ボランティア 余力の範囲で 行いたい
【鼻高展望花の丘】
2011東北大震災以降、被災して困っている方々の役に立ったり、中にはスーパーボランティアといわれる人が現れ、日本各地に出向いて活躍し、例えば山中で行方不明になった幼い子供を発見した方もいます。最近では、東京オリンピック・パラリンピックにおいて多くのボランティアが生まれ、私は日本人の若者の精神に素晴らしさを感じてます。
現代は超高齢化時代に突入し、このボランティアという精神ほど尊い社会参加の在り方はないでしょう。仕事の代わりに代償を求めず、あくまで、社会のため、困っている人のために自らの力を役立てたいという人間として崇高な精神による行動と言えます。
私など、どちらかと言えば、まだまだそのような方のボランティア精神には程遠く、自らのためばかりに走りがちです。しかし、私の場合、退職と機を同時にして、考えもしなかった妻の逝去で、急に一人暮らしが始まり、三度の孤食の回数を計算するとすでに1万8千回になりました。
こう考えるとよく頑張りましたが、実際には、とりあえずその日その都度の食事を用意してるだけなので、今では大変ではなくなり、どちらかと言えば楽しいことになってます。人間も動物なので、本能的に空腹を避けるためならいくらでも頑張れるものなのです。
ところで、少しだけ、強いて言えば私のボランティア作業は地区の方々とともに、時々、小学生の登下校について交通安全の巡視活動したり、信号機のあるところで子供の横断指導の任に当たったり、近所の一人暮らしの高齢者のゴミ出しを週2回手伝い、年に数回、地区の廃品回収作業をする程度の極めて楽な作業のみです。
ところで、今朝、ラジオ体操会場へ行くとき、私の地区のまとめ役であったり、自ら早起きして公園の落ち葉などを毎日のように清掃してるOさんが、公園近くで歩けなくなって困っていました。「どうしましたか?」と声をかけると「公園の落ち葉をゴミ集積所まで運んだら、以前に手術した膝が痛くて歩けない」と言うのです。
彼は地区のために、何でも率先して活動され、私の家の前にある集会所「ふるさと」の館長でもあることから、ここにもたびたび来て清掃されてます。地区のため人々のため、すべてに亘り、率先して作業をしておられ、頭の下がる思いです。彼こそ、正にスーパーボランティア精神に満ち溢れてます。
ところが、最近の朝の気温の冷え込みは著しく、古傷の膝が突如、重労働に耐え切れず、ついに悪化してしまいました。彼も一人暮らしのため近所に住む姪御さんが車で迎えに来てくれました。
彼の地区を思う気持ちは本当に脱帽の思いです。タイトルに書きましたように、ボランティアとは本来、先ず自分の生活を考え、余力の上に成り立つものですが、彼は寒くなった早朝の薄暗い時間から、公園に来て一人で清掃作業を行ってました。
私などボランティアについては言われたことのみする人間です。私は地区の年齢構成を考え、人任せにせず、もっと地区のために仕事を率先して行うべきと考え直しました。
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