「生老病死」と「老病生死」・上毛新聞ひろばより
このブログのコメンテーター「時計屋の隣さん」の投稿文が本日の群馬県地方紙・上毛新聞読者投稿欄「ひろば」に再度、掲載されました。誠におめでとうございます。つきましては、県外の皆様にも広くお読みいただくためブログにも掲載しました。以下は彼の投稿文です。
・・・タイトル「生老病死」と「老病生死」・・・・
友人から「午前中、病院で処方を受け、夜は幼なじみ数人をしのぶ会に参加した」というメールをもらった。「老病生死」は、「生老病死」の誤りではないかと辞書を引いた。生老病死は「人間がこの世で避けられない四つの苦しみ。生まれることと、老いること、病気になること、死ぬこと。仏道修行の目的はこれらの苦しみを克服すること」とあり、老病生死は「年とって病気になったり、死んだりすること」とあった。
生老病死の苦は仏道修行で消え去ってゆくとあるが、後期高齢者の現実はやせ細りつつある「生」に、避けることができない「老病死」が漬物石のように重くのしかかっている感覚である。
難しい世の中のことをここまで渡り終えてきた身には熊沢蕃山が詠んだとされる「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」という歌のように困難に立ち向かう元気はもはやなえ、「老病死」が「生」を容赦なく追いかけ、足元をすり抜けて行こうとしている。それでも、健康管理をしっかりしながら今を楽しみたい。江戸時代後期の禅僧で画家の仙崖義梵の辞世「死にとうなぃ」をかみしめている。
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コメント
拙文をご紹介いただき恐悦至極です。仙崖義梵は、良寛と接触を持った禅僧。
画風は今日的に言えば、”ゆるキャラ”でほのぼのした中にもユーモアと禅味がある。□△〇を無造作に描いた図形のような画には深い哲理を感じる。
投稿: 時計屋の隣り | 2023年5月 8日 (月) 16時31分
時計屋の隣りさんへ・・・こんにちは!
最近は掲載の頻度がすごいですね。小生も驚いてます。投稿されてる中でも、きっと、文章がそれだけ個性的なのでしょう。
読み手としては読解力も必要です。しかし、後期高齢者のやり場のない心境を如実に表現しています。
私たちは現実の世に負けず、取り巻く環境に左右されず、これからも自分らしく、人生では「飽くなき真理の探究こそ最も人間らしい生き方」と感じてます。
次回も楽しみにしています。今回、掲載されたお祝いはいつになるのでしょう。
投稿: カッキー | 2023年5月 8日 (月) 17時27分
『仙崖義梵の辞世「死にとうなぃ」をかみしめている』。とありますが、どのような意味だと思いますかと質問された。
長生きすれば、世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあり、楽しいこともまだまだある。
「死んで花実が咲くものか」。死んでしまっては、もうどんなにしても面白い生き甲斐のある人生は送れない。
「命あっての物種」。何事も命あって初めてできるものだ。死んでは何もできないから、命を大切にしようというメッセージ。
投稿: 時計屋の隣り | 2023年5月10日 (水) 17時22分
時計屋の隣りさんへ・・・こんばんは!
本日は二度もコメントを戴き恐縮です。先日の掲載文は庶民には少し難解の部分もあり、それだけ文章が高尚だったです。ですから、質問があったでしょう。
今日の上毛新聞では、私が高商で担任した生徒の母が投稿してました。「ウグイス孃」の人です。時々、彼女の投稿文を見ます。また、前高時代の吹奏楽部の母も時々投稿されてます。やはり二人の母とも昔から自分をしっかり持ってる方で素晴らしかったです。手紙を戴いたこともあります。
投稿: カッキー | 2023年5月10日 (水) 20時48分