大鶴巻 頂上広く 高天原
【拡大してご覧ください。】
楽聖ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの森を散策中に楽想を練ったと伝えられますが、人里離れ、自然に囲まれた静寂な野道を散策すると、考えようとしなくても、あれこれ頭の中にいろいろ浮かんでくるものです。
おそらく全身の血流がよくなることから、併せて脳内の血流がスムースになり、脳細胞が活発になるのでしょう。ですから、歩く速度は周囲の様子がよく見える自然の速さが相応しく、スポーツのように人と競うような速さでは物事は考えられません。
今日は午前中、2時間ほどかけ、我が故郷・倉賀野町の西南部を散策し、約10年振りに写真の大鶴巻古墳に登りました。背の高いアカシヤの樹木に囲まれた平らな頂上は100坪ほどで意外に広く、高さは10mほどです。頂上に着くや否やの印象は、最近感じることがなかった自然の涼風が流れています。このように肌に快適な風は子供の時以来です。
古墳への道はあまりはっきりしてませんが、周囲にある田んぼの畦道を横切ると古墳の麓に着き、頂上への道ははっきり有り、急勾配を登ると間もなく頂上です。頂上には一人の男性が子犬を連れていました。「ずいぶん涼しいですね。」と声をかけると「ここは空気がいいです」と言われ、子犬も私が来たので驚いた様子でした。ここは倉賀野町で最も景色がよい所です。
【頂上は高天原、アカシヤの幹で思わずテッポウした私】
この大鶴巻古墳はいわゆる古墳時代に作られたものと推測され、1500年ほど昔、倉賀野にも豪族がいたのでしょう。どんな人が埋葬されてるかは全く不明ですが、本格的な前方後円墳で、この近くには同様の形を成す小鶴巻古墳もあり、この大鶴巻古墳と対になってる雰囲気です。頂上から北西に目をやると正六地区の大きな浅間山(せんげんやま)古墳が望め、西には、今では下佐野地区に所属する1つ古墳が見えます。
昔の倉賀野には50基ほど古墳があったと言い伝えれますが、私が現在確認してるのは前述のほか、下町の諏訪神社の西にある「長賀寺古墳」、南町にある「一本杉古墳」です。これらは古の倉賀野を伝える貴重なものなので、今後、農地や宅地として地ならししてはなりません。
ところで、倉賀野町の町中には不自然で比較的広い窪地があります。その場所は仲町と下町の間、そして横町の東にあたる場所です。ここを見学すると、切り立っていたり、あまりにも不自然な低地なので、私の推測では、前述の巨大な古墳はもとより、50基ほどの古墳を作るのに大量の土が必要なことから、この場所の土を掘って運び、多くの古墳を作ったのではないかと想像できます。大昔の倉賀野は宮之原と呼ばれ、山など古墳を作る土は他にありません。
それにしても、初秋の日差しの中、今日は午前中のウォーキングで体調はまずまずでした。「健康とは運動と栄養で作るもの」であり、足腰に多少の負荷をかけ、肉体を鍛えることに留まらず、併せて、ウォーキングによって目や耳により見聞を広め、今後の生き方や発想力を培いたいと思います。
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