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カテゴリー「上毛新聞に連載」の7件の記事

2008年5月18日 (日)

翼が結んだ日中友好、その7

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

  ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます。★

   タイトル【万里の長城に感慨深く・永遠の別れ】

 張さん宅で二人の息子さんや張さんの弟夫妻を交え、最後の夕食をしました。奥様がお手製の餃子を振舞ってくださり、すごく大きくて驚きました。いろいろ会話が弾み楽しい時間が持てました。

 今回の旅行では傳(フー)さんが通訳としてずっと付き添ってくださり困ることはありませんでした。一方、私も中国語については前もって近所に住む中国の方に教わっていきましたので下手であっても、できるだけ話してみました。

 外国へ行くにはその国の言葉の基本だけでも勉強しておくと、より一層中味の濃い旅になり、これは欠くべからざることでしょう。今回、事前の中国語学習は交流に役立ちました。

  語学に限らず、物事は上手か下手かでなく、それを行なうことに意味があると思いますし、特に言葉や音楽は民族が異なっても互いに心を一つにするでしょう。

 楽しい会話をしてるうちに午後8時40分発の北京行き列車に乗る時刻が迫ってきました。ついに、私の家で生まれ、日本海を渡り、万里の長城を越え、遥々内モンゴルまで飛んできた「中日友好号」と分かれる時がやって来ました。永遠の別れです。

 もう一度、鳩を手にとり「もう二度と会えないけれど元気で中国で生活せよ。」と心で伝え抱いてやりました。張さん宅を離れる時の友好号の寂しそうな顔がいつまでも脳裏に焼きつきました。まるで、自分の子供を中国に置いてきた心境です。【涙】

 張さんご夫妻、二人の息子さん、作家の李さん、鳩協会の会長さんなどが集寧駅まで見送りに来てくれました。張さんご夫妻とホームで別れるときは口では表現できないほど辛かった。ご夫妻の目も涙涙です。「友好号の世話を宜しくお願いします。」「ご親切有難う。」と言って列車が動き出しても窓から身を乗り出し、いつまでも手を振りましたが、見えなくなりました。

 列車はもと来た線路を真っしぐらに傳さんと私を乗せて北京に向かいました。疲れもたまったのでしょう。寝台ではぐっすり眠れました。北京に翌朝7時に着きました。この日は北京市内をあちこち見学です。有名な天安門、故宮、景山公園、北海公園ではボートに乗り遊びました。夜は民族飯店で過ごし、初めて落着いて中華料理を味わいました。海外でいただくビールやお酒は格別おいしく感じます。

 驚いたことに北京では日本のテレビ番組が同時に放送されており、夜はプロ野球ナイターが放映されています。8月6日の朝は広島から原爆の日の式典の様子が中継され、平和宣言後にたくさんのレース鳩が飛ぶのを見ることができ、私も中国から平和を祈りました。

 1日貸し切ったタクシーで天壇公園、そして北京市から離れてる明の十三陵では地下に入りました。その後、改めて万里の長城を見学、ここでも万里の長城は山の頂から頂きに連なり、必ず山の稜線を通っており、どこまでも高い位置を選んで造ってあります。かなり急勾配のところもあります。私の鳩は果たしてこの辺を飛び越えたのだろうかと思いを巡らし、しばらく悠久の歴史を刻む万里の長城で周囲の景色に見とれていました。

 今回の内モンゴル旅行は初期の目標である私の鳩に会うこと、そして張さんにお礼を言うこと、鳩が越えたと想像される万里の長城を見学することでした。張さんとはレース鳩の見方や訓練方法について、ご家族を交えて楽しく交流でき、いつの日か日本へ来てほしいと伝えました。

 日本人としてただ一人で訪問した内モンゴルではたくさんの中国の方々と知り合いになれ、本当に親切にしていただきました。レース鳩の名の通り、十分に日中友好ができ、私の人生で歴史的な旅となりました。 おわり

2008年5月16日 (金)

翼が結んだ日中友好、その6

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

     ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます。★

               タイトル【軟らかいラクダのこぶ・大草原】

 大草原は見渡す限り短い草で覆われた大地で、道がなくてもどこへでも歩いて行ける。大きなラクダもいて、大草原に沈む夕日はまさに「月の砂漠」の歌のようで、世の中には広い所もあるものだとつくづく感じます。

 ラクダに乗ってはじめて知ったのですが、あの背中のこぶは非常に軟らかいのです。ですから乗って揺れるとき、こぶにつかまっても駄目です。人が乗るときラクダは乗りやすいようにしゃがみますが、立つとき前後にすごく揺れて落ちそうになり、思わずこぶにつかまりたくなります。

 また、この大草原には羊が何千頭といますが、そのうちの何頭かが今晩の食事のために殺されるのです。生きている羊を仰向けにし、二人がかりで腹から切っていく非常に残酷な光景です。かわいそうであんなことをしていいのかと恐ろしくなり、食卓に出る羊の肉を見るたびに思い出してしまいます。

  ここ大草原に生きる人々は快く迎えてくれます。羊の乳でできた手作りの紅茶を出して歓待してくれましたが、私は香りや味に慣れてないせいか何杯もいただけるものではありません。片言の中国語で話してみましたら、年令は見た目よりお若いことが分かり、私とあまり変わらなかったです。そして大自然のように心の広い人たちで、その大らかさは羨ましいです。

 また、ここに住んでる方々は大草原での生活に必要なのか、遠くに響く発声法が身についてるように感じます。私は声の出し方に関しては、いつも注意してる方ですが、このように広いところで発声練習するのも、あるいは良い響きの声を作る一つの方法かもしれないと思いました。それにしても歌声は天性なのでしょう。充実した声量です。

 海抜が高く空気が澄んでいるためでしょう。夜は星座が降るように見えます。特に天の川は白い雲のようにくねっています。空気の澄んでいた大昔から人間は天体の動きとともに生活していたことが頷けます。真夏にしては温度が低く、鳥肌が立ちました。

 翌日は集寧(チーニン)に戻り体育協会で私の歓迎会がありました。大きな赤い字で私の名前が掲げられてある部屋に通されました。内モンゴル放送局や新聞で取り上げられたためか、皆さん私の鳩が日本から内モンゴルまで飛んできたことをご存知でした。

 歓迎会では副知事、集寧副市長、レース鳩協会会長、作家の李氏らともお会でき、新聞記者など多くの方々と交流できました。場所を変えての懇親会では、またもやあの強いお酒で何度も乾杯です。どういう訳か、このとき私は結構飲めましたので、これらの偉い方々も喜んでくださり、和やかに話ができました。

 作家の李氏は「中日友好号」を主人公とした物語を出版すると言ってくれました。お酒が程よく回ると、李氏は「北国の春」を歌ってくれましたので、私はお礼に「アジアの伝書鳩」と「中国国歌」を歌いました。

 その後、張さんご夫妻と傳さんと私はデパートに行ったり、集寧市が一望できる小高い丘にある忠霊塔に行きました。ここでは少々複雑な気持ちになったのです。

 漢字ですので意味は大体理解できますが、傳さんが訳してくれました。「第二次大戦でこの地方の人々が日本軍によって犠牲となり、これを後世に伝える」という主旨が銅版に彫られています。集寧市も日本に対して大きな歴史的事実があることを知り、静かに合掌し忠霊塔を後にしました。

 今回、私の鳩が日中友好の架け橋になっているので、今後、恒久的に日中の平和を望み、私をここへ連れて来てくれたのかもしれません。

2008年5月14日 (水)

翼が結んだ日中友好、その5

内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く   

      ★中国で起きた大地震にお見舞い申し上げます★

      タイトル【柱なく自在に組立て・パオ】

 張さん宅からジープで3時間ほどのところに広がる大草原へ連れてってもらい、大きな移動式テントであるパオに宿泊しました。パオの入り口は一ヶ所で丸い住居です。天井の真ん中に空気入れ換え用の窓が開き、夜はそこから星や月が見えます。雨が降れば紐を引いて閉めることができます。中に柱はなく、取り壊したり組み立てたりが簡単で、季節と共に移動しやすくできてます。何百頭もの羊を食料用に飼育してるので、餌となる牧草を求めてパオも移動するのです。

 パオの中に個室はなく、パオ全体が大きな一部屋で中央に炬燵のようなテーブルがあり、そこで家族はいつも一緒に食事をします。パオは大草原の中に集落を作るかのようにいくつも建っていました。

 ここで本当に驚きました。大草原のこの日の新聞に私と「中日友好号」のことが掲載されているのです。日本から飛んで来た鳩に遠路遥々会いに来た日本人と書かれています。こんな遠くの内モンゴルで、その日の新聞に掲載されるとは全く予想しなかったことです。

 ところで、内モンゴルの大草原では困ったことがありました。それはトイレです。レンガで囲まれただけの粗末なというか素朴なものです。そのトイレの中は部屋のように広く、下にいくつも穴があいてるだけです。屋根がありませんので、まさに大自然のもとで用をたすのです。

 大草原でない内モンゴル集寧の住宅街でも人々は公衆便所に行くのです。それは200~300メートルおきにあり、男性と女性のところは分かれていますが、トイレ内には個室の囲いがなく、下に穴が開いてるだけで10人位がいっしょに並んでしゃがんで話をしながら用をたすのです。まるで井戸端会議でもするかのように楽しそうにいつまでもしゃがんでいます。これこそは日本と全く異なる風習です。

 こんな光景など生まれて見たこともない日本人の私は絶対にその仲間には入れませんでした。苦労して誰もいないトイレをあちこち我慢して探し回ったり、人の入ってない時間を探したりして、それでも誰か来るのではないかとドキドキしながらやっとできました。こんな不安な気持ちでトイレ入ったのは生まれて初めてです。トイレットペーパーは備えてありませんし、どのトイレ付近にも水道はなくて困りました。

 夜8時頃になったら中央の大きなパオの人が呼びに来て、今からパーティーをやるから皆集まってくださいとのこと。風貌の異なる少数民族の方々もたくさん各地から集まっています。小編成の楽団もいて民族音楽が流れ、楽しい交流会が始まりました。

 民族衣装を纏った司会者から、日本から飛んで来た「中日友好号」のことと、その鳩に遥々会いに来た私のことが紹介されました。そして私に何か余興をせよとのことで、楽団の方のキーボードをお借りし、とっさに中国国歌を演奏しましたら思いがけず全員の手拍子をいただき、弾き終えたあと拍手喝采となり盛り上がりました。国歌に対して非常に愛着をお持ちであることが分かります。

 それにしても、こちらでは何度でも乾杯します。座席が離れていても目が合うとお互いに盃を上げ乾杯する習慣があるのです。私は内モンゴルに来てこれほどまで歓迎を受けるとは想像してませんでした。心からの日中友好に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。私はアルコールが好きな方ですが、ストレートで飲む60度のお酒にはさすがに参りました。中国の方はお酒に強く、ずいぶん召し上がってます。このお酒にはどこでも出合いましたが、その度ごとに中国の方にまさに乾杯【完敗】でした。

2008年5月12日 (月)

翼が結んだ日中友好、その4

  内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く      

          ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

          タイトル【口笛の音に懐かしそう・再会】  

 果たして私の育てた鳩に会えるかどうかと思いながら、翌朝、張さん宅に行きました。レンガ造りの張さんの家には鳩舎が二つあり、約40羽ほどの鳩が飼育されていました。

 その中で1羽目立ち見たことがあるような顔をした鳩がいました。あの鳩だろうと指さして張さんに言いましたら、その通りだったのです。

 すぐ手にとり抱いてあげました。足輪には私の名前と住所の群馬高崎倉賀野町が刻印されてます。どうしてこんな遠くまで飛んで来たのかと、じっと顔を見ましたが、3年ぶりに抱かれたせいか、鳩もおとなしくしばらく私の手の中で安心していました。

 日頃、私は口笛を吹きながら餌を与えたり、舎外運動している鳩を呼び込んだりしているので、口笛を吹きましたら、その音に懐かしそうな振りを見せ、じっと私の顔を見ているようでした。あるいは口笛の音を思い出したのかもしれません。

 張さん宅には新聞記者が数名来ていました。私が「中日友好号」と再会する劇的瞬間を写真に撮ってくれ、インタービューもありました。張さんの家の中には、前もって私が送っておいた「中日友好」と書かれた大きなダルマが飾ってあり、その部屋で朝食をいただいたり、プレゼントの交換をしました。そして、内モンゴル放送局が「中日友好号」を扱った放送の録音を聴いたのです。

 驚いたことにその放送の中で「アジアの伝書鳩」の音楽が7月21日に内モンゴル全土に流れたことが分かりました。この歌は「中日友好号」のことをニュースを知った岡山県の方たちが作詞作曲したくださったものです。聴いてみると「アジアの伝書鳩」(ヤーチョウダシングー) や「中日友好号」(チョンルーヨーハオハオ)、また、私の本名を中国語読みした「シーツァオホンフーシャン」という言葉が聞き取れました。

 「アジアの伝書鳩」の音楽はFM群馬が以前にこの鳩について放送したテープで、前もって私が張さんに送ったものです。日本語と中国語のカラオケで歌えるようになっています。この歌のお陰で「中日友好号」は中国全土や内モンゴルで一層ニュースバリューが高まったようです。張さん一家とはこの歌をいっしょに歌いました。

 内モンゴルで名高い書家の楊魯安氏は「中日友好号」を讃える大きな掛け軸を書いておいてくださり本当に感銘しました。その内容は「レース鳩が伝える心温まる話で、日本のレース鳩が日本海を渡り、内モンゴルまでやって来た。そして張さんとの手紙による交流が始まった。これは中日両国民にとって良い話しで、鳩が両国民の友情を生み出した。」というようなことです。

 もう一人の書家、銘楊もプレゼントしてくれました。「富士山の近くにいる君と万里の長城にいる我は共に同じ月を見ながら盃を上げる。これはレース鳩が日中両国を結びつけた尊いことである。」という内容です。

【注:アジアの伝書鳩の歌詞については2007年1月31日のブログに載せてあります。】 

2008年5月10日 (土)

翼が結んだ日中友好、その3

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く      

      ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

      タイトル【通訳連れ駅に出迎え・張さん夫妻】

 夕闇の中を列車は進みトンネルに何度も入りました。この上に万里の長城があるのです。私のレース鳩「中日友好号」もこの辺を飛んだのだろうかと思いを巡らしながら景色を眺めていました。行っても行っても雄大な光景で夜中は下弦の半月が東の空に輝き、それに映し出された大陸の薄暗さは別世界のような印象です。時計は夜中の12時を回り、乗客は皆眠っており、大陸を進む列車の轟音だけが暗黒の世界に響いています。窓から見る景色に電灯のようなものはなく、大陸の奥地は本当に暗い。

 大陸横断列車のため途中の駅では殆ど停車しません。有名な張家口(チャンチアコウ)や大同(タートン)の駅では15分ほど停車したのでホームに出てみました。真夏であるのに深夜で内陸のためか気温は低く、空気は快適です。この周辺は山岳地帯であるため、列車の窓から時々万里の長城の連なりが見えます。万里の長城は1本でなく何重にも見えます。また、万里の長城は大小さまざまで、すべては山の頂から次の山の頂に連なってます。

 列車は山をジグザグに登るのです。「あれっ、進行方向が逆だ。」列車はもと来た道を戻ってるのかなと思いましたが、珍しく「スイッチバック」の駅を通り過ぎたのです。窓から見る景色が逆に動き出し慌てましたが、その光景はますます大平原の趣になってきました。いよいよ内モンゴルに差し掛かっているのです。だんだん到着予定の午前1時45分が近づき、気持ちは高ぶってきました。北京駅から10時間45分の列車の旅は終わろうとしています。

 集寧(チーニン)という駅は本当にあるのだろうか。期待と不安が交差しました。また、前日、北京から内モンゴル政府の方に傳(フー)さんから到着時間を電話連絡していただいたけれど、私の「中日友好号」を飼育している張宝菎(チャンパオクン)さんに伝わっているかどうか不安でした。もし、集寧という駅に関係者が誰もいなければ、寒いけれど朝になるまで駅で過ごそうと傳さんと相談しました。列車の力強い音は次第にそのリズムがゆるやかになり、内モンゴル自治区集寧に着きました。

 集寧は地方にしては大きな町で、深夜にもかかわらずかなりの人々が降りました。ホームを歩いていましたら、ネクタイをしめた2人の男性と1人の女性が私たちの方へ歩み寄ってきました。私はそれが張宝菎さんであることがすぐに分かり、「ニーシーチャンパオクンマ」(張宝菎さんですか)と問いかけると握手してくれ、私の大きな荷物を持ってくれました。やはり、連絡がとれて迎えに来ててくれたのです。誰もいなければどうしようと思っていたので安心しました。

 張さんは心配して通訳の方を連れてきていたのです。ですから一方の男性は通訳だったのです。また、私は張さんに「ニーダアイレンハオマ」(奥様はお元気ですか)と尋ねましたら、女性は張さんの奥様だったのです。彼女はにこにこして握手してくれました。以前に日本へ写真を送ってくださったことがあるので、明るいところでお顔を拝見しましたら奥様であることが良く分かりました。

 この町は現在でも外国人に開放していないので、すぐ公安局に行きパスポートを見せ、滞在許可を取りました。その夜は集寧市の迎賓館のような立派なところへ案内され、明朝8時に会う約束をして一先ず休みましたが、興奮してすぐには寝つかれませんでした。

2008年5月 8日 (木)

翼が結んだ日中友好、その2

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

        ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

        タイトル【なごやかな列車の旅・期待】

 2日の内モンゴルパオトー行きの列車は午後3時出発のため、乗車までだいぶ時間があり、天安門広場へ散歩に行きました。毛沢東の大きな写真が飾られてある天安門の前は一辺が70センチほどの正方形の石が何万と整然と敷き詰められてある広い石畳です。その正方形の中に一人ひとりが入れば、何万という人が整然と縦横に並ぶことができるとすぐに分かりました。

 ここには中国各地から家族連れの観光客がたくさん来ており、毎日賑わってます。北京では2両編成のバスに何度も乗りましたが、多くの運転手は女性です。ワンマンでなく女性の車掌が切符を売ってますので、女性が活躍してることがすぐ分かります。交通は非常に激しく、日本とは逆の車は右、人は左で、午前6時頃から何百台もの自転車の集団が百メートル道路を猛スピードでベルを鳴らしながら走ってます。私は国際免許証を持っていましたが、これでは運転は不可能と思いました。

 いよいよ内モンゴル集寧(チーニン)へ出発。日本の我が家で生まれた鳩に会えるかと思うと、胸も期待感でいっぱいになり、ワクワクして北京駅に行きました。駅の内部に入ると天井が非常に高いのが印象的です。駅前には列車を待つ何千という人がしゃがんでおり、異様な光景です。特に改札口のようなところはなく、列車の各車両のデッキの所に女性の車掌がいます。その方に切符を渡し、代わりに寝台の番号札をもらって自分の座席の所へ行くのです。2等車でしたので一般の中国の方々ともすぐ近くでした。

 いよいよ出発。放送にはロシア民謡や日本の「北国の春」が流れたりして、いかにも雄大な大陸横断列車の感じです。各車両には先程の女性の車掌が石炭でお湯を沸かしておいてくださり、お客は窓の下に備え付けてあるポットでそれをもらいに行き、お茶を飲んでいます。お客は自分専用のコップを持ってきており、中国の方はお茶の好きな国民であることが分かります。

 車中ではパック詰めの夕飯も売っており、傳(フー)さんが買ってきてくれました。ニンニクの芽とマトンを炒めたものがご飯の上にのせてあり、味がしみていておいしい。多くの客も食べてます。列車は大変に長く、18両編成400メートルくらいで力強く大陸を進んでいきます。あたりは懐かしいインドの大平原に似ており、広大です。

 列車は1時間に一度くらいの割りで停車し、途中の駅で止まると、近くに住んでる農家の人たちが果物を売りに列車の窓のところまで来て、大きな声で果物の名前と値段を言うのです。ホームがないので、線路のところから上の窓に向かって叫んでいるのです。私も桃を買いました。水分の補給にはこれらなら安全と思い買いましたが、列車が出発しそうになると、もっと売りたいために値段をどんどん下げるので先に買った人は損をしてしまい、おもしろかった。

2008年5月 6日 (火)

翼が結んだ日中友好、その1

 内モンゴルへ飛んだ鳩に会いに行く

              ★胡錦涛国家主席の来日を祝して★

 本日、中国から胡錦涛国家主席が来日しました。実り多い日中首脳会談となり、これを機に日中関係が益々発展するよう祈ります。

 私が飼育してたレース鳩が以前に中国内モンゴル自治区まで飛んで行ったことがあります。先方から鳩を保護している旨の連絡が入りました。その距離何と2500Kです。私たちはこの鳩を互いに「中日友好号」と名づけました。

 このため私は中国内モンゴル自治区集寧へ行き、その鳩に再会し、保護してくださった張宝菎さんという中国の方にお礼を申し上げてきたことがあります。これについて群馬県の上毛新聞社が7回にわたり連載してくださいました。

 胡錦涛国家主席が来日されたことに合わせ、掲載された文章を連続して発表します。日本と中国の恒久平和を願ってやみません。

 タイトル【大陸の第一歩に感動・再会への旅】

 8月1日イラン航空で北京に着きました。約4時間の飛行でしたが、24年ぶりの外国で飛行機の窓から大陸を目にしたときは懐かしい感動を覚えました。日本人学校の教師として2年間のインド滞在以来チャンスがあればと思いながら、なかなかその機会に恵まれず、今回、レース鳩「中日友好号」のお陰で中国内モンゴル訪問のチャンスが到来したのです。

 私の家にいらしたことがある中国女性の傳(フー)さんが北京空港に出迎えてくれ、久しぶりの再会となりました。彼女は天津外語学院で日本語を教えています。北京空港からその日の宿泊地である民族飯店までは車で1時間ほどです。午後8時過ぎというのにまだ日が沈まず、道の沿道には人々がゆったり夕涼みをしています。それは最近の日本では忘れかけていた懐かしい昔の光景です。

 人々は縁台に腰掛け、うちわで扇ぎ、楽しそうに話していたり、散歩してたり、子供たちもたくさん遊んでいます。サマータイムを取り入れてるため時間的に夕方、余裕が出てくるのでしょう。日本では時間的余裕がなく、忙しく動いていてるわけですが、今叫ばれてる「ゆとり」はあるいはこのサマータイムによって可能ではないかと感じました。

 天安門広場を通り、民族飯店に着いてから早速、北京駅に行って通訳をしてくださる傳さんと翌日の内モンゴル集寧(チーニン)までの寝台特急切符を買うことができました。安心して再び民族飯店まで戻り、11時頃やっと夕食になりました。この日は北京市内をあちこち歩き、お腹も空きましたのでビールの巡りも良く、つい飲み過ぎてしまいました。北京での初めての中国料理は好みに合い、おいしく食べられました。時間が遅かったため他のお客は誰もいなく、傳さんと二人だけの妙な夕食となりました。いよいよ明日は私の家で生まれた鳩に会えるかと思うとワクワクしてきました。

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