カテゴリー「インド生活の思いで」の2件の記事

2008年2月12日 (火)

一晩中起きて警戒する門番

Dscf0035   写真は運良く学校を卒業するや否や赴任した当時のカルカッタ(現・コルカタ)日本人学校です。

 今、顧みると若き日の私にとってインド生活は驚きの連続で、事前に想像できていても実際に街で聞く言葉はベンガル語やヒンディー語のみの世界。当時、日本でこれらの外国語の本を見つけることは不可能で、毎日ちんぷんかんぷんでした。

 これに加えて赴任当初の4月5月は真夏、午前11時頃が最高気温となり、日陰で測って42度。心臓は運動した後のように速い脈を打ちます。頭上から照りつける太陽のもとで道路上は50度くらいと思われます。

 中でも日本と異なるのは文化・風習の違いでした。カースト制は廃止されていても、身分の違いは変えられるものではないようです。

Dscf0036_2  インドで驚いたことはたくさんあっても、日々の生活において使用人を雇っていたことは生活が一変しました。王様になったようです。彼らたちはいわゆる召使です。初めてもらったインド・ルピーの給料の中から彼らに給料を払っていました。

 これらの人たちの職種は料理人、スウィーパー(掃除人)、ベアラー(家事全般)、ドライバー、門番などです。風習として洗濯も自分ですることができず、ドビーという洗濯する人に週に2回ほどしてもらいました。

 インド滞在当初、夜、音に驚きました。それは深夜、毎晩パチンパチンと鋭い音がするのです。何だろうと思って外を覗くと、門番が家の外を周回し、竹のような長い棒で地面を叩いて、侵入者や泥棒が来ないように見張っているのです。この音はあちこちで聞えました。

 この深夜の音に初めは気になっても暫らくして慣れ、次第にこの音が安眠を誘うようになるのですから人間は環境に慣れるものです。彼らは一晩中起きて任務を果たし、日中は寝ていることが多かったです。

Dscf0034  私の顔を見ると「チッティーアーターハイ」と言って、日本から手紙が来たことを知らせてくれた声が今でも耳に焼きついてます。両親、友人、恋人からの手紙にどれほど嬉しかったかしれない私でした。

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2007年4月 4日 (水)

東洋の水の都スリナガル

Dscf0514   カルカッタからインド国内航空でニューデリーへ向かうと遥か北方にヒマラヤ山脈が望めます。下界のヒンドスタン平原は炎暑というのに、紺碧の空の中、すっぽり万年雪に覆われた長い長い山脈は、いつものインドとはあまりにも対照的な「天上の美」です。約2時間、機上から見る白銀の山々は次から次へとその偉容を変え、これでもかこれでもかとその雄姿を誇り続けています。下界を望むとただただ広大な原野で40度を越す猛暑の中、何億人もの人々が生きてる筈です。

 ニューデリーではガンジーの墓に礼拝してアグラの町へ、大理石による左右対称美のタージマハ―ル及び要塞を見学、いよいよ念願のカシミールに向け飛行機は北上しました。

Dscf0519 途中、給油のためインド空軍基地に立ち寄り、ここでは厳しく写真撮影が禁止されてます。窓から見る光景は物々しく戦闘機がずらりと並んでおり、現実世界の緊迫感に満ちてます。お客の中に思わずシャッターを押してしまった人がいて、いつになっても飛行機が出発しないので、おかしいなと思ったら基地でそれを傍受してたのです。そのうち、係員が来てフィルムを没収していきました。

Dscf0520 その後、飛行機はぐんぐん高度を上げて水平飛行を続け、ついに来た遥かなるカシミール。世界の屋根に囲まれたその町はスリナガル。人々の顔のつくりが今まで見たインド人と趣が異なってます。目が大きく、特に鼻全体がかなり大きくて高いのです。民族的なことと思っていましたが、試しに幾人かいた男性にどうしてそんな大きな鼻をしてるのか訊ねました。そしたら愉快なことに、毎日引っ張ってると言いました。これには本当かと笑いました。私も真似をしましたらやり過ぎて、ついに鼻血が出てしまいました。

 Dscf0557 驚いたことに、こんな遠くに来てもヒンズー語が通じます。やはりインドでの公用語なのです。また、大変美しいことに湖の中に町があり、どこへ行くにも水路を通って屋根つきボートに乗り移動するのです。途中では同じ形のボートに乗った行商人とすれ違い、そのボートはそばに近寄ってきて商売を始めます。私も民芸品を買いました。この屋根つきボートの中には寒さをこらえるために「カングリ」という名の壷に火が入っていて、それで暖を取ります。現地の人はここカシミールを「東洋の水の都」と言ってます。

 ここは木彫りの民芸品に特徴があり、私は見事な彫刻が施してある物をいくつか手に入れました。陸に上がってからジュ―タン作りの家内工業を見学、手作業による民族的色彩の濃い出来栄えには驚嘆しました。

Dscf0529  お泊りはハウスボートという名のホテルです。これは湖に浮いてる大きな船です。普段は動かないように岸に停泊していて、お客はそこに滞在宿泊するのです。中を歩くと船が多少揺れぎしぎし音がします。澄んだ空気と聳え立つ山々に囲まれ、静寂な湖を眺めての滞在は憂き世を忘れさせてくれました。

 今頃、日本は新年を迎えた筈と大晦日8時半に乾杯しての夕食です。日本との時差は3時間半。大昔から東西交流の中継地であったここカシミールで新年を迎えたことは私の心の歴史にいつまでも残るでしよう。こんなロマンチックな所へ新婚旅行に来たらいいと思います。

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