高崎市 観音山古墳 探索す
【画像を拡大すると臨場感が出ます。】
秋晴れの今日、高崎市綿貫町に現存する「史跡・観音山古墳」を訪れ、大きな前方後円墳の頂上に登ってきました。頂上から眺める周辺は、榛名山など遠方の山々がよく見え、景色は抜群です。
ここは有名な群馬の森の北部に位置し、近くには井野川が流れ、現在でも自然に囲まれた場所ですから、観音山古墳が造られた6世紀頃は、一層、上毛三山など、のどかな大自然に恵まれた土地であったと想像できます。この古墳はこの周辺の古墳群の一つです。
実はこの古墳へは、今から40年ほど前、私は一度、訪れたことがあります。この時は高崎市の姉妹友好都市である アメリカ・ミシガン州のバトルクリーク市から教育関係者が高崎市を集団で訪問したことから、我が家でも1名の女性教員をホームステイとして受け入れました。
その頃は我が家も老いた母を含めて、未だ家族が5人いたことから、トニーさんという彼女が滞在してた1週間には、軽井沢などあちこちにお連れしたり、夜は一杯飲みつつ賑やかに国際交流ができました。
実はその滞在中に、彼女をこの観音山古墳にお連れしたことがあり、私としては今回がそれ以来の訪問になりました。果たして、彼女はお元気で、このブログをご覧になるでしょうか。
この古墳の長さは97mという巨大なもので、墳丘はご覧の通り、二段に造られており、現在では見学者が登り易いように石の階段が設置されてます。古墳の高さはおよそ10m。
観音山古墳の発掘調査は昭和43年(1968年)に始まり、運よく未盗掘だった横穴式石室からは膨大な量の副葬品が発見され、古墳から出土した埴輪などは令和2年に国宝に指定されてます。
このため英文での説明版も設置され、内外からの訪問者が今後増えるのではないでしょうか。
特に注目されるのは、石室入り口左側に並んでた人物埴輪群とのことで、これらは古墳時代の儀礼を表現していると考えられます。観音山古墳の埴輪については、現在、近くの群馬県立博物館に配列されてるので、いずれ私は訪れたいです。
実は、私は10世紀から17世紀ごろまでの一般の日本史にはそれほど興味がなく、その代わり、古代史には大変興味があります。というのは代々と伝えられる歴史とは意外と事実と違っている場合が有り得るからです。
その点、何百万年も続いた石器時代から100世紀ほど続いた縄文時代当時の人々の暮らしについては、かなりの証拠品が現存し、私たちの遠い遠い先祖の生きた証であることから誠に興味があります。
今までも例えば、故郷・倉賀野の古墳群はもとより、7世紀前後の榛名山雄岳の噴火により埋没した子持村の黒井峯遺跡や、旧群馬町の保渡田古墳など訪れました。これからも岩宿遺跡、天神山古墳など、群馬の有名な古墳巡りを見学します。
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