【蕾をたくさんつけてる紅梅しだれ】・・・拡大してご覧ください。
今振り返ると、父は生前、ダリアなど多くの草花を育て、その開花を見て母と心豊かに過ごしてた光景が思い浮かびます。水道のなかった時代、真夏は近くの川からバケツで水を運び、汗びっしょりで働く姿は子供心の私に何故そんなに一生懸命、草花に水をやるのだろうと思いました。チュウリップなどきれいに咲かせる作業に夫婦そろって花が好きだった両親の年に私が達しました。
しかし、若き日の私は花にあまり心が動かず、今思うと何に心を奪われていたのか、あっという間に、元気な頃の父母の年齢に達し、いつの間にか2人の娘は独立し、彼女たちは若き日の私より、ずっと逞しく生きてます。気がついたら思いがけずの一人暮らしがすでに13年です。
ところが、私はこの年齢に達し、内に潜んでた遺伝子が蘇ったのでしょうか。年齢を重ねてから植物を育てる喜びに心を奪われない日はなく、冬季を含め年間を通じて、剪定、水遣りを欠かしません。あるいは両親の心境に近づき、開花を心に描き、夢中でその日を追い求めてます。
一方、小学校4年で飼い始めたレース鳩は今でも60羽ほど飼育し、毎朝、舎外運動させたり、時には遠方から訓練するなど世話してますが、レース鳩飼育を大変に思ったことはなく、これは成績より、天高く横一線に並びスピードを持って飛翔する雄大な姿に惹かれ、飼育することに心の負担を感じない自分に気づきます。
「人間とは好きなことなら、いくらやっても疲れない」不思議さがあり、この点、他方、この年になっても英単語の奥深さに興味が尽きず、毎日奮闘です。子供の頃は成績を比べられ、楽しい思い出はなかったのに、今では毎朝、英作文でフェイスブックを発信しない日はありません。本来、「英作文とは自ら感じたこと、自ら考えた事象を英文にすること」ですが、昔は問題集のため、テストのため仕方なくやった英語でした。

【7年前に開花した同じしだれ紅梅】・・・拡大してご覧ください。
本題に戻り、現在、庭で花木を育てる私の心意気は、もしかして生前の父母に追いつき、父母を越えるものかもしれません。植物の開花のためなら、どんな犠牲も払える心境です。良い若木を求め埼玉県花園などあちこちの花木センターまで遠出します。
庭に花梅はすでに5本あり、広さでもう限界です。今、密かに心動くのは西洋シャクナゲ大輪であり、色に個性あるものを捜してる心があります。
ところで、今日のブログのカテゴリーは「自然の脅威と恩恵」です。実は5年ほど前、関東を襲った大雪で写真の紅梅しだれは根元から南に傾いてしまい、いくら元に戻そうとしても全く動きません。前の道に枝がかなり出てしまい、結局、私は思い切って太い枝を切り落としました。丹精込めて育てた枝を切るのは偲びなくとも、公道に食み出でてはなりません。
その後が、驚きです。傾いた方の大きな枝を切ったら、翌年から反対方向に枝が出始め、年々、全体の姿が整ってくるではありませんか。依然として幹は南側に傾いたままでも、却ってそれが複雑にして全体的にバランスが取れ、力強さを増した樹形になってきたのです。
大雪という自然の脅威に遭っても「紅梅しだれ」は年々、自然治癒し、却って魅力ある姿になるという自然の恩恵を授かり、今ではすっかり、大雪の被害は感じられず、それどころか以前より樹勢は逞しく感じます。
私たち人間も、日々の生活で健康や経済、その他、諸々の打撃を受けたり、人生の途上では失敗はつきものです。しかし、身体と脳の健康を求め、より高きをめざし生活すれば、人間の身体はある程度、治癒し、失敗を通じて却ってよくなることもあり、この体験から、より豊かな発想力も陶冶できるのではないでしょうか。
梅の木は2~3月に花で人を喜ばし、6月に実を収穫という人間に二重の喜びを与える力を持ってます。私も梅に備わる自然に対する不屈な力と魅力ある開花の姿、そして実をつける喜びに背中を押され、今後の「生きる力」を養いたい。
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