若き日に 叩き込まれた 中間予備運動
赤いグラジオラスが咲き終わり、今度は、以前よりあった黄色が咲き始めました。近くにはこれと同じ品種のグラジオラスが推定30本ほど束になって蕾を持ってます。この光景はいよいよ乱立の様相を見せ始め、我こそこれから咲くぞとばかりの勢いで、築山は黄色一色でますます賑やかになりそうです。このように、次から次へと開花の「準備」が始まると、一帯は花園としての芸術味を呈してきます。
ところで、この「準備」ということでは、昔、指揮法の専門の先生について指揮を習っていたときのことが思い出されます。私は卒業演奏会では、大学始まって以来、指揮法で行ないました。習った曲はたくさんあり、思い出は「エグモント序曲」、「魔笛序曲」などです。今は亡き恩師S先生曰く「指揮法で肝心なことは中間予備運動である。」とよく指導して下さったことが、半世紀以上経た今でも脳裏に焼き付いてます。
卒業後、10年ほどして高校教育の現場である吹奏楽を高崎市の群馬音楽センターで、定期演奏会として、おそらく100曲以上指揮しましたが、序曲1812年など、どんなに難しい大曲でも、また、比較的、指揮が簡単な行進曲「栄冠は君に輝く」などでも、この中間予備運動を明確に行なうと「指揮を見る人にとって、次の出だしが瞬時に予測され」演奏しやすく、結果的に、その音楽の持つ時間的快適さや、逆に悲壮感が滲み出てくることを実践で知りました。
このことについては、日本人学校教員として初めての就職でインド滞在中に、カルカッタ交響楽団のユダヤ人常任指揮者バーナード・ヤコブ氏に、指揮法について弟子にしていただいたことが、忘れられないインドでの青春の思い出になってます。
Bernard Jacob先生は年間のうち涼しい10月~翌年2月頃までインドに滞在し、あとの半年間はイギリスに住み、ロンドンモーツアルトプレイヤーの指揮をされてました。インドでは毎月、定期演奏会を指揮され、私はいつも最前列で聴いていたため、指揮者や楽員にいつもの日本人が来てると知れ渡り、楽員の中にはステージから観客席の私に会釈する人もいました。
レッスンは日曜日で、Bernard Jacob先生は「未完成」「フィンガルの洞窟」などについて、効果的、実践的な振り方を教えていただきましたが、大変に丁寧で身振りを交え、分かりやすい英語で話され、レッスンが終わっても、奥さまともども楽しい交流の時間が持てました。こんなときも、指揮においては「予備運動」の大切さを話され、指揮者の動作は、それを見る人が次の小節の強弱や、表情を言葉を介しないで瞬間的に分かることが大切であると教わり、学生時代にS先生に習ったことと共通であると思いました。
先生には時折、開かれる別の音楽会にも連れて行っていただき、音楽を通じて、誠に有意義な国際交流ができました。
ところで、私はここ数年間、指揮する機会がなくなってます。しかし、以前に勤務した高崎商業高校吹奏楽部では現在でもOB・OG会がきちんとしてるので、記念定期演奏会では、昔の顧問を指揮者として呼んでくれることも有り得ます。以前に第50回定期演奏会で依頼を受けたことがあり、「フィンランディア」を指揮しました。
もし、再度、依頼があるときには積極的に練習会に出かけ、音楽センターもしくは芸術劇場で吹奏楽の指揮ができる体力と技術、何と言っても、「音楽美」追求に立ち向かう精神力は現役でいたい。
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