小さな親切で明るくなる社会
【西洋シャクナゲ】
私の周辺地域を見回しても年々高齢者が増え続け、子供は成長し、就職し、結婚しても、多くは独立する傾向にあり、親と暮らさない状況が増加してます。親は10~20年間はそれほど生活に支障がなくても、年令と共に身体的にあちこち不具合が出て、一人での買い出しやゴミ出しも不便になり、そして最近の傾向として、ついに施設に入所する方向です。
地域には、若い夫婦のモダンな家が立ち並ぶ半面、私は小学生の登下校をパトロールし、あちこち巡回するので目につきますが、かなり空き家が増えてます。独立した子供たちにとって、勝手に親の家を解体出来ず、解体するにも莫大な費用がかかり、結果的に家や庭はほったらかしで、荒れ放題になってます。このような傾向はいつからでしょう。
私の家の近くには、高齢者が朝来て、夕方まで過ごす施設があり、施設の職員が車での送り迎えすると共に、高齢者自らがその施設まで歩いて行く人もいます。そして、一日その施設で他の高齢者たちと時間を過ごします。
ところで、今朝、私がゴミ出しに行く途中、一つの出来事がありました。それは高齢女性が1人で道路で転がったようで、自らどうにも立ち上がれず、何度も起きようと試みていました。私はすぐに発見し「大丈夫ですか」と声をかけ、体を起してあげました。彼女はその後もふらつくような足取りで、近くの施設へ歩いて行きました。
何でもない一般道道においても、荷物を持っての歩行はバランスを欠き、筋力の弱さから倒れて起き上がれないことが高齢者には起こりえます。実はこのような状態は誰でも年令を重ねると起こるでしょう。
実は、私の父も生前に200mほどの比較的近くのスーパーへ買い物に行き、体力不足でしょう。何故かしゃがみ込んでしまい、それを発見してくださったスーパーの方が私の家に知らせに来てくれました。
すぐに私は行き、連れて帰りましたが、私は両親とずっと一緒に暮らしていたので、すぐ対応できましたが、もし私も親と別居していたら、スーパーの方も父もどうしたことかとぞっとします。
今から50年ほど前に「小さな親切運動」が叫ばれました。これは茅学長が東大の卒業式で述べたことで、当時の東大生には子供に言うようなことであるとして評判が悪かったようです。しかし、その後、日本中に広まりましたが、最近では聞かなくなりました。
私たちは日常、困ってる方々に遭遇します。健康な人にとっては、ちょっとしたことでも、困ってる本人にとっては一大事です。
私たちは自分に余力があったら、いついかなる時でも困ってる人たちに手を差し伸べる心の余裕を持ちたいものです。今朝のような状況は今後ますます増えると考えられます。
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