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2020年12月10日 (木)

年を重ねるほど生甲斐を感じる日々に

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【落葉をかたづけ、人気がなく寂しい佇まいの初冬の庭】

 日々、健康は与えられるものでなく、創るものであるという考えの下、私は今のところ、どうにか健康に過ごし、これ以上、有難いことはないと感じてます。と言うのは、子どもの頃世話になった兄弟姉妹を近年3人亡くし、妻は16年前に亡くなり、今年は甥も亡くしました。

 一方、若い頃はそれほど仲の良い友達はいませんでしたが、成人してから親友と呼べる3人の友人ができました。しかし、彼らも近年他界し、私は1人残されてる感じがしてならない今日この頃です。

 しかし、幸いなことに、二人の娘は仕事を持ち、社会人として元気に働いてることに感謝しつつ、私はいつでも応援できる父親でありたいと、彼女たちを見守ってます。

 父親として、その役割を果たすには、2025年に65才以上の5人に1人が罹ると予想されてる認知症を絶対に未然に避けなければなりません。このために平素考えてることは

 1、人に何かしてをもらう考えを持たない。

 2、五感を陶冶しつつ、新たなことを記憶し、日々脳を刺激する。

 3、下半身を中心に筋肉を維持・増強する。

 4、感性を磨くためピアノを練習する。

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【紅葉してる葉、青い葉、そして白い花が狂い咲きしてる雪柳】

 人間には精神と肉体が備わってるので、この両面をバランスよく自立させ、生きる手立てを人に頼らないで過ごし、それには何でも自分のことは自らの手足で行い、余裕があれば周囲の人たちに目配り、心配し、手助けする気構えこそ、結果的に自らの脳を陶冶できる基盤ではないでしょうか。

 世の中には90才から100才近くになっても、矍鑠たる超高齢者もいます。これらの方々に共通するのは何か人物が大きく感じます。また、一言一言に味があり、威厳が備わってます。きっと長い人生体験から生み出されたもので、借り物でない自身の人生論をお持ちなのでしょう。

 以前に隣町の阿久津におられた103才の滝沢三四吉さんに私は二度お会いしたことがあります。何故、お会いしたくなったと言えば、100才を超えられても上毛新聞の読者投稿欄「ひろぱ」に時々文章が掲載されていたからです。

 100才を超えられても文章を書かれること自体に私は感銘そのものです。彼のお宅までは自転車で行ける距離なので、どのような方か、お目にかかり、話を伺いたい気持ちが強く生じました。

 お会いして驚いたことは、何と、私の母(名はみね)と南八幡小学校で同級生であることが、いろいろ話してるうちに分かりました。昔は小学校でも男のクラスと女のクラスが別でしたが、村の小さい学校ゆえ、皆ん知ってる同士です。生前の母の言うには母もどちらかというと勉強はよくしてたようです。

 このため、周囲の友人から二人は羨ましがられ、友だちたちはわらべ歌を作り、「ミヨちゃんとミネちゃんは何とか~」と言う風に歌ってたと話してくれました。私は生前の母からそんな話を聞いたことはありません。

 滝沢三四吉さんは数年前に他界されましたが、今でも庭には自ら書かれたユーモラスな石碑が建立しています。100才を超えても文章を書かれ、上毛新聞・読者投稿欄に自らの考え・意見を投稿される気迫こそ私たちは見習わなければなりません。探せば世の中には生き方の手本となる人はいるものです。

 

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