養報寺 鬼城の句碑と 根なし松
【鬼城の句碑】・・・拡大してお読みください。
我が倉賀野町には5つの寺があり、東から養報寺、九品寺、永泉寺、安楽寺、そして林西寺です。私はこれらの寺の付近を今でも時々ウォーキングします。このうち九品寺は昔から我が家の近くにあり、子供の頃、墓地には樹木が生い茂り、夏休みに蝉捕りに行ったものです。我が家の菩提寺です。
葬式については、現代とは異なり、旧国道17号沿いにあった私の家の前を、遺族や関係者が20mほどの長さで行列を成し、太鼓と鉦を交互に打ち鳴らしながら棺は専用の木車の上に安置されての行進で、その音から私たちは葬列のことをジャンボンといいました。九品寺の庭ではその行列が右回りで何周か行ない、この右回りのことを通称ジャンボン巡りと言い、その間、遺族が小銭を撒くことからジャンボンが来ると、寺まで付いて行き、よく拾って小遣いにしたものです。
ところで、最近作られた「倉賀野かるた」に登場する養報寺には、昔から珍しい松が存在し、その名は「根なし松」と命名され、私の知る限り、現在の松は2代目です。昔の「根なし松」は幹が太く、2本の幹と幹が横になって繋がっており、本当に根がないように見えるので子供心に不思議に思いました。その後、おそらく、その松は朽ちてしまい、現在の松は新たなものですが、確かに現在の松も根がないように見え、次第に昔の「根なし松」を彷彿させるように成長してます。
【根なし松・・・現在のもの】
ご覧の通り、幹が左右に分かれ、写真では分かり難いですが、その間が馬の背のようになだらかに繋がっており、恰も、根がないような形状を成しています。それにしても二代目として、よくこのような松が見つかったものです。
ところで、この養報寺には、根なし松の所に並んで、村上鬼城の句碑があります。説明文によると次の通りです。
「養報寺の鬼城句碑」
小鳥この頃 音もさせずに 来て居りぬ 鬼城
この句碑は、大正13年に建てられた鬼城最初の句碑である。
村上鬼城は、名を荘太郎といい、鳥取藩士・小原平之進の長男として慶応元年7月20日、江戸藩邸で生まれました。
俳句を志したのは明治28年のことで、正岡子規に手紙を送って教えを受けたのが初めといわれます。著作には、大正4年雑誌「ホトトギス」に発表した「杉風論」、大正6年に刊行した「鬼城句集」などがあるが、月例句会を開いたり、新聞雑誌の選者を務めるなど、後進の指導にもあたっている。
昭和13年9月17日に74才で死去、高崎市若松町の竜広寺墓地に葬られました。
代表作には次のようなものがあります。
榛名山 大霞して 真晝かな
冬蜂の 死にどころなく 歩きけり
※尚、この養報寺には心理学者として有名な松本亦太郎と、その養父で共愛学園の設立にあたり、校長を務めた松本勘十郎の墓もあります。
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鬼城自ら揮毫した句碑ですね。拡大すると、文字がレリーフのように見え、鮮やかです。
句碑、歌碑には変体仮名が使われることがよくあり、変体仮名の勉強も大事ですね。「居りぬ」の「を」にあたる変体仮名のもとの漢字は何でしょね。
暑中、盛夏の時期を、dog daysというそうですが、面白いですね。お見舞い申し上げます。
投稿: シリウス | 2021年8月 5日 (木) 11時39分
シリウスさんへ・・・誠に暑いですね。実は申し訳ございませんが、昨晩、某所で暑気払いをしてきました。そしたら「今宵来てよかったですよ。」と言われました。
つまり、再度、来週から暫く休業とのことです。再開するのは大分先で、お盆が終わってからだそうです。
貴殿のお陰で、養報寺の鬼城の句碑をよく見学できました。「倉賀野かるた」のすべてについて、今後、現場を歩いて確認し、新たな事実を掌握したいと考えてます。
ところで、シリウスは「大いぬ座」に属し、7月初めには太陽の近くで日中輝いていることから、Dog Dayというのではないでしょうか。
つまり、太陽と共に東の空に出て、太陽と共に西の空に沈みます。1月1日午前0時にシリウスは真南にあり、つまり、太陽とは正反対の位置にありますが、半年後の7月初めには、つまり猛暑の頃に太陽の方角にあります。
投稿: カッキー | 2021年8月 5日 (木) 12時09分