カテゴリー「インド生活の思いで」の6件の記事

2016年7月 5日 (火)

今回のダッカ事件を・・・インド滞在経験から考える

P1010468【インド・デカン高原ハイデラバード市】

 今回、発生したダッカにおける卑劣な事件に対し、強い憤りを感じるとともに計り知れない無念さで犠牲となられた何の罪もない方々に、心より哀悼の誠を捧げます。

 私たちが海外でこのような事件に再び巻き込まれないためには、どう行動したらよいでしょう。

 海外において日本人が日々、生活する上で「何に注意を払い」、「異文化、異なる風習の中でどうのように行動すべきか」、若き日の2年間、隣のインド日本人学校教員として過したカルカッタでの日常生活や、インド国内旅行、カシミール、そしてネパール旅行などで得た拙い経験から考えてみました。

P1010466 【カルカッタから離れた農村の女学校の授業風景】

 バングラデッシュは私がカルカッタ【現コルカタ】滞在中、パキスタンから独立した国家で、インドの新聞でも大きく取り上げられたことを覚えてます。

 バングラデッシュとは「ベンガル人の国」と言う意味で、民族としてはインドのカルカッタの人たちと同じく、ベンガル人でベンガル語を話します。概して、インドではヒンズー教徒が多いのに対し、バングラデッシュはイスラム教徒が多いといわれます。

 バングラデッシュの人口密度は1000人以上といわれ、インドより遥かに高く、位置は大河ガンジス川とジャムナ川がベンガル湾に流れ込む広いデルタ地帯です。このデルタ地帯からベンガル湾に注ぐ多くの入り江の様子を機上から見たことがあります。

Bgmapja 【ウィキペディアより転記】

 今回のダッカ事件の背景を考えるとき、インド同様、私は学生時代に習ったカースト制度に根源があるように感じてなりません。それはインド西ベンガル州に属するカルカッタ市とバングラデッシュは民族がほとんど同じだからです。

 現在のインドではカースト制が法律で禁止されていても、昔からの風習として簡単に消滅するものでなく、厳格に現存してると考えられます。生まれたときからそれに伴う貧富の格差は歴然とし、その枠から出られず、生涯を通じて尾を引き、この社会的因習は世代を超えてつながり、それに伴う貧富の格差は想像を超えるものです。

 一方、近年、この地の若者の一部は、特にIT関連で世界をリードするほど高い頭脳の持ち主といわれます。しかし、それに併行して、従来からの貧富の格差、被差別観に悩んでる若者も多く、解決の道はなく、金銭的に楽な人はほんの一握りと考えられ、多くの若者は厳しい経済の現実を受け入れてるものと想われます。

P1010464 【日常的な光景】

 ところで、インドにおける日本人はカーストに所属しなくても、その身なりや、多くの場合、使用人を雇うこと、また、社会的行動により高い位置にあると現地の人たちから見られてる筈であり、これも現地の人たちが感ずる日本人や欧米人との格差社会でしょう。

、私がカルカッタ滞在中の事件として、現地の人とのトラブルにより在カルカッタ・フランス総領事が事件に巻き込まれ、亡くなったことがあります。「上下関係がある他民族とのつながり」は危険が伴うようです。

P1010465【日本人学校で働いてた人たちと小生】

 実はニューデリーに行ったときのことです。「銀座」という高級レストラン内で、ある日本人男性の行動が気になりました。客は一見してインドの富裕層が多く日本人はちらほらです。

 そこで目にした彼の光景は、尻のポケットに誰にも見えるように、100ルピー札50枚程度を束にしてレストラン内を歩いてるではありませんか。

 インドでは100ルピー札が最も大きい札で、日本の1万円札のようなものです。札束を見せびらかす傲慢な行動に驚くと共に、このような行動は非常な妬みを買うことにつながるのではないかと直感しました。

 インド庶民にとって1ルピーを稼ぐのは大変な労力です。当時、多くの彼らの日常生活はルピーの100分の1の貨幣単位であるパイサの世界です。因みにインドの言葉で「これはいくらですか」と値段を訊くのは「イエ・ケトナ・パイサ」といい、ルピーで訊かずパイサで訊く習慣があります。ですから100ルピー札1枚は一カ月、家族を養えるほどの金額です。

P1010469【若き日の一コマ】

 滞在してたカルカッタでは「モキャンボ」という高級レストランがあり、館内では専属の楽団が演奏し、日本人が来店すると「ブルーライト横浜」「さくら」の演奏を始めるのが通例です。私たちは仕事上、何か大きな行事が終了すると、同僚とここでインド料理を楽しみつつ、一杯飲みました。

 しかし、このような高級レストランへ多くのインド人は生涯行くことはできないと考えられます。それは高価だからで富裕層のみです。日本人を車で送迎するドライバーは主人たちの食事が終わるまで、ひたすら外で待ち続けます。当時は多くの日本人や欧米人がそうでした。

 このようなことは日本ではあり得ないことで、当初、不思議でしたが、慣れてくると次第に当たり前に感じました。しかし、よく考えると同じ人間なのに、それ以上に【彼らの国であるのに】、なぜ、日本人はこんなに地位が高く、優遇されてるのか思ったものです。

 当時の何気ない自らの行動を今考えると、見方によっては全くの無防備であり、極めて危険な環境にあったと思わざるを得ません。何か起こっても防ぎようがありません。

P1010472 【現地で描いたVictoria Memorial in Calcutta】

 ところで、カルカッタ滞在中、私が実際に危険を感じた事件が2回ありました。街を一人で歩いていたら、後ろから奇妙な日本語で語りかけてくるインド人がいました。結局、彼の布販売の店に連れて行かれ、こちらが買う意志がないのに、彼は布を一定の大きさに計り、ハサミを入れてしまいました。

 20ルピーであると言い、私は彼の店内に一人だったので仕方なく後でシャツでも作ろうと無理やり買わされました。やはり一人歩きは危険です。買わなかったらどうなったか分かりません。日本語で話しかけてくる人は危ないと思いました。

 また、2年目の日曜日、カルカッタの街を一人で歩いてたら、狭い路地で声を掛けられ、その仲間もいて危険な目に会い、この時は長い足を使い夢中で逃げました。金銭目的で共謀して悪事を企む人たちがいます。

450pxmahabodhitemple 【釈迦が悟りを開いたインド・ブダガヤ大聖堂】 

 現在は誰でも簡単に海外へ渡航できる時代です。しかし、治安が世界一安全な日本と外国とは全く異なる状況であることを忘れてはなりません。外国人から見て、概してメガネを掛け、カメラを携帯する日本人はすぐ分かるでしょう。また、日本が経済大国であることは世界から知られてます。特に貧富の差が著しい途上国への渡航は、今後、いっそう身を引き締めて行動しなくてはならない時代でしょう。

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2011年5月 5日 (木)

懐かしいインドが蘇った美術展

 インドの人々やインドの風景をテーマにした絵画展に行ってきました。群馬県安中市の「ギャラリーくぼにわ」で開催されてる洋画家・北村真氏の新作45点の絵の一点一点に、私は眠りかけていた若き日が蘇りました。

 学校卒業と同時に就職したカルカッタ日本人学校に勤務した若き日、強烈に目に焼きついたインド人の風習や街角の光景に驚いたものであっても、現地で日々生活してるとそれが当たり前のようになり、当時、若かったこともあり次第に日本のことを忘れかけてくる現象がありました。

 一方、現在でも一日としてインド滞在中の生活を忘れることはなくても、当時、強烈であった印象は次第に遠のいてるという現実もあります。

 ところが、今回の絵画の数々に滲み出てる人々の顔のつくりや、その哲学的表情とともに色彩豊かな民族衣装、そしてインド人ならではの動作の数々が余すところ描かれてる北村氏の一枚一枚の絵画に私は青春時代が蘇り、氏の緻密な表現と色彩感覚に深い感銘を受けました。

 常に動物と生活を共にする彼らは神聖な白い牛をはじめとして、ラクダやヤギ、クジャク、鳩とともに日々があり、一枚目の絵はオールドデリーに戯れる鳩と美しい女性で、この絵に私は最も深い感動を覚えます。私の家にはインドの品々が飾ってある「インドの間」がありますが、ここに飾りたくなったほどです。

 左隅のヴイクトリアメモリアルの建物の絵は当時の私が描いたものです。これはカルカッタにある英国ヴィクトリア時代の博物館で、日曜日に境内で描いていたら、インドの人たちが黒山のように集まり、絵が素人である私は恥ずかしくても逃げられない状況になってしまいました。初めて味わう注目された状況にあっても暫しの間、我慢して描き続けた思い出があります。

 ところで、日々レース鳩を飼育してる私にとって、鳩は生活の一部であり、それはインドに由来します。

 1枚目の絵は子供のころ紙芝居で知った「お釈迦さまと鳩」という物語を彷彿させるもので、それ以来50年以上にわたり鳩を飼育し続けているのも、インドが関係してるといえます。その後、縁あってインド滞在となり、私の人生とインドは掛けがいない繋がりとなってます。

 北村氏とは「ギャラリーくぼにわ」で初めてお目にかかりましたが、ご挨拶を申し上げたところ、快く応じて下さり、丁寧な応対に感銘しました。氏は幾度となくインドを訪問され、インド各地で個展を開かれたそうでこれも驚きですが、私とはインドという共通点のほかに彼の高校の母校に私が勤務してたことも分かり、初めてお目にかかっても、深いつながりを感じました。

P1010912  この絵の女性もそうですが、インド女性は何かするとき座りこむ習慣があり、この姿も懐かしいです。物を食べるとき手のひらを上にして何度も握り、ほどよく柔らかくなると口に運びます。これは日本女性が行わない仕草で身体はかなり柔軟でしょう。ヨガの国ならではの特徴と言えるかもしれません。

 街角でスペースがあれば店を広げ、ネックレスや宝石など売ってる光景に当時が甦ります。私はイエケトナパイサと言って値段を訊くことはよくありました。このような雰囲気ではヒンズー語が口から出てきます。

 この顔立ちに民族の歴史的な交流を感じます。滞在2年目の時、インド北部のカシミールで新年を迎えたことがあります。ここは多民族による東西交流の地点でシルクロードの南寄りです。このため、顔立ちが東洋系・インド系・中近東系、東欧系、ロシア系の混ざった風貌をしており、特に男性の鼻は作って付けたかのように大きいです。

 ここは雪が降る世界の屋根の一角スリナガールの町。当時、私は日向ぼっこしている数人の彼らに「なぜ鼻がそのように長く大きいのか」と尋ねたことがありました。そしたら冗談かどうかは分かりませんが、毎日鼻を持って伸ばしてるというのです。私はカルカッタに帰ってから彼らの言った通り、毎日鼻を引っ張っりましたら、1週間ほどして鼻血が出たことがあります。それでも、まんざら冗談ではなさそうで、少しは効果があったように思います。

 同様に氏の描かれたこのスーりャ寺院はオリッサ州プリ―の海岸近くにあり、寺院全体が移動できるかの如く、大きな車輪が土台近くにたくさん彫刻されています。当時、この寺院を見たとき私はあるいは日本の祭りの山車の起源はここではないかと感じました。カトマンズでは山車の本物を見たことがあります。

 これは南インド・マドラス近くのベンガル湾の海岸に建つショア―テンプルで何百年間も海風に耐え抜いています。私はこのベンガル湾で海水浴をしたことが思い出されました。

 今回、この絵画展が地元紙に紹介され、読んですぐに訪れましたが、懐かしい時間が持てました。北村氏には感謝するとともに、「世の中には共通するものを持ってる人がいるものだ」とつくづく人間の神秘を感じました。

 絵画は氏の許可をいただき、ブログに掲載させていただきました。  

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2009年10月22日 (木)

インドでは椅子のことを苦しいといい、臍のことは無いという

 学校を卒業すると同時に赴任したカルカッタ日本人学校時代の思い出はたくさんあり、今でも一日としてインドでの生活を忘れたことはありません。初めて両親から離れての生活は、まず食べ物が全く異なり、特に生水を直接飲めないことが不便でした。

 4月の日本はまだ寒くてもカルカッタはすでに真夏で、気温は1日のうちで午前11時が最高となり摂氏42°程です。この温度では運動した後のように脈が速く打ちました。

 暑い生活にやっと慣れてきたら5月いっぱい夏休みでこれは助かりました。生活の違いで最も大きいことは暑いことと、四六時中、耳に入る言葉はベンガル語やヒンディー語、そして英語です。ベンガル語とヒンディー語は異なっる言語であっても、共通してる言葉が多いようです。私はなるべくインドの共通語であるヒンディー語を覚えるようにしました。

 当時、日本の書店ではヒンディー語の入門書は見当たらず、全くチンプンカンプンの状態で渡印し、毎日インドの方々に接していましたが、初めて彼らから覚えた言葉はガラムでした。さて、何のことでしょう。そのために必要なものはパニーでした。何でしょう。

 本日は当時、現地で覚えたヒンディー語の単語を中心に思い出してみます。

   前述のガラムは暑いということです。「今日は大変暑いです。」はアッジ・ポート・ガラム・ハイです。アッジは今日、ポートは大変、ハイは「です」ということ。語順は英語や中国語と異なり日本語と似てます。

 パニーも毎日よく使いました。つまり暑いので飲む水のことです。「これは飲み水ですか。」はイスカ・ピネカ・パニーです。イスカは「この」という意味です。ピネカは飲めるいうことです。

 タイトルの言葉を初めて聞いた時は笑いました。座って楽な椅子が苦しいなんて何とおかしなことでしょう。「この名前は椅子です。」はイスカ・ナーム・クルシイと変わった言い方になります。ナームは名前です。

 また良く使った言葉に「イエ・キア・ハイ」で、これは何ですか。ということです。これによってこちらから質問し、いろいろ言葉を覚えたこともあります。有難うはダンニャバードでよく使いました。

 もしかして使わない日がなかった言葉はアッチャーです。これは「よい」ということで大変便利でした。アップ・アッチャー・ハイといえば「あなたはお元気ですか。」です。アップはあなたです。良くないことは何事もアッチャ・ネイで済みます。否定はネイです。「あなたの名前は何ですか。」はアップカ・ナーム・キアハイです。ハムラ・ナームは私の名前は~です。

 イエ・ケトゥナ・パイサは「これはいくらですか。」です。アビ・ケトナ・ダンは「今何時ですか。」です。

 男性のいる所で「ウダル・セ・ボート・アッチャー・ラルキー・アーターハイ」というと全員がすぐに遠くを見ます。ウダルはむこう、セはから、ボート・アッチャー・ラルキーは大変きれいな女性で、アーター・ハイは来ます。

 女性の前ではラルキーをラルカーにすれば、女性もやはりそちらをすぐ見るのですから、どの国の方も格好いい異性に興味があるのは同じですね。

 アップ・ジャンターハイ(あなたは知ってますか。)、ハム・ネイジャンター(私は知らない。)

 ウダル・セ・カタムホギャ・アーター・ハイもインドならではの光景で、「あちらから亡くなった人が来ます。」でカタムホギャは死人です。目抜き通りを担架に乗せられて来ます。化粧して赤く塗ったりした顔が直接見えるのです。

 その他良く使った言葉はカーナ(食事)、タラ(星)、イタ(石)、シャボン(石鹸)、クッタ(犬)、ビッリ(猫)、タンダー(寒い)、ナヤ(新しい)、ラースタ(道)、ケッラ(バナナ)、アーム(リンゴ)、タルボジャ(スイカ)、マチ(魚)、ハワイ(風)、カウア(カラス)、ランマー(遠い)。チョータ(短い、小さい)、ムータワラ(太った人)、ビビジ(妻)、チョータワラ(子供、小さい人)、バッドゥブー(汚いもの)、カラー(黒い)、アーグ(火、火事)、チャビ(鍵)、トラトラ(少しだけ)、アビ(今)、ムーン(顔)、アーク(目)、カーン(耳)、ハントゥ(手)、パオーン(足)、ムーク(くち)、ナイ(へそ)、バハルテ(インド)、チッティー(手紙)、ホギャ(終わり)

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2008年10月15日 (水)

ピアノまで頭に載せて運ぶインド人の風習

 左は私の部屋に飾ってある絹に描かれたインドの田舎の絵です。何となくユーモラスな感じが漂ってます。男性が音楽を奏で、それに続き、頭に物を載せた怪しい雰囲気の女性が踊るように行進してます。

 男性が身につけてる腰巻のような衣服はドーティーと呼ばれ、女性のものはほとんどサリーですが、ここでは仕事がしやすいように少しアレンジしてあるようです。何のことか、女性は皆真剣な眼差しで男性を見つめ、3番目の女性は男性に向かって「私ですか」と自分を指さしてます。しかも、みな裸足です。

 2枚目、3枚目の絵には「夫婦のあるべき姿」が滲み出てると思うのは独り者である私の思い過ごしでしょうか。睦まじさが漂ってます。日本にはない習慣ですが、やはり、頭に物を載せてます。

 北インドは世界の屋根で雪が積もります。このため、インドは暑い国と一概に言えません。しかし、広範囲のインドは5月が真夏であっても、一年を通じて暑く、大昔から住まいや衣服には涼しい工夫をしてきたのでしょう。

 若き日、カルカッタ(現コルカタ)でインド人と生活を共にし、いくつも驚いたことがあります。家には家事をしてくれる人たちがいました。料理する人、掃除する人、家事全般、その他、ドライバーなどです。言葉はヒンズー語及び英語です。

 彼らと話していると、その都度、頭を横に傾げるのです。あるいは顎を横に出すのです。初めのうちは私の言ってることに何か不満があるのかと思ってしまいました。

 毎日、一緒にいるうちにその習慣が次第に理解できるようになり、ついに私までが顎を横に出すようになってしまいました。この頭を横に傾げるとき、彼らが口に発する言葉は「ティケ」です。「ティケ」とはOKのことであることが、感覚的に分かってきました。しかし、ティケと言わないときは本当に一見NOのように思いましたが、それでもOKなのです。民族によって風習が違いますね。

 このようにインドの方々はOKの場合、首を横に曲げる仕草をしますが、翻って私たち日本人は話の途中、OKつまり分かりましたと相手に伝える動作は首を少し前に倒しますね。これと同じ意味なのですから、民族によって仕草が異なるものです。インドの方々は、OKのとき首を縦に振る日本人の風習こそ変だと感じてるかもしれません。

 タイトルに掲げましたように、頭に荷物を載せ物を運ぶ風習を毎日目にし、穀物や壷を載せるのはいいとしても、私が最も驚いたことは「死者を担架に載せ」4人がかりで、やはり頭で運ぶのです。しかも、棺桶に入れず、死者の顔は赤色などで化粧し、周りから誰にもよく見えるのです。その行列は大都会の目抜き通りでも行進し、焼き場方面に行くのです。ですから、インド滞在中にたくさん亡くなった方を見てしまいました。亡くなった人のことをカタムホギャといいます。

 また、日本では絶対考えられないことですが、何とピアノまで4人で頭の上に載せ運ぶのです。身長がほとんど同じでなくてはなりません。誰か「一人疲れて参ったら」ピアノは転落し大怪我間違いありません。

 考えられぬほど重くても4人で歩調を合わせ辛そうに前進する姿は、ガソリンゼロリットルで仕事を成し遂げるインド人の頭脳的プレイにも見えました。数学のゼロはインド人により発見されたといわれます。

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2008年2月12日 (火)

一晩中起きて警戒する門番

   写真は運良く学校を卒業するや否や赴任した当時のカルカッタ(現・コルカタ)日本人学校です。

 今、顧みると若き日の私にとってインド生活は驚きの連続で、事前に想像できていても実際に街で聞く言葉はベンガル語やヒンディー語のみの世界。当時、日本でこれらの外国語の本を見つけることは不可能で、毎日ちんぷんかんぷんでした。

 これに加えて赴任当初の4月5月は真夏、午前11時頃が最高気温となり、日陰で測って42度。心臓は運動した後のように速い脈を打ちます。頭上から照りつける太陽のもとで道路上は50度くらいと思われます。

 中でも日本と異なるのは文化・風習の違いでした。カースト制は廃止されていても、身分の違いは変えられるものではないようです。

 インドで驚いたことはたくさんあっても、日々の生活において使用人を雇っていたことは生活が一変しました。王様になったようです。彼らたちはいわゆる召使です。初めてもらったインド・ルピーの給料の中から彼らに給料を払っていました。

 これらの人たちの職種は料理人、スウィーパー(掃除人)、ベアラー(家事全般)、ドライバー、門番などです。風習として洗濯も自分ですることができず、ドビーという洗濯する人に週に2回ほどしてもらいました。

 インド滞在当初、夜、音に驚きました。それは深夜、毎晩パチンパチンと鋭い音がするのです。何だろうと思って外を覗くと、門番が家の外を周回し、竹のような長い棒で地面を叩いて、侵入者や泥棒が来ないように見張っているのです。この音はあちこちで聞えました。

 この深夜の音に初めは気になっても暫らくして慣れ、次第にこの音が安眠を誘うようになるのですから人間は環境に慣れるものです。彼らは一晩中起きて任務を果たし、日中は寝ていることが多かったです。

 私の顔を見ると「チッティーアーターハイ」と言って、日本から手紙が来たことを知らせてくれた声が今でも耳に焼きついてます。両親、友人、恋人からの手紙にどれほど嬉しかったかしれない私でした。

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2007年4月 4日 (水)

東洋の水の都スリナガル

   カルカッタからインド国内航空でニューデリーへ向かうと遥か北方にヒマラヤ山脈が望めます。下界のヒンドスタン平原は炎暑というのに、紺碧の空の中、すっぽり万年雪に覆われた長い長い山脈は、いつものインドとはあまりにも対照的な「天上の美」です。約2時間、機上から見る白銀の山々は次から次へとその偉容を変え、これでもかこれでもかとその雄姿を誇り続けています。下界を望むとただただ広大な原野で40度を越す猛暑の中、何億人もの人々が生きてる筈です。

 ニューデリーではガンジーの墓に礼拝してアグラの町へ、大理石による左右対称美のタージマハ―ル及び要塞を見学、いよいよ念願のカシミールに向け飛行機は北上しました。

 途中、給油のためインド空軍基地に立ち寄り、ここでは厳しく写真撮影が禁止されてます。窓から見る光景は物々しく戦闘機がずらりと並んでおり、現実世界の緊迫感に満ちてます。お客の中に思わずシャッターを押してしまった人がいて、いつになっても飛行機が出発しないので、おかしいなと思ったら基地でそれを傍受してたのです。そのうち、係員が来てフィルムを没収していきました。

 その後、飛行機はぐんぐん高度を上げて水平飛行を続け、ついに来た遥かなるカシミール。世界の屋根に囲まれたその町はスリナガル。人々の顔のつくりが今まで見たインド人と趣が異なってます。目が大きく、特に鼻全体がかなり大きくて高いのです。民族的なことと思っていましたが、試しに幾人かいた男性にどうしてそんな大きな鼻をしてるのか訊ねました。そしたら愉快なことに、毎日引っ張ってると言いました。これには本当かと笑いました。私も真似をしましたらやり過ぎて、ついに鼻血が出てしまいました。

  驚いたことに、こんな遠くに来てもヒンズー語が通じます。やはりインドでの公用語なのです。また、大変美しいことに湖の中に町があり、どこへ行くにも水路を通って屋根つきボートに乗り移動するのです。途中では同じ形のボートに乗った行商人とすれ違い、そのボートはそばに近寄ってきて商売を始めます。私も民芸品を買いました。この屋根つきボートの中には寒さをこらえるために「カングリ」という名の壷に火が入っていて、それで暖を取ります。現地の人はここカシミールを「東洋の水の都」と言ってます。

 ここは木彫りの民芸品に特徴があり、私は見事な彫刻が施してある物をいくつか手に入れました。陸に上がってからジュ―タン作りの家内工業を見学、手作業による民族的色彩の濃い出来栄えには驚嘆しました。

 お泊りはハウスボートという名のホテルです。これは湖に浮いてる大きな船です。普段は動かないように岸に停泊していて、お客はそこに滞在宿泊するのです。中を歩くと船が多少揺れぎしぎし音がします。澄んだ空気と聳え立つ山々に囲まれ、静寂な湖を眺めての滞在は憂き世を忘れさせてくれました。

 今頃、日本は新年を迎えた筈と大晦日8時半に乾杯しての夕食です。日本との時差は3時間半。大昔から東西交流の中継地であったここカシミールで新年を迎えたことは私の心の歴史にいつまでも残るでしよう。こんなロマンチックな所へ新婚旅行に来たらいいと思います。

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