翼が結んだ日中友好、その7
内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く
★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます。★
タイトル【万里の長城に感慨深く・永遠の別れ】
張さん宅で二人の息子さんや張さんの弟夫妻を交え、最後の夕食をしました。奥様がお手製の餃子を振舞ってくださり、すごく大きくて驚きました。いろいろ会話が弾み楽しい時間が持てました。
今回の旅行では傳(フー)さんが通訳としてずっと付き添ってくださり困ることはありませんでした。一方、私も中国語については前もって近所に住む中国の方に教わっていきましたので下手であっても、できるだけ話してみました。
外国へ行くにはその国の言葉の基本だけでも勉強しておくと、より一層中味の濃い旅になり、これは欠くべからざることでしょう。今回、事前の中国語学習は交流に役立ちました。
語学に限らず、物事は上手か下手かでなく、それを行なうことに意味があると思いますし、特に言葉や音楽は民族が異なっても互いに心を一つにするでしょう。
楽しい会話をしてるうちに午後8時40分発の北京行き列車に乗る時刻が迫ってきました。ついに、私の家で生まれ、日本海を渡り、万里の長城を越え、遥々内モンゴルまで飛んできた「中日友好号」と分かれる時がやって来ました。永遠の別れです。
もう一度、鳩を手にとり「もう二度と会えないけれど元気で中国で生活せよ。」と心で伝え抱いてやりました。張さん宅を離れる時の友好号の寂しそうな顔がいつまでも脳裏に焼きつきました。まるで、自分の子供を中国に置いてきた心境です。【涙】
張さんご夫妻、二人の息子さん、作家の李さん、鳩協会の会長さんなどが集寧駅まで見送りに来てくれました。張さんご夫妻とホームで別れるときは口では表現できないほど辛かった。ご夫妻の目も涙涙です。「友好号の世話を宜しくお願いします。」「ご親切有難う。」と言って列車が動き出しても窓から身を乗り出し、いつまでも手を振りましたが、見えなくなりました。
列車はもと来た線路を真っしぐらに傳さんと私を乗せて北京に向かいました。疲れもたまったのでしょう。寝台ではぐっすり眠れました。北京に翌朝7時に着きました。この日は北京市内をあちこち見学です。有名な天安門、故宮、景山公園、北海公園ではボートに乗り遊びました。夜は民族飯店で過ごし、初めて落着いて中華料理を味わいました。海外でいただくビールやお酒は格別おいしく感じます。
驚いたことに北京では日本のテレビ番組が同時に放送されており、夜はプロ野球ナイターが放映されています。8月6日の朝は広島から原爆の日の式典の様子が中継され、平和宣言後にたくさんのレース鳩が飛ぶのを見ることができ、私も中国から平和を祈りました。
1日貸し切ったタクシーで天壇公園、そして北京市から離れてる明の十三陵では地下に入りました。その後、改めて万里の長城を見学、ここでも万里の長城は山の頂から頂きに連なり、必ず山の稜線を通っており、どこまでも高い位置を選んで造ってあります。かなり急勾配のところもあります。私の鳩は果たしてこの辺を飛び越えたのだろうかと思いを巡らし、しばらく悠久の歴史を刻む万里の長城で周囲の景色に見とれていました。
今回の内モンゴル旅行は初期の目標である私の鳩に会うこと、そして張さんにお礼を言うこと、鳩が越えたと想像される万里の長城を見学することでした。張さんとはレース鳩の見方や訓練方法について、ご家族を交えて楽しく交流でき、いつの日か日本へ来てほしいと伝えました。
日本人としてただ一人で訪問した内モンゴルではたくさんの中国の方々と知り合いになれ、本当に親切にしていただきました。レース鳩の名の通り、十分に日中友好ができ、私の人生で歴史的な旅となりました。 おわり
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