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2020年7月27日 (月)

年齢を重ねても、夢を持ってこそ、一生青春

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 老若男女を問わず誰でも一年一年、否応なしに年齢を重ねて行きます。同時に人生の途上では考えられないことに遭遇するものです。こんなことも災いしてか、一般論として、年を取ると恰も、もう夢がないように考えがちです。しかし、本当にそうでしょうか。

 「人によっては人生途上で苦難を体験しても、何才になっても、前向きに生きてる人」に出会います。例えば、朝6時30分からの地区のラジオ体操会で出会った80才前後の女性は近年、配偶者を亡くましたが、彼女の第一印象はとても姿勢が良く、歩く姿は絵に描いたように軽やかで、その上、明るい人柄です。

 彼女曰く「今朝は5時からもう倉賀野中学校経由で緑地公園まで歩いてきました。」とのことです。スマホの万歩計を見つつ「すでに8000歩です。」とにこにこしながら会話も弾みます。

 この歩数は距離にしておそらく5K程でしょう。ですから、ラジオ体操する時点で、すでに血液循環は誠にスムースになってる筈です。

 続けて、彼女曰く、「以前は毎朝、倉賀野の自宅から線路伝いに高崎駅まで歩いて行き、帰路は電車です。」私はその話を聞いて、彼女の姿勢の良さと、見事な歩き方、また、明るさは、揺るぎない精神と人並み以上の修練を経て成せる業で、健康とは、あるいは人柄とは、一朝一夕には築けるものではなく、日々の積み重ねが基本にあると思いました。

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 私たちにとって、健康増進は基本の基であるとともに、心の持ち方こそ、人生の後半戦を生きる中高年にとって要でしょう。それは「自分の内面について、今までの殻を破り、できなかったことを可能にしたり、自分らしく生きるための知識を増やすなど、自らを進化させることではないでしょうか。

 子供が成長し、成人してからこそ、私たちは今度は自らのために「人間らしく生きる道」「豊かな内容ある生活」を模索し、その実現のため日々目的に向かって有り余る時間を使うことができます。

 学生時代はその殆どが好き嫌いに関わらず取り組んだいわば必須科目でしたが、人生の後半戦では、自ら本当に極めたい科目のみを深めればいいのですから気は楽です。

 私の場合、若き日のインド滞在中の想いが半世紀経た今でも続いています。その一つが「これを英語で何と言うか」、という遠大な課題です。ついにこれが生涯に亘る目標になりました。このことにある日、気づきました。

 つまり、「語学は才能でなく、辞書を引く回数である」ということです。

 結局、話したい英単語を知らないのです。このため、これを解決すれば、少しはスムースには話せるのではないかとの思いに達したのです。

 帰国後、海外から学校に来るAET(英語指導助手)の先生は日本語が話せないためでしょうか、殆どの人が職員室の隅で寂しそうにしてることが多かったです。日本の先生方も多くは話しかけないからです。私は休み時間などに積極的に話しかけ、夜の飲み会にもよく誘いました。

 このようなときも、滞印中と同じ体験をしました。話したい内容の単語が口から出てこないのです。内心「よしこれを解決すれば」あるいは口から出てくるかもしれないと感じたのです。

 以来、今でも英語の辞書は和英辞典を引くこと8割、英和辞典を引くこと2割の辞書の使い方です。

 日々、この方法で英作文してますが、所詮外国語です。生涯かかってもすべては解決できないでしょう。しかし、年齢を重ねても、真剣に取り組める対象があることは幸せで、気持ちは若き日とあまり変わりません。

  

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