったようです。また、将来、国の内外で各分野に活躍する可能性を秘めた生徒たちであることから、有名な世界の国歌を中心とし、20ヶ国ほどは聴いたらすぐ分かる程度までになりました。国歌の授業する音楽教員はあまりいないようです。

 一方、創作では20小節程度の作詞作曲を必須とし、完成後は発表の時間を設け、友人の曲を鑑賞したときは笑いも起こり、楽しそうでした。ですから、歌と鑑賞だけの授業に陥らないよう配慮し、特にギター演奏と作曲は私独自の授業であり、彼らにとって、いつの日にか再び蘇る日が来ると想われます。

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【万里の長城で】

 いよいよ平成時代も今日と明日のみになりました。私にとって平成時代で最も大きなことの一つは一人で訪ねた内モンゴルです。私の家で生まれたレース鳩が、何らかの理由で直線で2500K離れた内モンゴルまで飛び、その鳩を手にした方と手紙による交流が続き、文面には「鳩は主であるあなたを待ってます。会いに来てやってください。」とのことで、断れば日本人の信用に関わるとの思いから、ついに大陸奥地まで行き、その鳩と感激の再会を果たしました。鳩は「中日友好号」と命名しました。

 また、平成で最も大きかったことは妻の他界です。15年前に亡くなったので平成時代の半分は妻がいない期間でした。二人の娘たちも独立し、私はよく一人でここまで生活できたものです。

 ところで、15年間の一人暮らしで最も力を入れたのは健康と経済です。健康法は自らいろいろ実践し、効果が感じられたものを現在でも行なってます。その主なものは不整脈防止運動です。これは左手を恰も水泳のクロールのように30回ほど回します。これで期外収縮や不整脈は全く出なくなりました。この運動で心臓に近い肩甲骨の裏側のコリが除去されたと考えられます。

 次が力士が行う「てっぽう」で、肩の柔軟性や姿勢に極めて有効です。下半身では踵を上下運動するキャフレイズ及びスクワットです。経済では信託銀行や証券会社が行なう研修会に積極的に参加し、不動産投信【リート】を中心に運用しました。

 

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コメント

人生(平成時代含む)を振り返って一番思い出に残ることは何かと問われると、多くの人はまず一番に幸せなことを上げ、後はつらいことが並ぶそうです。頷けます。
小生の一番のうれしい思い出は、平成14年4月13日に投稿した文が地元の新聞に載った時でした。

古新聞!
おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、
二三行なれど。(啄木「悲しき玩具」)

は、当時の小生のうれしさと自嘲の笑いと重なります。
平成元年、ノイローゼにかかり休職した時は、このまま再起不能になるのではないかと絶望の淵の叩き落されました。
辛いことも苦しかったことも過去の経験として令和の時代強く生きていく糧にしたい。

投稿: 時計屋の近く | 2019年4月29日 (月) 16時41分

時計屋の近くさんへ・・・いつもコメントを賜り感謝しております。長い人生にはいろいろのことが起こります。でも、亡くなった親しかった友人の心境を考えれば、元気に生きていれば100点ではないでしょうか。
 私は食事を1万6千回ほど一人で食べてます。よく続いたなと思いますが、人によっては不可能かもしれません。人間とは元々一人ですから、いざとなれば一人で生きられることが分かりました。しかし、令和になったら「より人間らしい生活に戻したい」と思ってます。平成中は本当にお世話になりました。バクのお陰で出会いました。

投稿: カッキー | 2019年4月29日 (月) 20時00分

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