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2019年12月12日 (木)

四方八方から樹形を眺めつつ剪定

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 私たちが感じる物の美しさとは、静物の場合「スタイル」と「色彩」に大別されるでしょう。その他、動的なことでは表情や機敏な動きなども美しさに含まれます。樹木についての魅力は枝ぶりと、花の色彩で、結果的に葉や花に生き生きした艶が表現されます。

 ご覧の樹木・金木犀の樹齢は推定100年です。性質は成長が活発です。このため大きくなり過ぎるので今までほぼ毎年剪定してます。ところが、剪定し過ぎると翌年の秋分の日前後に花があまり咲かなくなる苦い体験もあります。

 樹木にダメージを与えない程度に剪定の度合いに気を配らなくてはなりません。樹木によっては梅のようにいくら剪定しても動じないものもあり、却って剪定により翌年、色彩の濃い花を咲かせる樹木もあります。

 ところで、私が上の金木犀の剪定を行なう手加減はもう一つあります。

 実は野鳥がこの葉の中を塒にしています。葉が比較的密であることから周囲の天敵から発見され難く、安心して眠れるのでしょう。時々、夕刻にどこからともなく飛来してこの葉の中に忍び込みむ様子を目にします。ですから、このような理由で剪定の度合いを決めることもあります。野鳥が庭で過ごすことは楽しいことで、私は野鳥が集まる庭をめざしています。

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 今では考えられない大きさになりましたが、20年ほど前、埼玉県花園町から乗用車のトランクに積んできたご覧の紅梅は幹が蛇のように曲がりくねり、枝ぶりがよく、花はピンクに近い色彩で優しさに心が和みます。

 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」といわれますが、梅も何でもかんでも剪定すればよいものではありません。あくまで、魅力ある樹形を頭に描きつつ、余分な枝を切り取ります。一般的に剪定で来春、よい枝の芽や花芽が出てきます。

 私が考える余分な枝とは、下に向かう枝です。この梅の全体像として恰も雲のように、ふわりと横へ伸びる樹形をイメージしてます。それは優しく手を差し伸べるような姿です。もうすでに幾度も剪定してるので、今では次第に私の理想とする樹形になりつつあり、最近の剪定は枯れ枝を取り去る程度で、梅任せになりつつあります。

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 これから冬本番を迎えるというのに、もう、こんなに大きな蕾をつけてます。これは玄関前の牡丹です。植物は常に季節を前取りしてのでしょう。いつでもチャンス到来を待ち、手薬煉引いてるようです。私たち人間に未来を見据えて、今行うべきは何かを教えてるようにも見えます。

 私は一人暮しゆえ、その日その日をどうにか生き長らえてる感があります。それでも、植物からその姿勢を学ぶことはできるものです。年齢を嵩んでも人生の開花をめざし、チャンス到来時には躊躇することなく、パッと開花し、どんな分野でも今までとは変身したいものです。

 これは年齢に関係ないことです。年が嵩むと未来はないように感じやすいものです。ところが、人生は分かりません。あるいは、年を重ねてこそ、自らの目標に到達できる年代と言えます。一般論として、現役を退くと人生の殆どが終了したかのように思いがちです。

 ところが人間と動物は違います。人間は身体的には下降気味になりつつあっても、後半は精神の充実や判断力は若い頃より確かになることがあります。謂わば生き方を剪定することで、日々はよりアクティヴに磨かれるのが高齢期ではないでしょうか。

 特に、人間だけに許されてる芸術の見方においては、老いてますます洞察力や美的感性に深みが増し、心底より幸福感に満ちる可能性があります。植物に接し、自然の美しさを享受すると共に精神をますます研磨すれば、誰でも目標とする生き方に近づけるのではないでしょうか。

 

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コメント

 庭の草木を楽しみ、由緒ある思い出深い木に語り掛けながらの剪定作業も風流な感じがします。「『風流』という言葉の字音がfree,
frei,francなどと相通じるのは面白いと思った」とは先人の言葉。
 自然に心を解き放ち、向き合うと季節の移ろいだけでなく、いろいろな生きる喜び、ヒントを教えてくれ、時に励ましてくれますね。
 これから冬本番に向かうこの時期、少し膨らんだ蕾を見つけると心がパッと明るくなります。
 草木も明日に向かって飛び立つ準備をしています。人間も年を取ったからこそ気づくこと、取得できる能力があるようです。まだまだ
我らの世代捨てたもんではありません。
 そのために心の自由を大切に維持したい。

投稿: 深見草 | 2019年12月13日 (金) 05時05分

深見草さんへ・・・未だ陽が昇らぬ真っ暗なうちからアクセスとコメントを賜り感謝いたします。
 「人間の教育も悪い芽を摘むこと」と聞いたことがありますが、樹木の成長と人間の教育は類似してるかもしれませんね。
 仰せの通り、植物に接してると剪定の目的一つとっても、その後、良い形になるなど生きるヒントを教えてくれることもあります。
 実は、寒さのためでしょうか、昨日は腰が痛くて近くのクリニックで痛み止めを戴いたら、今朝はもう殆ど回復しています。桃の木に梯子を掛けて高い枝を剪定したので、寒さと共に筋肉を伸ばし過ぎたり使い過ぎたのかもしれません。お互いに腰を気をつけたいものです。

投稿: カッキー | 2019年12月13日 (金) 09時29分

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