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2021年8月12日 (木)

忘れられない 三人の友・・・お盆に墓参り

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 人生途上で出会った友人の中で、私が大きく影響を受けた3人の友人は、実はすでにこの世になく寂しい限りです。もし仮に彼らが現在、生存していれば交流は続き、より豊かな日々が送れ、尽きない会話であったろうと想われます。現実には、私だけがこの世に生き残っり、人生の自由を一人謳歌しているようです。お盆となり、彼らとの出会いや思い出を偲びつつ、改めて自らの生活のあり方を省みる日々としたい。

 小学校から中学校まで同級生のK君は同じ倉賀野町に住み、クラスも同じだったことが多くあり、小さい頃からよく一緒に烏川へ遊びに行ったり、お互いの家を訪ねて交流してました。若き青年時代はもとより、熟年になっても、いつも変わらぬゆったりとした話しぶりの中に、社会に対して常に「斯くあるべき」との信念に溢れ、ただ者ではないと思ってました。案の定、市議会議員に立候補することとなり、それが決まるとすぐに私を訪ねたのはつい最近のことでした。しかし、正式な立候補直前になって病に倒れ、目的は叶いませんでした。

 若き日、彼は私より数段に勉強ができ、私は大学受験に出た数学の問題について、合格発表の前に私の答えが正しかったか、どうかを尋ねに行ったら、彼は庭の土の上ですぐに計算し、解いて見せました。そしたら、私と同じ答えになり、二人で大喜びした思い出があります。彼は県庁職員になり、それ以来、交流は続いていました。

 続いて、もう一人のFさんはカルカッタ日本人学校の教員として私より1年後に赴任してきました。日本総領事館内の宿舎で明けても暮れても生活と職場が一緒で、深く交流ができ、その頃から彼とは生涯の友になると感じられました。彼の専門は美術であり、水泳も得意でした。水泳が苦手であった私をついに1000m泳げるようにしてくれました。

 一方、彼の桁外れた英語力は、私にとってどこへ旅行しても鬼に金棒であり、冬休みにシルクロード近くのカシミールへ二人で旅行しても、言葉の面で何の心配も感じさせず、有名なアグラのタージマハールを訪れたときは、左右対称的である大理石の巨大な建物に二人で感銘したものです。帰国後も家族ぐるみで交流してましたが、お兄さんが住むヨーロッパを旅行中、イタリアのフィレンツェ・ボローニャ間のトンネル内で運悪く列車事故に遭遇し、帰らぬ人となりました。

 3人目の友人は、ついこの間まで楽しく交流してくれたTさんです。退職後もあちこちの山へ連れてって下さり、山頂での楽しい語らいは数え切れません。山岳部の顧問をされていたことから山のベテランです。前橋高校で私の1年後に赴任され、たまたま職員室内での席が隣同士であったことから、愉快なキャラクターの彼とは毎日楽しく交流ができました。彼は英語教員です。私は音楽の教員で、インドに行ってたことから英語が好きになり、実は彼も以前にニュージーランドの女子高へ派遣され滞在してたことがあるので、私と共通点が多く、現職時代から退職後までずっと仲良く交流が続きました。

 彼は退職後、アオテア英語教室を主宰され、若い人たちに英会話を教えてました。時々、外国人を含めたパーティーが開かれたときは私を呼んで下さり、有意義な国際交流の催しとなり、私はソプラノサキソフォーンで参加された外国人の国歌を演奏させていただきました。お陰で、音楽や英語は国際交流にはとても相応しいと今でも感じています。私が開いたピアノのホームコンサートでも奥さま共々聴きに来てくれたのは、ついこの間のことで、あの精力的な生き方をしてた彼が亡くなるとは今でも考えられません。

 お盆の期間中、3人の友人と私の両親、そして亡き妻の墓参りをします。

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