【荒船山】
群馬県に住んでることから「荒船風穴」の存在は以前から知ってました。また、若き日よりユニークな山容を誇る荒船山(1423m)に数回登頂し、時折、「荒船風穴」についての案内標識を目にしたことがありました。
風穴とはどんなものか、いつかは訪れたいと思ってたところ、驚くことに今回、世界文化遺産に登録され、秋晴れの一日、群馬の西の里深く佇む世界文化遺産見たさに国道254号を西へ西へとAudi TT Quattroを走らせました。
【現地に設置してある説明標識】
しかし、神津牧場を過ぎてから、まもなく車を降り、900mの坂道を歩いて下らなくてはなりません。もちろん、帰りはこの坂道を20~30分かけて登らなくてはなりません。
急峻な坂道は高齢者に無理かもしれないと思いつつ、また、道が細いのでパスが近づけず、団体見学はできないかもしれません。アクセスは自家用車かタクシーになります。
長い坂を下りながら風穴とは低い所に存在するのかと思いを巡らし、樹木が生い茂げる曲がりくねった一本道を、もうすぐ着くかとワクワクしながら歩きました。
群馬県とは、先日ブログに載せた「尾瀬ヶ原」や谷川岳、野反湖など多くの地で自然散策が満喫できても、行っても行っても自然だけであることが分かります。人間の住んでるところはほんの一部でしょう。群馬県の面積の90%以上は未だ人間が足を踏み入れたことのない自然のままと捉えてます。
【辺りの山は紅葉まっ盛り】
標識に沿って近づくと、突如、眼前に現れた石垣による四辺形の大きな穴が三つです。これが荒船風穴です。近づくと平素見る石垣と異なってます。それは積み方です。
たまたま、他のグループに女性解説員が付きましたので、私も紛れ込んで彼女の丁寧な解説に耳を傾け、質問もできました。
普通の石垣は隙間なく整然と積まれますが、ここは故意に隙間ができるような独特な積み方です。きっと危険性を感じながら積み重ねたであろうと当時の建設者の気持ちに思いを巡らしました。
【現在でも冷気が噴き出している一号風穴】・・・Click please!
この辺りに佇むと空気はひんやりしてます。真夏に訪れれば、きっと、天然クーラーでしょう。自然は昔も今も変わらずです。
この冷気を有効利用した明治初期の養蚕技術の発展に思いを巡らしました。江戸時代より年間、春季に一回であった養蚕が四季を通じて複数回の孵化を行うことが可能となり、当時としては最先端の技術として、経済的にも躍動的に推移したことでしょう。
【風穴内部を計測中、4.6℃】
これでは真夏でも寒過ぎます。しかし、朽ちることのないこの天然エネルギーによって蚕の孵化時期の調整を始めたのは、私財を投じて建設した地元の庭谷静太郎氏と伝えられます。高山社で養蚕技術を学んだ彼は、冷気が噴き出すこの場所に大きく着目したのです。
【冷気ができる自然構造・・・推定】
蚕種貯蔵の依頼は日本中はもとより、遠く朝鮮半島まで広がりを見せ、荒船風穴は生糸の大量生産に貢献したことになります。
この写真はパンフレットによるものですが、元々、明治43年に「北甘楽郡案内」に掲載されたものです。当時は、風穴に屋根をつけ、風穴内を工場のようにして、各地より依頼された蚕種を冷蔵保存してるものです。これにより年間を通じて生糸の生産につながりました。
この蚕種貯蔵技術の発達により、当時、一部の特権階級のものであった絹が、一般庶民にまで広がり、生活文化の高揚に貢献したと伝えられます。
ところで、私たち現代人は地球温暖化による気候変動に直面し、特に真夏の気温には閉口する時代になってます。私たちの子々孫々にとって、一層その辛さが気になるところです。このまま、気候変動時代が続くと未来の人間に襲来する猛暑、厳冬が心配です。
しかし、私は「地球はそれほど見捨てたものではない」との考えを今回の「荒船風穴」を見学して強く感じました。猛暑になっても、今後、私たちはすぐクーラーに頼らない生活方法を模索できるのでないでしょうか。
例えば、地中1~2mの温度はどこを掘っても、5℃前後と年間を通じて一定です。これは一般住宅に冷房として使えるかもしれません。冷蔵庫のなかった時代には購入したスイカを2~3時間、井戸の中にぶら下げて冷やたものです。近年の新築家屋は地震対策上、土台のすべてがコンクリートで敷き詰められるようになりました。
縁の下は結構、冷気が溜まってるものです。例えば、【床を少し高くし、縁の下の体積を増やし】、この冷気をうまく室内に取り入れれば、かなりの節電につながるでしょう。今回、「荒船風穴」を作った先人が、気候変動時代に生きる現代人に大きなヒントを示唆してるように感じてなりません。
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