塀越しに 隣人の顔 見える空間
以前に小学生が登校途中、大きな地震に遭遇し、高いブロック塀が倒れ、女子児童がその下敷きになり、無念にも短い人生を閉じたことは地震の犠牲者であったと短絡的に言えません。
本来の死亡原因はブロック塀建設者である行政や塀の建設請負者の設計ミスにあります。事前に崩落の危険を予知できた時点で、構造上、不備があった塀を取り壊すか、崩落しないよう修理を施してあったなら、未来ある女子児童は現在も普通に楽しい学校生活を送っている筈です。
私は地元・倉賀野小学校児童の登下校の安全を期し、パトロール会員になってるため通学路を巡回してます。これは交通安全は元より、不審者対策、自然災害時対策などから児童の完全を目的にしてます。
【建設中の塀の土台】
実は、半世紀以上に亘るレース鳩飼育を昨年11月でやめ、その鳩舎の裏側にブロック塀がありました。4月中に鳩舎解体同時にその塀も壊し、ご覧のように新たな塀を現在建設中で、今日も業者が作業してます。
【現在、建設中の焼きべスロックの高さも1m】
写真1と同じような形の塀ができる予定です。完成すると庭の東側、道に接してる南側、そして今回の西側がすべて同じ塀になり、同じデザインで庭を取り囲みます。
塀とは、本来、外部から不審者が無断で家に侵入しないためであったと思われます。しかし、現在では、その目的より家と共に成り立つ一つのデザインの意味があります。このため、私はご覧のデザインが気に入ってるので、今回、建設中の塀も同じものになります。
この塀は通り道に面した南側の塀です。この塀の高さにより、庭に咲く花木が外から誰にでも見えるようにしてあり、時には前の道を通過する見知らぬ方が「花がきれいですね。」と声をかけてくださり、交流が広がります。
本来、塀とは境ですが、塀越しに人と人の顔が見え、互いに話ができる状態の高さが現代社会ではよいと思います。ましてや、隣の家とは最も近くの人であり、いろいろ世話になることから、すぐに顔が見え、毎日、自然に話ができ、交流ができる高さで「断絶感が無いこと」が塀作りの大切なポイントではないでしょうか。
塀が完成した暁には、解体した鳩舎の空き地が広いことや、低い塀で風通しがよくなることから、私としては新たな植え木を模索する喜びが増えてます。四季折々、次から次へと開花するキャンパスのような庭を心に描いてます。そして、日々、緑に囲まれた健康的な生活をめざします。
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