カテゴリー「倉賀野の七不思議」の15件の記事

2019年8月 9日 (金)

欅の木 朝から晩まで 蝉しぐれ

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【画像を拡大してご覧ください。】

 今年の夏は家の庭木でも蝉がたくさん鳴いてます。私は時々おしっこをかけられます。蝉のこの行為は敵に対する一つの武器なのでしょう。

 写真は倉賀野町で最も大きな欅の木です。私の家から東によく見えます。前にもお知らせしましたが、この樹木の幹には高さ10mほどの所に大きな穴があいてます。

 どうして開いてるかは謎です。現在、推定、数千匹の蝉が早朝から夕刻まで鳴いてます。この現象は、おそらく数百年続いているのでしょう。

 蝉が鳴くのはメスを呼んでるのです。私は蝉に教わるべきでしょうか。


 This summer, there are lots of cicadas in my garden trees. they pee against my head and face sometimes. That act is one of their weapons against enemy.

 The photo shows the largest zelkova tree in Kuragano-town. It looks good in the east from my house's three story. As I told you before, there is a big hole made naturally in the trunk of this tree about 10m high.

 It is a mystery why it is open. Currently, an estimated thousands of cicadas are loud chorus from early morning till evening. Perhaps this phenomenon has been continuing for hundreds of years since Edo period. 

 The roar sound is that male calls a female. Should I be taught by cicadas?

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2018年1月29日 (月)

驚愕!!倉賀野河岸の大杉神社が榛東村に現存

Photo【榛東村にある八幡神社・・・元は倉賀野の大杉神社】

 群馬県の倉賀野町に住む私は、若いとき歴史に疎く、ましてや故郷の昔についての知識欲はなく、今になって思えば、もっと父母を始め、近所のお年寄りや故郷の歴史家に明治時代やそれ以前の倉賀野について、話をいろいろ訊いておけばよかったと、年を重ねた現在、深く後悔してます。
 
 その一つが、今日のテーマである烏川の岸にあり、室町時代~江戸時代~明治初期にあった大杉神社の存在です。
 
P1020557【現在の説明板・・・大杉神社跡に建てられてる】
 
 倉賀野を流れる烏川は往時、倉賀野河岸として有名であり、江戸から3~4日かかって川舟で着いた荷物の塩や海産物を陸揚げし、牛車を使って、信州や越後へ荷を運び、一方、帰り舟では内陸で収穫した穀物などを江戸に運び、最盛時には大小一万の川船を有し、利根川上流では最大の河岸であったと伝えられます。倉賀野には今でも牛街道という道が現存します。
 
 その川岸の北の高台に舟や船頭の守護神として「大杉神社」があったことが知られています。しかし、現在、大杉神社は跡形もなく、その面影を残すものは殆どありませんが、ただ、貴重な物が一つ残っています。おそらく現在、多くの倉賀野町民にも知られてないことでしょう。それは当時の「大杉神社の石段」です。石段にはそれを作った石屋の名が刻してあり、誠に歴史の事実を示すものです。信州の石屋と解読されてます。
 
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P1020562 【階段は現在ここに住む青木さんが利用されてる・・・左に石工名が刻まれてる】
 
 明治初期まで長年にわたり栄えた倉賀野河岸は、文明開化の象徴である鉄道の発達により、河岸は衰退し、しばらくして消滅しました。空き家になった大杉神社はその役目が終わり、明治42年に売りに出されたといわれます。
 
 実は私の父は明治29年に倉賀野で生まれ、その後、少年時代にしばらく大杉神社があったことになり、当然、13才であった父は家から近い大杉神社へ行ったことがあると十分に想像できます。このため、生前、父に大杉神社について詳しく聞いておきたかったと今になって後悔する私です。
 
 20年ほど前から私は倉賀野に大杉神社が存在してたことを知り、その後、幾度となく大杉神社跡を散策し、実は今朝も、大杉神社跡に行き、現在、その土地に住まわれてる年配の青木夫人に偶然会え、いくつか話が聞けました。
 
 それによると、ここに住んでいた先代のお爺さんの話では「大杉神社の社殿は榛東村へ売られ、そのままの姿で榛東村に現存する。」という話を覚えてると話されました。
 
Photo_2 【榛東村に八幡神社の名で現存する大杉神社】
 
 実は3~4日前の地元紙・上毛新聞「ひろば」に榛東村の湯浅様の投稿が掲載され、その題名は「榛東に残る倉賀野河岸の記憶」でした。これを読んで、今朝の話と一致し、誠に驚いた私です。
 
 新聞を読んで、昨日、早速愛車を飛ばし、倉賀野から22Kある榛東村の八幡神社を訪れました。初めて旧・大杉神社を目にし、倉賀野生まれ、倉賀野育ちの私は感慨無量になりました。暫く、境内に佇み、周辺を眺めたり、心で思いました。「八幡神社が江戸時代、大杉神社として倉賀野にあり、船頭の守護神であったずっと後に生まれは私ですが、今日、初めてお目にかかり、こちらで榛東村民のために活躍されてる姿を目にし、安堵しました」と心で伝え、大きな鈴を鳴らしました。
 
 一方、倉賀野の大杉神社跡には現在、それを示す碑が建立されてます。
 
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P1020559 【左に烏川が見えます。】
 
 それにしても、一般的に考えると、神社は古くてもそこに現存してるのが普通であり、何故、大杉神社はないのか、長年にわたり不思議でなりませんでした。榛東村では以前の社殿が火災に遭い、丁度売りに出た大杉神社がそちら行くこととなり、神社として第二の人生を送ってることを、この目で見て確認できた次第です。
 
P1020532【立派な彫刻が施されてた大杉神社・・・現・榛東村の八幡神社】
 
 榛東村の現・八幡神社を倉賀野から購入したのは110年前になり、元の名前が大杉神社であったことからでしょう。その周囲には推定100本ほどの大杉が八幡神社を囲んでおり、当時の人々が元々大杉神社であった名を大切にし、たくさんの杉を植林して神社に安心させた心遣いが伝わってきます。現在も杉の巨木に覆われた宮の森になってます。
 
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P1020554 【杉の大木に囲まれ境内に駐車した愛車】 
 
 倉賀野町で生まれ育った私はこれからも倉賀野の歴史の真実を知るため、足腰の鍛錬を兼ね、あちこち散策しながら、証拠となる碑の解読や歴史の事実を示す手掛かりをこの目で確認したい心意気です。
 

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2017年4月17日 (月)

10年以上、咲かなかった永泉寺の藤に蕾がつく

P1020733【本日、庭の藤の蕾】

 一年半ほど前、近所のO宅から昔咲いた藤がもう10年以上も開かないとの連絡をもらい、早速、伺って拙い体験から、これは剪定すれば咲くと瞬時に感じました。私は遠慮なく剪定作業に入り、剪定した枝は全体量の約半分に相当し、ずいぶん隙間ができ、これで来春は咲くだろうと密かに確信を持ちました。
 
 というのは以前に、私自身が同じ悩みを5年ほど持ち続けていたからです。購入時は赤紫がきれいに咲いてたのに、何故、咲かないのだろうと首をかしげる毎年でしたが、あるとき、枯れて元々と思い、長く細い枝をバリバリ切り落としてみました。
 
 そしたら何と翌春、夢のように蕾がたくさん付いたではありませんか。このときの喜びは忘れられません。素人でも「やればできる」と私に一つの自信が生まれました。これと同じ方法で開花したOさんの喜びは大きく、近年ご主人を亡した寂しさの中にあって、諦めてた藤が咲き、作業をした私も本当に良かったです。
 
 日常生活においても、私は何事も自分本位になりがちで、益ばかり得ようとしてしまう心があります。時に諦めてしまったり、物事に対し不満を持ち易いものです。しかし、植物も含め相手の心境に入れれば、あるいは、良く観察することで諦めてたことがいとも簡単に解決できることがあると藤の剪定から学んだ思いです。
 
P1000993 【5年間咲かなかったのがうそのような庭の藤】・・・拡大してご覧ください。
 
 先ず、藤は水分をすごく必要とする植物で、これは真夏の日照りに水が切れると葉がすぐ萎れることから分かります。水が豊富であれば、蔓るが伸び、どんどん成長します。成長は結構なことであっても、肝心な花が咲かないのでは何にもなりません。
 
 根から吸収する栄養分は新たな蔓や枝を成長させるためで、それらに栄養が行き過ぎると「養分に蕾を作る余裕がなくなる」と考えます。この対策は、夏になったら一度思い切り剪定すると養分の流れが蕾を作ることに専念し、翌春の開花につながると考えます。
 
 専門家【植木職人】に訊かなくても、私たちは自身で細かく観察することで植物の本質を見抜いたり、植物が欲してることに思い当るものです。
 
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 ところで、近隣のOさん宅で開花した藤を近くの永泉寺の娘さんが見たことで、またもや私に依頼がありました。寺の境内にある二本の藤がもう10年以上も咲かないとのことです。私はすぐ拝見したところ、いわゆる枝がボーボーの状態で、瞬時にこれでは咲かないと判断できました。早速、思い切り剪定です。
 
 他人の家の植物を剪定するのは気が引けても、開花を望む心に寄り添えるならと遠慮なく、無駄な枝を切り取り、四方八方に出てる蔓や小枝を切断です。これが昨年の夏でした。
 
P1020740 【今春はたくさん蕾を持った永泉寺の藤】・・・拡大してください。
 
 どうしたことでしょう。今春は予想を超えた蕾が生じ、その数50個以上です。植物は手を加えれば、必ず応えてくれることを今回も学びました。
 
 私は植物が好きでも、いわゆるプロではありません。しかし、咲かない藤を咲かせるには剪定が必要なことを体験から知り得ました。永泉寺では君子蘭も良く咲かないそうで、こちらも来春は咲くようお手伝いします。実は永泉寺は私の菩提寺ではありませんが、私の叔母や従兄が眠ってます。藤や君子蘭、そしてシャクナゲが毎春咲くようにこれからも世話を続けます。
 

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2016年9月 9日 (金)

植木職人の離れ業か・・・三色サルスベリに感銘

P1010715 【赤、紫、ピンク】・・・拡大してご覧ください。

 近所のH家の庭先に今を盛りに咲いてるサルスベリがあります。しかも、一本の木で三色の色どりにびっくりです。根元を見ると一本の木として繋がってるではありませんか。

 今まであまり気づきませんでしたが、今夏は三色がバランスよく咲き誇り、前の道を通る人を鮮やかな色彩で惹きつけてます。

P1010717 【三本が根で繋がってる】

 未だ、樹木として若く、幹の直径は3~4㎝と細いですが、今夏から成長が著しくなって存在感が増してきました。今後、数年経過すれば倉賀野町の銘木に成長する可能性が潜んでます。巨樹になればこの三色サルスベリは「倉賀野の七不思議」になりそうです。

 それにしても、施主は素晴らしい苗木を手に入れたものですが、このような植物の芸術品を考えつき、おそらく接ぎ木により見事に成功した植木職人の技術と心意気に脱帽です。

 このように自然界では起こり得ないものを人為的に創造することは、人間の知恵であり、人間だけが成せる技です。おそらく、他の樹木を通し、多年にわたる職人としての体験から、ある意味で「遊び心」で三色サルスベリに挑戦したかもしれません。生きてる植物による美術品といえます。

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 一方、花梅では「思いのまま」の品種が一本の木で二色で開花することは知られており、私の庭先でも、毎年三月に紅白に咲き分けます。近年は赤の方が優勢になってきました。しかし、よく観察すると赤が二種類であるので、樹木全体では三色になってます。

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 また、「源平しだれ桃」はその名の通り、紅白の咲き分けです。三年前に手に入れ、築山の頂上に植えたところ、大分、成長し樹勢がよくなってきました。こちらはその年によって平家(白)が勝ったり、源氏(紅)が勝ったりします。勝負は開花後に判断します。

P1000865 【築山の源平しだれ・・・今春は平家に軍配が上がる】

 今回、近所の三色サルスベリに深く感銘ですが、私たちはいろいろの場面で創意工夫し、発想を変えれば不可能と思っていたことが、可能になることが結構あるかもしれません。ただ初めから諦めてしまったり、挑戦を怠ったりでは創造力は遠のきます。

 このように無から有を生み出すことに比較すれば、すでにレールが敷かれてる読書や一般の勉強などは「著者にとっては創造」であっても、読者にとってはあくまで受動的なものです。

 何の分野においても、人が思ってもみなかった「奇抜なアイディア」「奇抜な方法」を考案することは、人間のみが持つ一つの才能でしょう。私たちは従来からのありきたりの生活から一歩でも二歩でも離脱し、より人間的で「心が躍る精神生活の充実」を求めたいものです。 

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2016年8月18日 (木)

倉賀野町の人は必見です・・・歴史博物館

P1010643 【青々した群馬の森】・・・写真はすべて拡大してご覧ください。

 車で10分ほどの所にある群馬の森は一面芝生に覆われ、ここが戦時中、火薬所であった事から上空から見え難くするために生茂る樹木を植えたと推測できます。

 現在でも当時の巨樹の数々がそのまま現存し、平和な現在、森の中は逝く夏を惜しむ家族連れで賑わってます。私は年に数回、森林浴や近代美術館、そして歴史博物館を訪れます。

P1010645  ここ群馬の森の一角にピラミッドを彷彿させる現代的建物が群馬県立歴史博物館です。この度、リニューアルオープンし、常設展示の内容や見学の順路が大きく変わりました。旧石器時代から近世まで、群馬の歴史を誠に詳しく展示・解説してあります。

 以前の常設展示と内容が変わったことから、目新しい展示場を見て回っていたところ、急に飛び込んできた大きな「街並みの模型」に心から驚きました。

 それは私が生まれ育った倉賀野の江戸時代における宿場町の模型であり、かなり大きな展示物です。こんなに見事に出来てる展示は予想外で驚愕そのものです。一軒一軒の家と今でも残ってる道があり貴重な展示です。誠によく企画・作製していただき歴史博物館に感謝です。

 町の中央を通過する中山道や、閻魔堂の分かれ道、大門(田屋町)への入口に文字通り、大きな門あるではありませんか。倉賀野では今でも田屋町のことを大門(だいもん)と言います。ここには私の親戚があり、昔から大門ちと言ってます。おそらく150年ほど前に取り壊されたと推測できることから、私は本物の大門を見たことがなく、模型の中に初めてその門が見え、この場所にあったのかと場所を知り感銘です。

P1010655【本陣(現在ベイシアの位置)、及び赤い鳥居が大門】

 ところで、街並みの丸印の位置が私が生まれた場所(旧・原道屋)です。私の生家は江戸時代に作られた二階建て蔵造りです。建設年代は幕末と推定されるので、この模型の家はそれ以前の建物です。

 しかし、私は本陣【後に十一屋、現ベイシア】のすぐ北で生を受け、現在は旧・高崎信用金庫の建物がある地点です。私の生まれた場所がこの模型内にあり、本当に感銘です。すぐ右が九品寺へ入る道です。

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 これは現在の上町の信号の東に位置する須賀喜邸とその裏庭の庭園です。この庭園は現存します。右上の細い道が牛街道です。

P1000971 【現在の須賀喜邸】

P1000976【現在の須賀喜邸の庭園】

 それにしても江戸時代の倉賀野町の模型をよく作ったものです。おそらく、東京国立博物館に残ってた資料を元に作製したものと想われます。

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 こちらは下町の閻魔堂付近です。北(下)へ行く細い道は諏訪神社への道です。宿場町の家並みは中央を通過する中山道を挟むように両側に家が並んでるのが特徴で、これこそ宿場町特有の姿でしょう。この光景に似て現存する街並みが安中市の坂本宿です。

P1010651【宿場町倉賀野のほぼ全景と右側が烏川の河岸】

 倉賀野町を通過した参勤交代の大名行列は九州からも含め、山陽、北陸などから中山道経由で倉賀野を通過したと伝えられます。これは東海道を通過すると渡るのが困難な大井川があるためといわれます。

P1010657 【江戸~倉賀野河岸を往復した高瀬舟の模型】

 一方、倉賀野には江戸からの船着き場として河岸があったことから、江戸時代の倉賀野は現在より遥かに活気に満ちた宿場町であったと想像できます。

 倉賀野町の皆さん!ぜひ、群馬の森の歴史博物館に足を運ばれ、江戸時代の倉賀野の街並みをご覧になってはいかがでしょう。心からお薦めします。

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2015年3月16日 (月)

倉賀野「閻魔堂」の大きな数珠の存在を広めたい

P1060289 【新規に建設中の閻魔堂】

 倉賀野の住民なら誰でも知ってる下町(しもちょう)の「閻魔堂」は、おそらく江戸時代に建設されたものと推測されます。

 しかし、この度、それを取り壊し、現在、同じ場所に新たなお堂を建設中で、一見したところ、従来のお堂より、少し広くなり、屋根も高くなってます。

 三差路の中心であることからや、敷地に限度があり、また、付近には電線が何本もあることから、設計や建設法を工夫し、土地をいっぱいに有効利用してることが分かります。今までは東側にあったお堂の予備的スペースは今度は西側に張り出し、本堂を東に持って行き、それだけ屋根の中心が高くなるよう工夫したようです。

 すでに屋根の部分は完成し、重厚味を増す中にも、従来の四面の屋根の面影をそのまま踏襲してます。完成すれば、おそらく今後200年は建て替えの必要がないと思われるほどしっかり出来てます。

P1060017 【厚いコンクリートによる基礎工事】

 ご覧のように、非常に分厚いコンクリートの土台は長い年月に起こりうる大地震や大型台風の脅威を想定してのもので、現代の宮造りの技術を駆使した建設法と認識します。

 倉賀野の旧国道を通過すると、ここ下町で新町方面と玉村方面へ道が二股に分かれることから、昔はこの地を「追分」と呼んだようで、ここで必ずこのお堂が目に入ります。

 このお堂には、その名が示すように「閻魔大王」の像が南側を向いて座り、例年、送盆の八月一六日がお祭りです。

Photo_2 【閻魔大王】

 ところで、本日のテーマです。下町の方には知られているでしょうが、倉賀野の他の町内の人たちには意外と知られてないのが、この閻魔堂にある「大きな数珠」の存在です。これは「百万遍」といわれ、直径5mほどあり、紐についてる数ある数珠には拳大の大きいものが2~3個付いてます。

 まず、お堂に上がり、畳の上に正座した参拝者が円陣を組み、この大きな数珠を念仏やお囃子に合わせて20人ほどの参拝者で協力して回します。数珠は木製で、黒光りがしてる年代物です。おそらく、江戸時代にも使われ、ここを通過した旅人などが直接触って輪になって回した由緒あるものと推測できます。

 大きな数珠が自分のところに回ってきたら、額につけて拝みます。数珠は左回りに一周したら、次は右回りなります。それを繰り返し、人数分、回すので、一回が20分前後かかります。

Jyuzukuri1_2【jyuzukuri1より転記】

 大きな数珠の意味には疫病お払いや、旅人が道中の安全を祈願する魔除けであったのではないかと推測できます。この数珠は黒く干からびてるので、それだけ歴史的価値がある倉賀野の文化遺産といえるでしょう。

Photo_3【今となっては懐かしい以前の閻魔堂】

 倉賀野には先日ブログに記載した「長賀寺山古墳」が下町に手つかずの状態で現存します。こちらも早急に整備し、倉賀野の人々にその存在を広く啓蒙するとともに、未来の倉賀野の人々へ伝えていくことが現在生きてる人間の使命と考えます。

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2015年3月 2日 (月)

倉賀野に現存する大きな「長賀寺山古墳」

P1060223 【倉賀野町下町に現存する長賀寺山古墳】

 昔、私の家の隣に住んでた倉賀野町の元町長・松本忍さんによると、倉賀野には千間山(浅間山)、大鶴巻の二大古墳を初めとして実に207個の古墳の跡があったと伝えられます。

 しかし、その殆どが平地にされ、現在、倉賀野町内で私が知ってる範囲で現存する古墳は4基です。それは前述の2基の他、緑地公園北にある「一本杉古墳」そして、今回、紹介する下町にある「長賀寺山古墳」です。

 この古墳は倉賀野町民にあまり知られてないようですが、想像以上に大きな古墳で、一見して上町の「小鶴巻古墳」より少し大きい規模です。その高さは平地から推定8m、東西40m、南北40mほどで、場所は諏訪神社の南西約200mの地点です。

P1060226 【長賀寺山古墳の麓にある単体道祖神】

 元・倉賀野小学校長徳井敏治著「伝説の倉賀野」によると、長賀寺山古墳の上にはその昔、稲荷様があり、正式名は「正一位大大儀式倉山稲荷大明神」という厳めしい名前であり、これは京都の伏見稲荷の総本家まで行って、貰い受けてきたとと記されてます。

 倉賀野が未だ宿場で賑わったころ、街道から北側の裏の方は森や林が続き、あちこちに塚が散在し、とりわけ今の下町の街道北は森林と塚の連続であった云われ、このうち一際高く大きかったのが長賀寺山古墳であったとされます。

P1060229 【長賀寺山稲荷・徳井敏治著「伝説の倉賀野」より出典】

 この写真は貴重なものでしょう。建物は長賀寺山頂にあったとされる稲荷様。社寺合併の際、近くの養報寺に移され、その後、この古墳は樹木雑草が生い茂り、狐や狸にとって申し分ない棲家になりました。

 狐たちは山の頂に穴を掘って付近の家畜や野鼠を餌食として生息し、「狐に手を出すと必ずその祟りがある。」として人々は決してこれを責めなかった。その雰囲気は現在でも変わらない。

P1060222 【長賀寺山古墳の山頂付近】

 上町にある小鶴巻古墳は10数年前までは、樹木や竹が繁茂してましたが、近年、整備され、その由緒ある風格が確認できる姿になりました。倉賀野の貴重な長賀寺山古墳も早めに手を入れ整備していくべきであり、現在、生きてる人間が可能な限り、全貌を明らかにすることが使命です。そして、倉賀野に残存する大切な文化財「長賀寺山古墳」を未来に引き継いでいくべきです。

 さもないと未来は宅地として造成される危機が存在します。私は幾度となく長賀寺古墳の現場に行って観察してますが、この古墳は想像以上に大きいものです。竹藪を刈り込んで整地し、案内板を設置すれば倉賀野の歴史が身近になり、誰でも山頂で憩え、大鶴巻・小鶴巻古墳の如く、倉賀野の往時の面影を現代そして未来の人間に明確に訴えるのではないでしょうか。

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2014年11月17日 (月)

倉賀野町正六で発生した竜巻・・・亡き母の話より

537 【今夏の夕立・・・入道雲の下は雷】

 私が生まれてこの方、故郷・倉賀野町は大きな自然災害に見舞われたことがありません。洪水が起こらないのは一級河川である「烏川」の水位が町の中心地より約20mも低いからです。同時に、近年は旧18号線の地下に洪水防止用の大きなトンネルが掘られてることから、洪水対策は万全と言える町です。

Photo 【正六~仲町の旧18号の下にある洪水対策用・地下トンネル】

 しかし、歴史を紐解くと倉賀野町は江戸時代に二度、大火に見舞われ、その後、旧中山道の北側に現存する水路ができたと伝えられます。

 この水路はたまたま私の生家の前にありましたが、子供の時はそんなことを知らずにこの川でよく遊んだものです。このため、堰きとめられたこの川の水で時折、消防自動車が放水訓練してたことが遠い昔の楽しい記憶に残ってます。

 倉賀野町が自然災害に見舞われることが少ないのは、このように地盤が高いこと、及び周辺に山がないことが挙げられます。昨今の自然災害に関するニュースの多くは山崩れや洪水がその大半を占めてます。

145 【5~6世紀に造られたと推測される倉賀野町正六の浅間山(せんげんやま)古墳】

 と言っても、台風や地震、竜巻などは場所を選ばず被害をもたらすもの。唯一、倉賀野町の歴史に残る大きな自然災害は正六地区に起こった「竜巻」=tornadoと言えます。生前の母は幾度かその惨状を子供の私に話したことがあります。

 この竜巻は昭和6年6月の深夜に起こったもので、民家12戸が空中に巻き上げられ、死者2名のほか10数名の重軽傷者が出たとのことです。この頃の正六は周囲を広く田畑に囲まれた集落でした。上の古墳はその近に現存します。

 現在の正六の東に、私が子供の頃はまだ10数本の杉並木が残ってましたが、それは昭和6年の竜巻で相当数が倒木し、残ったものを私たちは見たことになります。並木まで走ろうと言って、仲町からこの松並木まで友人とマラソンしたものです。

 ところで、竜巻に対する心構えは頑丈な建物の中に入ることですが、今でも、日本家屋の多くは竜巻対策に無防備な場合が考えられます。日本家屋の多くは重たい瓦を中心にその重さは、ただ下部にかかるようになっており、逆に、上空から吸い上げる力が働く竜巻対策はあまれ施されてないかもしれません。

 竜巻は上空がいわば「真空状態」に近くなることから、かなり重たいも物まで吸い上げられ、屋根や天井に穴があくことはニュース映像で見受けられます。

P1050951 【東隣の新築中の家屋】

 現在、隣に家が新築中なので、時折、大工さんと話します。というのは、基礎工事のとき数本の40㎝ほどの長く太いボルトがコンクリートから上に向かって出ていました。何かなと思ってましたが、訊ねると、大工さん曰く、案の定、「このボルトは竜巻対策である」と話してくれました。東北大震災後に、地震対策を施すことが当局より指示があり、昨今の竜巻被害により、同様に指示があってこのボルトが義務化されたと話されました。

P1050954【コンクリートに埋め込んだボルトと柱とを固定すれば柱が浮き上がらない】

 一般的に、基礎コンクリートと土台の木はボルトで締め付けられますが、二階までの通し柱とコンクリートは固定されてません。今後はこれが義務化されたと話されました。これなら上空から家が吸い上げられても、家は持ち上がりません。簡易なものは今までも使われてましたが、今後は柱が離れないよう、より強度を持って固定されます。

 人間とは自然災害に弱いものです。近年の世界的課題である気候変動現象は今後ますます激しさを増し、私たちの子々孫々にとって住みよい環境とは逆方向に向かってます。

 私たち現在に生きる人間は可能な限り、二酸化炭素を排出しない生活に世界中の人々と共に取り組まなくてはなりません。二酸化炭素は太平洋赤道近くの海面水温が上昇する「エルニー二ョ現象」を誘発し、巨大台風の発生原因の一つと考えられてます。台風の通過前後に竜巻が発生しやすいです。 

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2014年9月26日 (金)

350年前の古堤が現存する倉賀野町

P1050703 【渡り鳥のサンクチャリーになってる古堤】

 私が小学生の頃、担任教師に連れられ写生に来たことがある堤は、当時の広さ推定80m×80mほどで、子供心に広い池であったことが脳裏に浮かびます。しかし、昭和30年代になり倉賀野保育園開園にあたり、その用地として堤の南半分が埋め立てられ、現在は北半分が残るのみです。

 この地の先人のご労苦を偲び、いつまでも大切に保存するのが現代に生きる人間の役目で、先日、私は見学し、近隣住民の方にいろいろ訊ねてみました。

 倉賀野町下町にある諏訪神社の東に人知れず佇むこの堤は、徳川第4代将軍・家綱の寛文時代(1661~1672)から近年まで、実に350年間、この地一帯の農地を潤す灌漑用溜池として役目を担い続け、当時より長野堰~五貫掘経由でここまで水を引きました。

P1050708  古の江戸時代前期に造られたこの古堤は、現在では農地が激減し、その役目は殆ど終わっても、由緒ある古堤が倉賀野に現存してることは、平成に生きる私たちが目で確認できる歴史的事実の一つでしょう。

 江戸時代前期の名残であっても、町民のとりわけ若い人にはあまり知られてない可能性があり、啓蒙の必要があります。

 初秋となった現在はカムチャッカ・シベリアなど北方からの渡り鳥が長閑に羽を休めてます。

P1050706  碑文によると、寛文時代は全国的に大干ばつであったと伝えられ、この年代は後に起こる浅間山の大噴火である1783年前後の「天明の大飢饉」の丁度100年前に当たる頃です。

 ご多分にもれず、「寛文の大干ばつ」は倉賀野の庶民にとって食糧難で困窮した時代と想像します。

 ところで、「寛文時代の大干ばつ」から100年後の「天明の大噴火」では倉賀野一帯でも農地に火山灰が降り積もり、長期にわたり穀物が収穫できず、火山灰を取り除く作業が毎日続き、農民にとって大変な労苦で火山灰はあちこちの箇所に集められ、次第に農地を回復したと言い伝えられてます。

 実は、私の庭を掘り返すと今でも当時に集められたと想われる浅間砂がたくさん出てきます。このため、火山灰を集めた地(灰塚)に私の家は建ってる可能性があります。庭は水はけが抜群で、シャクナゲなど植物の成長では恩恵になってます。

P1050698  一方、前述のように、古堤は諏訪神社の近くにあり、この古堤と関係があるかどうかは定かでありません。しかし、古の昔より、この地一帯の庶民の信仰の神社であることに間違いなく、どうした由来か、8月26日の例大祭には境内で相撲を取る珍しい風習が今でも残ってます。ここには推定1000年の大欅がありましたが、近年の台風で朽ちました。

 数年前の例大祭では、相撲大会のゲストとして群馬県出身の湊親方が来訪しました。今場所、稀に見る大きな期待を一身に浴びてる新入幕「逸ノ城」の親方です。

P1050707【水面を調整する排水口・・・昭和時代に造られたと想われる】

 古堤は江戸時代前期の大干ばつに対する倉賀野の農民の悲願と労苦により完成した灌漑用溜池です。倉賀野の町民はこれをよく理解し、子孫にこの古堤の存在と意味を教え、倉賀野の歴史的産物を未来永劫、保存し続けたいものです。 

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2014年1月23日 (木)

交差点に入ると信号機がなくなる倉賀野旧17号

P1040442 【倉賀野町の遠景・・・山名の高台より撮影】

 倉賀野町の街中を走る旧17号は、江戸時代に中仙道の宿場町として栄え、当時は旅籠屋71軒、茶屋9軒、商家34軒、造り酒屋2軒と、倉賀野宿の賑わいは大変なものだったと伝えられてます。

 驚くことに、参勤交代でここを通過した諸大名は越中(富山)、加賀(金沢)、信州(長野)はもとより、考えられないほど遠方の薩摩(鹿児島)、備前(岡山)から倉賀野宿を通過したと高崎史料集に記されてます。

 理由の一つは、東海道を通ると「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」といわれるように、自然環境の安全な中仙道を選んだのではないでしょうか。

P1040245 【昨年の台風時に撮影した烏川の倉賀野河岸跡】

 倉賀野町には利根川の支流・烏川が流れており、ここは江戸から高瀬舟による物資運搬の終着地であり、倉賀野河岸といわれます。

 現在でも港の雰囲気が感じられる地形を成してます。倉賀野河岸で荷を下ろし、現存する牛街道を通過し、その後、陸路で信州や越後方面へ海産物や塩などが運ばれ、帰り舟は陸で採れた作物などを江戸へ運搬したターミナル基地でした。

494 【Click please!】

 当時、この地には江戸からの海産物や信州・越後からの物資を一時的に預かった「倉」がたくさんあり、倉賀野という地名の由来はたくさんの「倉」と共に、倉賀野の「野」とはここ一帯が広野であったことによると推測できます。

 このように歴史的に交通の要所であった倉賀野も現在では往時より賑やかさは薄れているでしょう。しかし、小学校、中学校が1校ずつあり、明治初期に倉賀野河岸に変わった倉賀野駅があることは住民にとってこの上ない便利なものです。新幹線を使わなくても高崎線に乗れば直接、東京へ1時間40分で行ける交通の利便さがあります。

Photo_2  ところで、歴史的に由緒ある倉賀野町の中央を走る旧17号ですが、先日、交差点内を車で通過中「あれっ、信号がなくなった!」と慌ててしまいました。

 そこは下町と仲町の間にある交差点で、アピタ方面へ行く信号です。この交差点を仲町方面から下町方面へ向かって進むと、交差点の入り口では信号が青でも、交差点内で信号灯がなくなるのです。

 「私は本当に青で入ったのだろうかと」自らを疑いました。歩行者用の信号はあっても、自動車用の信号がなくなり、「ハッと」しました。

P1040594  写真は交差点内で撮影したもので、運転席から見て信号灯がありません。また、南側に設置してある「たかさき人権プラザ」の看板が南側の信号機を隠してしまう瞬間があります。

 もし、ここで「信号無視の取り締まり」をしたら取り締まる方も難しいでしょう。交差点内で信号機がなくなる不思議な交差点です。

 倉賀野には昔からいくつか不思議なことがありますが、これもその一つです。今のところ信号不備による事故の話は聞いてませんが、運転中「前進していいのかな」と自らを疑うことがあります。

P1040599_2   【たかさき人権プラザの案内板が邪魔になり瞬間的に南側の信号機が見えない】Click please!

 ここは変則的な四っ角で信号機の不自然な設置であっても、交差点を運転中、前方の信号機がなくなると誰でも「ドキッ」とするでしょう。

 事故が起こらぬうちに、そして、運転者の不安を取り除くためにも、より安全へ改善を求めたいです。 

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