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2020年11月30日 (月)

柔らかいラクダのこぶ・・・乗ったら掴っても駄目

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【急峻な万里の長城で】

 以前に中国内モンゴルへ1人で行ったことがあります。レース鳩を飼っていたとき、1羽の鳩が方向を間違えて高崎から2500Kも遠い内モンゴルまで飛んで行ってしまったことが鳩を手にした中国の人からの手紙で分かりました。

 先方は、脚環についてた私の住所を手掛かりに手紙を送ってきました。それ以来、手紙による交流を続けていたら、先方から「鳩はあなたに会いたがってます。」とのことが書いてあり、これを機会に私も中国語の日常会話を習い始め、中国内モンゴル自治区へ行く決心をしました。

 たまたま、私の家の近所に中国の若い人が住んでいたことから、休日など彼を呼んで親しくビールを飲みながら、中国のことを訊いたり、簡単な中国語で、例えば、「これはいくらですか。」「トイレはどこですか。」「レース鳩は好きですか。」「食事をしましょう。」「ご親切に感謝します。」などを口からすぐ出るように教わりました。

 このちょっとした言葉が現地に行ってすごく役立ちました。中国語の文字は漢字のみで日本語とほとんど同じでも、文章の語順が日本語とは逆で、目的語を後から言います。その点、中国語と英語に共通点があります。

 ところで、内モンゴルに在住で、高崎から飛んで行った私の鳩を飼っていた張宝崑【ツァンパオクン】さんは私をすごく歓待して下さり、内モンゴルの知事に相当する人や地元の鳩協会の会長さんなどもお見えになり、歓迎会を開いてくれました。

 たまたま、私は当時、勤務してた学校で世界の国歌を教えていたことから中国の国歌も知っており、歓迎会で歌ったら皆さん感激して下さり、より親密度が増し、そのためか60度の強いお酒を幾度も注がれ、流石の私も参りました。

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【大草原でラクダに乗る】

 滞在中、張さんに内モンゴルの特徴である大草原に連れてってもらい、移動式住まいのパオの中で宿泊しました。大草原は海抜が2000m程あると推測でき、真夏であっても、夜間は涼しく、星座が降るように輝き、空気がきれいなことが分かります。

 大草原には羊が無数に飼われていて、その晩の食事は羊の肉です。ここでも強いお酒で、乾杯に次ぐ乾杯で、私も日本にいる間、お酒が好きな方でしたが、中国の方々には太刀打ちできず、もっと日本でお酒を鍛えておけば良かったと思いました。

 ところで、生れて初めてラクダに乗りました。写真の通り、ラクダを引く人がいるので何処かへ行ってしまう心配はありません。ところが、ラクダに乗るときが大変です。

 何が大変かと言うと、ラクダは人を乗せるとき座ります。そして私が乗った後、ラクダは立つとき初めに前足で立ち始め、その後、後ろ脚で立つことから、もの凄く前後に揺れるのです。こぶが二つあったので、その間に乗りましたが、ラクダは背が高いので、乗ると位置が高くて景色は良いですが、歩いてるときも揺れて揺れて、つい落ちそうになります。

 背中のこぶに掴まればよいと思って思わず掴りますが、こぶの中には骨のように硬いものはなく、こぶは30㎝ほどの大きさでも、我々の耳たぶのように、ふにゃふにゃしてて掴まっても要を成しません。こぶの中は栄養を蓄えたも内臓のようです。砂漠の長い道のり歩いて食料がなくても中身がエネルギーになり長距離を歩けるようです。

 北京駅から内モンゴルの集寧【チーニン】までは大陸横断鉄道でも10時間以上かかり、途中は急勾配のため列車が登れず、バックして動き始める所謂スイッチバックがありました。

 まるで元来た方向へ戻る感じでしたが、この方式で標高の高い内モンゴルへ登って行きます。途中で見る万里の長城は1本ではなく、何重にもありました。建設して2000年も経ってるのに、その姿を今に伝え、素晴らしい人類の遺産と感じます。

 私の家から日本海を渡り、万里の長城を飛び越え、内モンゴルまで飛んで行った鳩はこれも何かの縁で「中国のレース鳩界で活躍しなさい」と鳩を手に取り、心で伝え、永遠の別れをしました。鳩の名は張さんと私で「中日友好号と」命名しました。

  

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