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2020年6月 8日 (月)

回り道が日々を豊かにしてくれる

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【今春二回目として咲き出した品種名ぺラローマのバラ】

 NHK朝ドラ「エール」を毎朝楽しみに見てます。内容が私の青春時代に共通するところがあり、懐かしく感じます。私も主人公のように一般の金融機関に就職するつもりでしたが、高校時代、吹奏楽部に所属したら、たまたま情熱的な音楽の先生に出会い、音楽の道に進むことを強く指導受け、親も困ったようでしたが、急遽、考えてもいなかった音楽の道に進むことになったからです。私は「エール」の主人公のように作曲家ではなく、群馬県の高校音楽教育の道を選びました。

 それでも、今まで作曲をしたこともあります。最初は「喘息体操」の伴奏音楽です。喘息の子供たちの回復のため群馬大学の医師が動きを考案し、同じく吹き込みにおいて群馬大学の体育科教授が号令や掛け声を担当され、どうしたことか、私にラジオ体操のような伴奏音楽を作曲する依頼が来ました。当時、関係する学校では話題となり、当時の支援学校で良く使われていたようです。このことはNHKテレビでも、トピックスとして放送されました。

 こんなこともあり、これが元で県下の高校女子体操選手の床運動や、同じく新体操の音楽をあちこちの学校から数年間、作曲を依頼され、動きに合わせて曲を作りました。彼女たちはその音楽で高校総体に参加し演技しました。すでに50代から60代になってるでしょう。

 ところで、その後は奉職した4校で高校の吹奏楽部顧問となり、富岡地区の4校合同音楽会、高崎市群馬音楽センターでの定期演奏会、そして、前橋市民文化会館での優曇華で吹奏楽部の指揮を行い、音楽の中でも指揮することは私に合ってると思うようになりました。

 今では指揮する機会はなくなりましたが、近年では群馬音楽センターで高崎商業高校吹奏楽部第50回記念演奏会で昔の顧問として呼ばれ、シベリウスの「フィンランディア」を指揮しました。11月が演奏会でしたが、9月より毎週日曜日に学校へ練習に出かけ、暫くぶりに教師に戻った感覚で、若い高校生と本番での良い演奏をめざし、心一つに励むことができました。

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【インド・アグラにあるタージマハール】

 しかし、私の青春時代の進路はすべてがスムースに行った訳ではありません。前述のように音楽の道を志しても、専攻楽器がサクソフォーンのため、この楽器で生計を得ることはできず、しかも、6人兄弟の末っ子であっても群馬で親と共に生活することが決まってました。就職で東京などに出られず、結局、地元の大学に入り、群馬での就職が私の定めです。

 しかし、一転、人生とは先が分からないものです。卒業と共に、当時としては珍しく最初の就職が海外日本人学校と決まり、日本脱出、インド行きということになりました。

 これは私の強い希望であり、それほどよくできませんが、たまたま英語が好きなことが幸いしたかもしれません。幸運にも試験に受かり、二年間住んでいたことからカルカッタが私の第二の故郷になりました。

 日本人学校での学校業務の傍ら、休日には現地のカルカッタ交響楽団のユダヤ人常任指揮者Bernard Jacob氏の弟子になり、指揮法を教わりつつ、交流ができ、彼の演奏会に幾度となく行きましたが、いつも、観客の中に日本人は私ただ一人という生涯でも誠に有意義な日々を過ごしました。

 帰国後、この体験を高校音楽教育で生かそうと教員採用試験の勉強を始め、念願の高校教員になりました。前述の通り、進路については私の高校時代はすぐ就職するつもりでしたが、全く思いもよらず方向転換となり、幸運にも群馬の教員を続けました。その間、全国高校音楽研究会の理事になり、全国の先生方と交流ができるとは思ってもなかったことです。

 人生は焦らず、時間をかけて回り道も大いに結構で、悩むのも大いに結構、結果を出すことにのみ専念せず、中身を大切にしたいです。今後も未だ未だあると思われる人生では、中身のある豊かに日々にしたいと、何事も諦めず、前向きに生きたいものです。

  

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